ある卓球ストーカーの全日本卓球 弁護士への道も公務員の職も捨てて・・・
コロナ禍の中、11日から丸善インテックアリーナ大阪で始まった全日本卓球選手権、通称「全日本」。そこに35歳にして初めて男子シングルスに出場する男がいる。奈良県代表の岩城禎(いわき・ただし)だ。
日本卓球協会に登録している男子選手は約22万人(2019年度)。そのうち都道府県予選を勝ち抜いて一般男子シングルスに出られるのは248人、わずか0.1%だ。協会に登録していない競技者はその数倍以上もいるため、実際の競争率はさらに厳しいものとなる。
卓球の低年齢化が進んだ現代では、全日本に出場する選手の多くは、遅くても小学生時代から卓球を始め、練習がないのは年に数日という生活を送り、高校や大学も卓球で入るという半分プロのような卓球エリートたちで占められる。ほとんどの卓球人にとって、全日本とは勝つどころか出ることさえ叶わない夢の舞台だ。
そんな全日本に、卓球エリート街道から完全に拒否されながらも、出場権を獲得してしまった異色の選手が岩城だ。
岩城は弁護士の父のもとに生まれ、大阪・堺市に育った。小学校に上がるとき、大阪教育大学附属天王寺小学校を受験し、7倍の競争率を突破して120人の枠に入ったものの、そこからくじ引きで10人が落とされるという謎のシステムによって不合格となり、公立小学校に入った。
卓球との出合いは小学5年生のときだった。必修クラブで陸上に入ろうとしたが定員が8人のところに9人が希望し、最初のジャンケンでひとりだけグーを出して負けた。仕方なく友人に誘われるがままに入ったのが卓球クラブだった。
なんとか友達に勝つ方法はないものかと父に相談すると、すぐに卓球台を買ってくれた。父は卓球経験者ではなかったが、それから毎夜の父との練習が始まった。おかげで、ほどなく岩城は卓球クラブで1番になった。その年のクリスマス、岩城の枕元に置かれたのは卓球の本だった。
父は岩城を将来は自分と同じ京都大学に入れ、やがては弁護士事務所を継がせようとできるかぎりの教育環境を与えてきた。小学校を受験させたのもそのためだった。まさか岩城がここからあらぬ方向に爆走を始めようとは夢にも思わなかっただろう。父のたったひとつの間違い、それは岩城に卓球を与えてしまったことだった。
父の期待を受けて中高一貫の進学校である奈良学園に入った岩城は、あろうことかそこで卓球に全力投球してしまう。高校時代には町の卓球場で毎晩11時まで練習し、1時に帰宅して5時半に起きる生活だったため、学校では体育の時間と昼休み以外はすべて寝ていた。進学校の意味はなかった。
進学校に通いながら狂ったように練習する岩城は、通っていた卓球場「コンパスクラブ」でも珍しがられ、練習しに来ていた武田明子(元世界ダブルス3位)から、なぜか日本代表のユニフォームをもらった。以来20年近く、岩城は日の丸の付いたその水色のユニフォームを毎晩着て寝ている。これほど酷使された日本代表ユニフォームもないだろう。
それほどの練習量にもかかわらず高校時代の岩城は奈良県でベスト8が最高だった。
一方で、入学時に上から3番だった成績は卒業時には下から3番になっていた。受験はしてみたものの希望する大学に受からなかったため、浪人することにした。やっと弁護士を目指す気になったかと喜んだ父だったが、息子が考えていたのは卓球部のレギュラーになれそうな大学に入ってさらに思いっきり卓球をすることだけだった。
翌年、神戸大学法学部に入った岩城は、いよいよ人生を卓球に注ぎ込む。授業にまったく行かず、毎日朝8時半から夜10時半まで練習場に居座り、代わる代わるやって来る部員をつかまえては練習するようになる。部員たちからはもはやそこに住んでいるようにしか見えず、完全に頭のおかしい人物として一目置かれる存在となる。この点では元世界3位の高島規郎と同じだが、違うのは、岩城が世界3位ではなく関西学生リーグ3部の神戸大学卓球部内で3位でしかなかったことだ。
5年かけて大学を卒業し、やっと司法試験を目指して勉強を始めたものの、毎日卓球をやっていたのだから受かるわけもない。27歳になったとき、つき合っていた彼女(いたことが驚きだが)から「司法試験に受かるか就職しなければ別れる」と告げられ、仕方なく練習時間を確保できそうな公務員になることにした。
これは弁護士を完全に諦めることを意味する。いつかは息子が目を覚ますものと信じていた父は、ここに至って初めてブチ切れた。練習場に住んでいた時点で、いや、寝間着に日の丸が付いている時点で気づくべきだったがあまりにも遅すぎた。
結婚すると同時に大和郡山市役所に就職した岩城だったが、2年後にはさらに卓球の練習時間を増やすために市役所を辞めて投資で生計を立てる生活に入った。幸いにも順調に利益を出せるようになり、今では平日の昼間から好きなだけ練習できるようになった。そのうち、朝まで練習しても誰にも怒られない卓球場を建てるつもりだという。聞いていると段々と腹が立ってくるから不思議だ。
以上からわかるのは、岩城はかなり頭がよく行動力もある人間だということだ。浪人時代には全国模試で1位になったことがあるというし、授業に行かないで大学を卒業など普通はできない。市役所だってそうすぐに受かるものではない。投資もそうだ。
一方で岩城には卓球の才能はない。岩城がそれに気がついたのは高校時代だ。中学時代までは父との練習の蓄積で他の生徒より優位に立っていたが、高校になると様子が変わった。
他の人が普通にできることがどうしてもできないのだ。アドバイスをされても絶対にできないので役に立ったことがない。ラバーの指が当たるところに穴が空くほど身体に力が入り、速いスイングができない。卓球競技の要である回転がうまくかけられず、現代卓球の主流である攻撃も威力がない。
しかし膨大な練習量によってなんとかボールを相手のコートに押し込むことはできる。その能力が見た目よりわずかに高いため、ときどき格上の選手の足をすくうことができる。その快感のためだけに岩城は卓球を続けている。
「もし他の人が僕の肉体を与えられたらとっくに卓球やめてると思います」と岩城は語る。卓球の才能がないからこそ、他のすべての能力を総動員して、本来勝てるはずのない相手に勝つ喜びを得ることが、岩城が卓球をする目的だと言うのだ。そのために岩城は、見込みがないとわかっている卓球に持てる能力のすべてをジャブジャブ注ぎ込む。大富豪が出ないパチンコ台に大金を注ぎ込むように。モテ男があえて脈のない女性につきまとうように。なんたる無益な戦い。なんたる能力の浪費。究極の無理筋。
これは小学校のときに卓球に微笑みかけられたと誤解したばかりに、弁護士への道に背を向け、公務員の職も捨て、人生を棒に振って卓球につきまとっている男、いわば卓球ストーカーの物語なのだ。
これほどの男が、コロナ禍だからといって練習を休むはずもなく、知人の卓球場で一日も休まずに練習を続けてきた。それがライバルに対して有利となり、今回の全日本出場につながったのだろう。
卓球ストーカーとしか言いようのない男の奇跡の全日本出場。今回は無観客だが、全試合が無料でライブ配信される。1回戦の相手が棄権となったため、岩城の初戦は14日(木)14:10から第3コートで始まる。相手は将来の日本のエースの呼び声高い13歳の松島輝空(JOCエリートアカデミー)だ。
結果がどうなろうとも岩城は出場すること自体で既に勝っている。試合はその勝利の宴となるのだ。