「これ以上の苦痛は入り切らない」日本より“男尊女卑な国”の少女たちの今
9月25日、メヘルダード・オスコウイ監督にインタビュー取材をした。彼が撮影したドキュメンタリー映画『少女は夜明けに夢をみる』が11月2日から公開される。
映画の舞台はイランの少女更生施設。オスコウイ監督は、20日間の撮影をするために7年間にわたってリサーチと交渉を行ったという。
取材後に入ったカフェで考え込んでしまった。映画と、監督へのインタビューから受けた感触を、どう伝えたものか。
◆単純な比較はできない
なんとなく開いたツイッターで目に入ってきたのが、この記事のタイトルだ。
同性婚ができるのに、レイプによる妊娠中絶ができない国があるって知ってる?(パレットーク/多様性×インタビューメディア)
エクアドルと日本を比較したこの記事。その中にこんなことが書かれていた。
「単純に、進んでる/遅れているとは言えないのではないだろうか」、まさにこれこそ、私がオスコウイ監督の取材後に考え込んでいたことだった。
◆「開放的」に見える少女たちの更生施設
イランのジェンダーギャップ指数は142位(2018年)。110位の日本より当然ながら低い。この順位を知らない人でも、イランに、「男尊女卑」「抑圧的」「保守的」といったイメージを持つ人は多いのではないだろうか。
それでは、そんな国の少女更生施設はどうなのか。
映画の中に登場する少女たちが暮らすのは、両方の壁際に2段ベッドが並ぶ広い部屋。日本のように個室で区切られていない。部屋の中央には、食事の時間には机が置かれ、お祈りの時間には絨毯が敷かれる。
雪が降れば外の広場で雪合戦が行われ、晴れた日はバレーボール。使っている絨毯を自分たちで洗濯する場面もある。
もちろん、彼女たちを取り巻く環境は過酷としか言えない。親からの暴力、貧困。家に居場所がなく、脅すために銃を持って強盗をした少女もいる。親戚から性被害に遭い、それを家族に信じてもらえず放浪していた少女も。
当然、彼女たちはカメラの前で泣き顔を見せるし、リストカットの跡が残る腕がカメラに映る場面もある。
暴力を振るう父を、母や姉と共謀して殺した少女ソマイエは、「ここは“痛み”だらけだね」という監督の問いかけに、誰よりも落ち着いた目をして答える。
「四方の壁から染み出るほどよ。もうこれ以上の苦痛は入り切らない」
「娘に売春させたお金でクスリを買うような男が私たちの父親なの」
しかし、その一方で、彼女たちの姿から「生への前向きな力」を、彼女たちが暮らす環境から「子どもの持つ力への信頼」を感じることも事実なのである。
◆女性差別の国で少女たちが知っていること
映画のパンフレットに、ルポライターの杉山春さんはこんな風に書いている。
「映画を見終わって私は、まず、うらやましいと思った。
更生施設にいる少女たちなのに。ここに来るほとんどの少女が性被害に遭っているというのに。なぜだろう。」
杉山さんは、イランの更生施設の少女たちと比べ、「日本の子どもたちは、自分が感じている感情を信じないようなところがある」と書く。
イランの少女たちは、カメラの前で悲しみも喜びも見せようとする。自分たちの言葉を発することを臆さない。それが私にとっては意外だった。女性蔑視の強い国では、女性が感情をあらわにしたり、自分の意見を言ったりすることは忌み嫌われ、抑圧されると思っていたからだ。
映画の終盤、少女たちは説法をしに訪れる聖職者に向かって質問する。
「なぜ、イランの刑法では男性より女性の方が重く裁かれるのか」
「神様は男なのか、女なのか」
「なぜ、父親が子どもを殺しても罰せられないが、子どもが父親を殺すと処刑されるのか」
親族が更生施設から自分を引き取ってくれないと泣いていた少女が言う。
「生まれたのは私のせいか」
聖職者の男性はうまく答えられない。
◆彼女たちが疑問を持つ理由
彼女たちは、なぜこれほど鋭い質問をするのか。オスコウイ監督は私のインタビューに対してこう答えた。
「まず、イスラムの中では男性の方が女性より権利があるっていうのは10歳の子どもでも知っている」
そうだろう。しかし、それが当たり前の社会であれば、「それはおかしい」と気づくこともまた難しいのではないか。
「彼女たちは、施設に入ってから権利の話を弁護士から聞いている。彼女たちには1人に1人ずつ、女性の弁護士がつくから。自分たちの権利を知り、たくさんの経験をした彼女たちがする質問に、大人は簡単に答えられない」
イランには女性弁護士がいないと聞いたとしても私は驚かなかったと思うが、実際は女性弁護士が活躍しているらしい。
日本の弁護士の女性比率は2割程度だと伝えると、オスコウイ監督は「今回の来日では日本について驚くような話を聞いてばかり」と肩をすくめた。
「今この取材現場にいるのも女性ばかりだし、今回の取材や広報を手伝ってくれるのは女性ばかりだけど、トップでいろいろ決めてるのは、どうやら男性なんだよね」
彼の目に、日本はどう映ったのだろう。
◆「自分の夫は何をされても夫だから」
映画の中で、もっとも多く画面に映る少女ハーテレは、おじから性的虐待を受けて抗うつ剤を飲んでいる。身内からの性被害はきちんと裁かれるのかを聞くと、オスコウイ監督は、ハーテレの場合は映画の撮影をきっかけにおじは刑罰を受けたと教えてくれた。
「ハーテレについた弁護士が彼女をフォローしてくれたこともあって捕まった。ハーテレの場合はそうだったけれど、被害者は被害をなかなか言わないから捕まらないこともある。
ハーテレのおじは彼女の姉にも性虐待をしていた。おじはわざわざ軍服を着て権力者のフリをしていたから、女性たちはそれまで怖がって声を上げられなかったんだ」
権力者あるいは権力があるフリをする者の加害行為が見逃されるのは、どこの国でもあることだろう。それが「わざわざ軍服を着て」というわかりやすさがあるかないかの違いだけで。
オスコウイ監督は、「イスラム教の国は性的な犯罪をとても厳しく裁く」と繰り返した。性的な行為へのタブー感が強いからと。なるほどと思う一方で、疑問も湧く。性的なタブーの強い国では、それだけ性被害が表に出づらい問題がある。表に出る事件だけを、罪と認められる事件だけを、厳しく裁いているだけなのではないか。
試しに、夫婦間のレイプについて聞いた。夫婦間のレイプは、裁かれるのかどうかについて。オスコウイ監督は、「それは聞いたことがない」という。
「自分の夫は何をされても夫だから。我慢できなかったら離婚すればいい」
夫婦間でもレイプは裁かれるべきだと私は思う。夫から妻であっても、妻から夫であっても。
他の「先進国」と同様に、日本の刑法では一応、夫婦間のレイプを裁くことができる。だからその点はイランよりも進んでいるように思う。ただ日本では法があっても、現状では夫婦間のレイプを訴える人はほとんどいない。
オスコウイ監督はどう思うだろう。次にお会いしたときは、そんなことを話してみたいと思った。
11月2日(土)より、東京・岩波ホールほか全国順次公開。