【ビールの歴史】泡とともに流れた時代の記憶!日本ではいつからビールを飲んでいたの?
日本に初めてビールが姿を現したのは、1613年です。オランダ商船が平戸に運んできたこの「麦の酒」は、異国の珍味として日本人の前に登場しました。
だが、その評価は芳しくなかったのです。
1724年、徳川吉宗に献上されたビールに対し、『和蘭問答』を著した今村市兵衛は「殊外悪しき物」と切り捨てています。
初見の飲料に戸惑う姿が目に浮かぶようです。
本格的な醸造が始まるのは幕末のこと。
1812年、長崎出島のオランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフがビールを醸造したのが記録に残る最初の試みです。
その後、開国とともに横浜に外国人の醸造所が設立されます。1869年、ジャパン・ブルワリーが創業し、翌年にはアメリカ人コープランドがスプリング・ヴァレー・ブルワリーを開業しました。
外国人や上流階級向けにビールが供されるようになったのです。
一方、日本人による醸造の試みは、1853年、蘭学者川本幸民の実験から始まります。
産業規模での醸造は1869年、品川に建てられた工場が最初とされるが、商業的な成功を収めたのは大阪で渋谷庄三郎が販売した「渋谷ビール」が嚆矢です。
その後、各地で醸造所が相次いで設立され、1876年には札幌の「開拓使麦酒醸造所」が官営ビール事業として設立しました。
ここで製造された「札幌ビール」は、日本ビールの基礎を築いたのです。
明治後期になると、ビール産業は急速に拡大します。
1888年、「キリンビール」が発売され、1890年には「ヱビスビール」、1892年には「アサヒビール」が市場に登場したのです。
これらのブランドは、現在でも多くの人々に親しまれています。
この頃には、大資本から地方の中小醸造所まで、明治期の地ビールブームが沸き起こり、全国で100社近くの醸造所が設立されました。
しかし、1901年の酒税法施行が風向きを変えます。
製造数量基準を満たせない中小醸造所は次々と倒産し、大資本による吸収が進みました。
1906年、日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒が合併し、「大日本麦酒」が誕生します。
さらに1907年、三菱財閥が「麒麟麦酒」を設立するなど、ビール業界は再編を迎えました。
こうして、日本のビール産業は、大衆の手に渡る飲み物へと成長したのです。
泡立つビールの歴史は、異国からの小さな一杯から始まり、今や日本の食卓を彩る欠かせない存在となっています。