惜別・トワイライトエクスプレス~その「特別」を支えた人たち~
JR西日本の豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」が、ついにラストランの日を迎えた。現在、大阪から札幌へ、また札幌から大阪へ向かっている列車が到着した時、25年余りにわたるその歴史にピリオドを打つことになる。
筆者は今年1月に発売された鉄道雑誌で、「トワイライト」に2室あるA寝台個室「スイート」を乗り比べるという、往復乗車ルポを書かせていただいた。実は筆者が「トワイライト」に乗ったのはこの時が初めてだったのだが、きっかけはほんの気まぐれで、半年後の廃止が発表されて少し経った頃、「せっかくだから、大騒ぎになる前に一度くらい乗ってみるかな」とふと思ったからである。最初はB寝台に乗車し、LCCで帰ってくるケチケチ旅行の予定が、数々の幸運が舞い降りての往復スイート乗車となったのであるが、そこで感じたのはこの列車の「徹底した特別さ」だった。以来、このルポを含めて半年間で5回「トワイライト」に乗車する機会を得たのだが、乗るたびに「トワイライト」のトリコになり、愛着が湧いてきた。
例えば、札幌行きの「トワイライト」が大阪駅を発車すると、まず「いい日旅立ち」をバックに車内放送が入る。「皆様の夢を乗せまして、トワイライトエクスプレス、大阪駅を発車いたしました・・・」まさに今、旅が始まったんだという、何とも心憎い演出である。そう、「トワイライト」は移動手段ではなく、乗ること自体が既に旅の一部なのだ。
最上位客室「スイート」は編成に2室。1室は列車の最後尾(1号車)にあり、札幌行きでは流れゆく景色を独り占めできる。前後が逆になる大阪行きでは残念ながら機関車と「にらめっこ」だが、これはこれで鉄道ファンにとってはたまらない。もう1室は2号車の中央部にあり、こちらは天井まで伸びた窓から日本海の景色を眺めることができる。居住性がいいのも2号車スイートの特長で、例えばシャワー室がトイレと別になっているので、シャワーを使用した後でも床が濡れず快適だ(展望スイートやロイヤルは、シャワー室がトイレと共用なので、シャワーを使用した後は床が濡れてしまう)。A寝台個室には液晶テレビ(列車案内や映画などが流れる)やドライヤー、大きな鏡、冷蔵庫(スイートのみ)まであり、窓際のライトや壁にかかった絵など、まさに「ホテル」である。食堂車に通じるインターホンもあり、ルームサービスも可能。快適すぎて、部屋から出たくなくなるくらいである。
快適な旅を味わえるのは、A寝台の乗客だけではない。食堂車「ダイナープレヤデス」では、予約制のディナーのほかに時間帯に応じてランチタイム・ティータイム・パブタイム・朝食などがあり、弁当ではない、車内で調理した料理を誰でも味わうことができた。そもそも列車の中でメニューを開いて料理を頼む、という行為自体がもはや絶滅寸前である。ゆったりしたテーブルで、スモークサーモンやスペアリブをつまみにウイスキーをちびり。ほろ酔いになったところで隣のサロンカー「サロン・デュノール」へ移り、真っ暗な中を時おり踏切の灯かりが見える景色を眺めながら、同じテーブルに座った人と語り合う。筆者もここで、160回以上も「トワイライト」に乗車した方や、定年退職の記念に子供からチケットをもらった夫婦など、いろんな人と出会った。時には車掌さんも会話に加わり、気が付けばもう午前2時・・・寝台列車ならではの出会いや人とのつながり、ゆったりとした時間がそこにはあった。移動手段としての寝台列車ではなく、乗ること自体が楽しめる、むしろ寝てしまうのがもったいないのが「トワイライト」だった。
そして、そんなトワイライトをより特別な存在にしていたのが、車掌さんや食堂車クルーなどのスタッフたちだ。放送での沿線案内はもちろん、手が空いた時にはサロンカーに赴き、様々な話で乗客を楽しませてくれる。車内に備え付けられた手作りのスタンプや、車掌さんお手製の「乗車記念カード」などをもらった方も多いだろう。自分の制服を記念撮影用に貸してくれたり、大雪で列車が止まった時には即席のジャンケン大会が開催されたりと、「少しでも楽しんでもらおう」という気持ちで乗客をもてなしてくれた。後日、お世話になった車掌さんを見かけて挨拶すると、自分の名前を覚えてくれていた、という経験をした人も多いだろう。こんな経験、今まで他の特急列車ではなかった。いわんや地方のローカル鉄道ではなく、何千人もの車掌がいるJR西日本で、だ。
スタッフにとっても「トワイライト」は特別な列車だった。「トワイライト」の乗務を最後に退職した方や、逆に最後の「トワイライト」乗務が終わり、思わず目を潤ませた方。大阪駅で入線してくる列車に向かって食堂車クルーが一斉にお辞儀をするのは有名だが、これも「自分たちにとっても「トワイライト」は特別な列車であり、ここで仕事ができるのを誇りに思う」という気持ちの表れだ、とクルーが話してくれた。そういえば、最終日を前にして天候不良で運休となった便があったが、乗客はもちろん、乗務する予定だったスタッフの皆さんの無念はいかほどのものであったか、察するに余りある。
「トワイライト」を陰で支える人たちも同様だ。仕事を終えた車両が”ねぐら”である網干総合車両所・宮原支所に戻ってくると、次の出発に備えて大勢のスタッフが準備にかかる。ベッドメイキングや車内清掃、汚水を抜き取り水を入れ替え、発電用エンジンの燃料を補給する。真冬の車体洗浄や炎天下での検修などを引き受ける彼らも、「トワイライトは特別な列車」だと話してくれた。
「トワイライトは、JR西日本の中でも特別な列車です。もっと走ってほしいし、もっと走れると思う。でも、お客様から特急料金を頂いて、それ以上の「夢」を預かっている列車として、その夢が壊れてしまうまで使うことはできない。まだ特別な存在でいられるうちに引退させてやるのが、一番「トワイライト」にとって幸せなんだと思います。」という、検修担当の方の言葉が心に響いた。
新幹線網が全国に伸び、LCCで飛行機移動が身近になった現在、交通手段としての寝台特急はもはや存在意義がないのかもしれない。でも、だからこそ「トワイライトエクスプレス」はこんなにも愛されたのだと思う。
「トワイライト」が刻んだ25年余りの歴史。その最後の6ヶ月でやっと素晴らしさを実感した筆者であるが、しかし最後のたった6ヶ月でさえ多くの思い出を、素晴らしい出会いをもらうことができた。「トワイライト」が運んだ延べ116万人の乗客、そのうちの延べ5人として、「トワイライト」に乗ることができて、「トワイライト」の歴史に触れることができて、そして「トワイライト」のスタッフに出会えて、本当に良かった。
2年後に登場するJR西日本の新たな豪華寝台列車には「トワイライト」の名が受け継がれるという。だが、少なくとも筆者にとっての「トワイライト」は、2015年3月13日に終わる。みどりの窓口で切符が買え、ちょっと背伸びをすれば誰でも乗れた特別な列車。それが「トワイライト」だった。新たな豪華寝台列車は、JR九州の「ななつ星in九州」ほどではないにせよ、おそらく何か月・何年も前から予約をし、乗車料金もそれなりの金額で、ドレスコードもあったりと様々な準備が必要になるだろう。せめて「トワイライト」の名を継ぐからには、そのホスピタリティが受け継がれることを、心から願いたい。
トワイライトエクスプレス、本当にありがとう。お疲れ様でした。