【光る君へ】花山天皇の実像にせまる~歴史を変えた「女好き」(藤原氏 家系図・相関図)
2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の女性文学『源氏物語』の作者・紫式部と、平安時代に藤原氏全盛を築いた藤原道長とのラブストーリー。
主演の吉高由里子さんと相手役の柄本佑さんはもちろん、脇を固める個性あふれるキャスティングが、その作品世界を鮮烈に彩っている。
今回はそんな中で、初登場の子役の変顔から、扇を足で自在に操る(ずいぶん鍛錬したに違いない)本郷奏多さんのエキセントリックな魅力で話題沸騰の「花山天皇」にスポットを当ててみようと思う。
花山天皇とはどのような人だったのか?「大河ドラマにあるまじきゲスさ」といわれつつも人気の帝によって、のちの世はどう変わったのか?について考察する。
花山天皇は本当に「女好き」だった?
「母娘同時に」は本当のこと?
花山天皇の登場シーンは妖しい。まず普通に座って登場することがほぼない。
最初に視聴者の度肝を抜いたのは、母と娘を同時に寵愛したという話。(以下、性的な内容に抵抗のある方は、読むのを控えていただけたらと思う)
「母と娘は手ごたえも似ている」とぬけぬけとクソまじめな為時(紫式部の父)相手に語っていたが、母娘に同時に手を出したのは史実であると伝わる。しかもその時点ですでに花山天皇は出家していた。それだけでも問題だが、なんと母娘両方に子ができてしまう。
さすがに外聞が悪いため、子は二人とも父の冷泉天皇の子として育てられることとなった。それでも人の口に戸は立てられぬ。母・中務の産んだ清仁親王は「母(おや)腹宮」、娘・平平子の産んだ昭登親王は「女(むすめ)腹宮」と呼ばれたという…
ご乱心は神聖な場でも寝所でも
花山天皇の「ご乱心」は枚挙にいとまがない。即位式に用いられる神聖な高御座で女官と性行為に及んだというのは有名な話。
ドラマでは花山天皇が登場するたびに過激なシーンが続く。宮廷でも人事が思い通りに運ばぬからと言って、側近の冠をはぎ取ってしまう。これは現代のわたしたちが「下着を取られるのに等しい」辱めだという。
ここで思い出したのが、2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、宮沢りえさん演じるりく(牧の方)の兄の牧宗親(山崎一・演)が、「後妻打ち」をおこなった罰として「髻(もとどり)」を切られるシーンである。
りく殿の兄には悪いが、あんなにショックを受ける様子に、イマイチピンとこなかった人が多いのではないか。
貴族・武士の時代を通じて、冠は「社会的地位を表す象徴」だった。冠をかぶるために不可欠な髻を失うことは「社会的地位を保てなくなる」=「辱め」となったというのである。
今回の花山天皇がおこなったように「象徴」である冠そのものを取り去ることも当然、大いなる「屈辱」だったのだ。
花山天皇が、寵愛する女御・藤原忯子(しし / よしこ)(井上咲楽・演)の手を縛って行為に至るシーンにも無駄にドキドキさせられた。忯子はその後「寵愛されすぎて」寝込んでしまう。一体どのようなプレイをしたというのか。
後宮の女性らは「女冥利に尽きるわね」と噂し合うが、平安の雅な世でも、人は下世話な話が好きなのである。
花山天皇の「女好き」が歴史を変えた?
女好きが自身の政治生命を終えるきっかけに?
この大河における花山天皇はややコメディリリーフ的な役割を担うが、実のところ彼は「悲劇の天皇」なのである。(この先は大河ドラマを楽しみにみている方にとっては、ネタバレとなるので注意!)
花山天皇は、即位後たった2年で藤原兼家・道兼親子に陥れられて退位させられてしまう。
985年、花山天皇の子を懐妊した忯子が17歳の若さで亡くなってしまう。11日の大河ドラマではそこまでが描かれた。
嘆き悲しんだ天皇は出家を望むようになる。当時は何かというとすぐに出家したがる人が多い。よほど現世に無常を感じ、御仏に救いを求めるのだろう。いや、御仏のもとで花山天皇が現世以上に自由にふるまえるとも思えないのだが…。
側近(藤原義親(よしちか)ら)は一時の気の迷いであろうと天皇をどうにかなだめるが、天皇の「出家願望」に目を付けたのが、道長の父である藤原兼家(段田安則・演)。右大臣にして時の権力者である。
そもそも、忯子の死にしても、兼家らが望んだことである。安倍晴明(せいめい / はるあきら)(ユースケ・サンタマリア・演)に忯子のお腹の子を呪い殺すよう命じたシーンは記憶に新しい。恐ろしいのはそう望んでいたのは兼家だけではなかったこと。晴明すら絶句するほど、ずらりと並んだ重鎮たちの姿が、花山天皇の危うい立場を表している。
史実として伝わるのは、兼家の息子・道兼が言葉巧みに花山天皇に近づき、一緒に出家しようと誘った、ということ。内裏から天皇を連れ出して、天皇が剃髪したのを見届けると、道兼は「父に挨拶してきます」と立ち去ったのだ。天皇が「騙された」と気づいてもあとのまつり。
こうして986年、花山天皇退位。
女好きが歴史をも変えた?
もっとも法皇となってからも、花山帝の女好きはおさまらなかった模様。上記にも書いたが、「母娘同時」も出家後の話。また、亡き忯子の妹である四の君のもとに通っていたという。よほど忯子が忘れられなかったと考えれば一途ともいえるのだが、そもそも出家してるわけだし。出家の理由も忯子の魂を弔いたかったらでは…?とまぁ、それはさておき。
出家から10年後(996年)には、藤原兼家の長男・道隆(井浦新・演)の息子たち、伊周(これちか)と隆家に、花山法皇が襲われる事件が勃発。法皇は衣の袖を弓で射抜かれてしまう。
伊周も忯子の妹のもとに通っており、「俺の女に手を出しやがって!」と、怒りに任せて暴挙に出たが、実は伊周の恋人は三の君だったため、まったくの人違いだったという話。
しかし、元天皇を襲ったとあっては、「人違いでした」では済まない。このとき、すでに道隆も道兼も故人で、伊周と道長が藤原氏のボス争いを繰り広げていた最中だった。この件はおおいに道長に利用されて、伊周兄弟は失脚してしまう。二人は流罪となり、彼らの妹である皇后定子はショックのあまり出家してしまうのだ。
さらに定子は出家したことで皇后としての職務を果たせなくなり(※)、道長に娘の彰子をゴリ押しして中宮にするきっかけを与えてしまう。
(※天皇の住まい・内裏に僧形の后が入ることは許されなかった)
つまり、花山法皇が四の君のもとに通っていたことで、一番得をしたのは道長だったのである。彼の女好きが、道長が栄華を極めるきっかけとなったともいえる。
ややこしいので、系図をつくってみた。F4(藤原4)と呼ばれるイケメンたちと道長との関係性もスッキリわかるようにしてみた。
誰が敵で誰が味方か?親戚でも裏切り密告が当たり前の時代
道長の兄・道隆は見た目もよく、人望も厚かったといわれる。それなのになんでその息子たち(伊周と隆家)はこんなにアホなのか?彼らは血の気が多く、許されて京に戻ったのちも、道長暗殺を企てたり、彰子とその親王を呪詛したりといろいろやらかしては露見する、を繰り返した。
なぜ、企てはバレるのか?
11日の放送でも、道長にF4の一人、行成が「花山天皇の後見である藤原義懐(よしちか)が、公任や斉信らを集めて『天皇一派』を作ろうとしている」と耳打ちしていた。このように「自分の出世」のために密告する者は少なくなかったのである。
行成は道長にとって従兄の子で、花山天皇にとっては従弟。本来なら天皇側の人間である。そのような人物にも天皇は見放されていたのだ。漢詩の会で最初に読み上げられた行成の書。彼はものすごく字がうまく、三蹟の一人に数えられる。
花山天皇に溺愛される妹(忯子)の見舞いにかこつけて、自身の立身出世を願う斉信(ただのぶ・はんにゃ金田・演)は道長にとって従弟。清少納言(ファーストサマーウイカ・演)に一目ぼれされたようだが、彼の方もまんざらでもなさそうである。今後の展開が楽しみだ。
イケメンぶりが冴えわたる公任(きんとう・町田啓太・演)は、道長にとっては、はとこにあたり、同じ年である。姉の遵子は円融天皇の中宮。真面目でやや不器用な実資(さねすけ・ロバート秋山・演)と公任は従兄弟同士。
なお、実資はドラマの通り裏表がなく、ある意味融通が利かない人物だったそうだ。なんと90歳まで生きるというので、まだまだ活躍が楽しみである。
いずれにしても現代だったら「親戚」と呼ぶ人々の間で、このように陰謀が渦巻いていたのが平安時代。決して優美で雅やかなだけの時代ではなかったのだ。
(文・イラスト / 陽菜ひよ子)
主要参考文献
ワケあり式部とおつかれ道長(奥山景布子)(中央公論新社)
紫式部日記(山本淳子)(角川ソフィア文庫)