人を通してイラク戦争を考える -家族と両腕を失ったアリ・アッバス君 (2)「ヒロシマってすごいね」
2003年3月末、イラク戦争で米軍による爆撃で両親、兄弟、両腕を失った、イラク人少年アリ・イシュマル・アッバス君は、2006年、15歳になった。英チャリティー団体の支援でロンドンに住み、医療ケアを受けながらも元気に生活できるようになった。異なる文化、環境の中で、毎日をどのように生きているのだろうか?ケア先で会ったアリ君の、一見屈託なさそうな姿を前に私は何度か質問をはばかられる思いがしながらも、戦争が彼の心にどのような影を落としているのかを聞かずにはいられなかった。
ー「日本にぜひ行って見たいな」
アリ君が住んでいるのは、ロンドン近郊にある住宅街。交通量の激しいバス通りが近いものの、緑が多い環境で、こじんまりとした中流階級の家がいくつも並ぶ。
玄関のブザーを鳴らすと、ケアをしているフランス人女性がドアを開けてくれた。「いらっしゃい」。
居間に入ると、アリ少年と、同時期にバグダッドで爆撃を受け、右手と左足を失ったアーマド・ハザム君(17歳、当時)が出迎える。
学校に行くときだけ義手をはめているというアリ少年は、サッカーのマンチェスターユナイテッドのシャツを着ていた。ソファーに腰掛けて、やや恥ずかしそうにこちらを見ている。アーマド君は17歳よりは随分年少に見え、アリ君と反対側のソファーに一人で腰掛けた。
2人の少年は、2003年夏、世界でも義足、義手の技術水準が高いといわれる英国で、生活をしながら医療ケアを受けるためにやってきた。ロンドンのチャリティー団体、リムレス(義手義足)協会が中心となって集めた「アリ基金」が2人の生活費などを支援している。
当初はアリ少年の叔父モハメドさんが2人の面倒を見ていたが、現在はイラクに戻っており、リムレス協会や他のチャリティー団体のボランティアの女性たちが、交互にこの家で少年たちと寝食を共にしている。
「何でも聞いていいのよ」、と、協会のメンバーで在英イラク人のミナ・アルカティブさんが言う。
「お父さんは何をやっていたの?」と聞くと、「タクシーの運転手だったんだよ!」と誇らしげに語るアリ君。イラクでの生活の様子や、英国に来るまでの経緯を、アリ君、アーマド君、アルカティブさんたちが、交互に話してゆく。
3年前までは、英語力は全くゼロだったというアリ君だが、早口の英語でどんどんしゃべる様子は、英国で生まれ育った子供かと錯覚するぐらいだ。アーマド君は自分からは殆ど話さず、アリ君のしゃべる様子を、うなずきながら、楽しそうに聞いている。二人が知り合ったのは、英国に来る前、クウェートの病院でリハビリを受けているときだった。「兄弟のように」仲がいい、とアルカティブさん。
アリ君の一番好きなことは、サッカーだった。「週末にはサッカーの試合をしているし、サッカーのゲームもするし、テレビもサッカーばかり」。丁度ワールドカップが始まったばかりだったので、2人の少年に「どこが勝つと思う?」と聞いてみると、二人が同時に「ブラジル!」と叫んだ。
「食べることも大好きだよ。全くもう、この子たちの食べる様子といったら、すごいよ。馬みたい」とアルカティブさん。
「スシが大好きだよ」とアリ君。「学校の勉強では地理が好き。美術もね。展覧会もやったんだよ、知ってる?」
アリ君は、チャリティーのために、足を使って絵を描いた。今年、この絵をリムレス協会主催の展覧会に出したのだった。
腕はなくても、足の指を使ってコンピューターを操り、ゲームをしたり、グーグルでバグダッドの自宅付近の地図を見たりすることもあるという。「義手は学校でしか使わないんだよ。重いから、自宅でははずしている。学校ではみんなと同じと見られたいからね」。
「日本から来たんでしょう?ヒロシマって、すごいよね。原爆で全部吹き飛ばされたんでしょ。何もなくなったのに、今はたくさんビルが建ってるんだってね。日本はすごいね。本当にすごい・・・。」
アリ君は、ヒロシマとバグダッドを重ね合わせてみたのだろうか?
「それに、動物のロボットってあるよね、あれがすごい」。
何のことか最初分からずにいると、一生懸命、その「ロボット」が何かを説明しようと、足や上半身をゆすった。「(ソニーの)アイボのこと?」「それだよ!」
「日本はテクノロジーがすごいよね。僕の両腕もハイテクで作ってくれないかな?できるかな?」
まるで自分の本当の腕のように、自由自在に動かせる、重さを気にせず使える腕を、アリ少年は本気で欲しがっているようだった。
「日本に行って見たいんだよ」とアリ君が言うと、アーマド君も、「僕も行ってみたい」。「記事の中に、アリとアーマドが日本に行きたいと言っていた、と書いておいてね」
―「戦争は嫌い」
少年のこれまでを書いた「アリ・アッバス・ストーリー」という本の中で、アリ君は多くのジャーナリストが彼に話を聞きに来るのは、バグダッドの爆撃で肉親や両腕を失ったからだろう、としている。
「メディア関係者や支援者たちの支えがなければここまでやってこれなかっただろう」と述べながらも、有名になるよりも、「誰にも知られないままのほうが良かった」と本音をもらしている。「肉親や両腕を失くして有名になったり、人気になったりするよりも、むしろ普通で、両親がいたほうがずっと良かったな」
どんな質問にも冗舌に答えるアリ君だが、取材に来たからには、聞きにくいことを聞かなければならない。「イラク戦争に関して、どう思う?」なんていやなことを聞くのかと、自分自身、鳥肌が立つ思いだった。
「うーん・・・戦争はね、誰にとってもいやなものだと思う。戦争が好きな人はいないよ」。アリ君の横には大きな画面のテレビがあった。イラクから送られてくる番組が放映されていた。連日、自爆テロなどで人が命を落としているイラクの様子を伝えるニュースも,このテレビを通して見ているのだろうか?
「でも、生まれたときからずっとイラクは戦争をしていたようなものなんだよ」
アリ少年は1991年生まれ。90年夏にはイラクがクウェートに侵攻していた。クウェートから撤退するべきという国連決議にイラクが応じず、91年1月、米国は空爆を開始し、湾岸戦争が始まっている。
イラクに住む子供たちにとって、戦争ごっこは遊びの1つだったという。
さらに聞きにくいことを聞いてみる。「英国に住んでいることに関してはどう思う?英国は米国と一緒にイラク戦争を開始したよね。爆撃した側の国にいることになるわけだけど・・」
アリ少年は、少し言葉に詰まった。答えたくないのではなく、どういったら一番いいか、考えている様子だった。
し かし、ほんの一瞬の隙をついて、アルカティブさんが介入した。「そういうことは本人に聞かないで欲しい。まだまだ、立ち直っている段階なのだから」。アルカティブさんがきつい表情になったのは、このときだけだった。突然の緊張の理由は、後で学校を訪問したときに分かることになるのだが。
「ねえ、サッカーするの、見せようか?」とアリ君が声をかけた。
―「筋がいいね」
居間を出て、裏庭に出た。アーマド君とアリ君は、足を器用に使ってサッカーのボールを動かしだした。ヘッディングもなかなか上手だ。サッカーをすると聞いて最初は驚いたが、考えてみると手を使わないスポーツだった。
写真を撮ろうとして2人の側にくっついていた私のところにも、ボールが何度か来た。
私は、小学生時代を思い出し、ボールを返した。「へー、なかなか、筋がいいねえ」とアリ君に言われる始末だった。
ひとしきり写真を撮り終わって、居間に戻る。「アーマド君、一人で遠くのソファにすわっちゃダメだよ、こっちにおいで」というと、2人して1つのソファーに座った。
改めて近くからアリ君を見ると、ロンドンの無料紙メトロの紙面上で最初に見た、バグダッドの病院のベッドに横たわっていた12歳の少年の面影はほとんど消えていたが、大きな黒い瞳に、昔を思い出させる雰囲気が残っていた。「よく生きていたね。良かったね」。
「学校はどう?給食は西洋式の食事でも大丈夫なの?」
「僕とアーマドのために、学校は特別なイスラム式のランチを作ってくれるんだよ。たった2人のためにね。すごいでしょ」とアリ君。
「日本食について、ものすごく知りたいことがあるの。いつもおかしいなあと思っていたんだけどね。日本人って、お箸を使うよね。2本の棒みたいなやつね。それでいつも不思議だったんだけど、あれで、どうやって豆とか、ちいさくてころころしたのを、掴むの?」
箸を持って豆を拾う格好をするアリ君の様子を見て、側にいたアーマド君が、笑い出す。「拾えないよね?拾えないよ、普通。変だよ」といって、アリ君も笑い出す。
「箸の先をすぼめて、拾えるんだよ。今度やって見せるよ」、と説明しても、2人は私の言ったことには納得できないようで、ころころ笑うばかりだった。
取材を終えて、2人の自宅を出た。バスに乗って、近郊にあるショッピングセンター前で降りた。
丁度お昼時になっており、青空の下、家族連れの買い物客が、オープンカフェでくつろいでいた。カフェの中央には噴水があって、子供たちが水遊びをしていた。
アリ君とアーマド君のことがまだ頭の中にあった。住んでいる家はミドルクラス用のもので、環境もいい。通っている私立の学校は学費を免除してくれたので、無料で教育を受けているという。24時間のケアをしてくれる人もいる。私はアリ君に「良かったね」と言った事を思い出した。
でも何が「良かった」のだろう?
両腕と肉親を失ったけど、周りの人が優しくて、衣食住が十分に足りていて、安全で平和な英国の暮らしが保障されているから、「良かったね」とは言えないはずだったのに。失った両腕と肉親に取って代わるものはないだから。
子供としてバグダッドで生きていた、というそれだけで、両腕を失ったアリ少年。彼の自宅からバスで10分もかからない場所にあるオープンカフェでは、人々が太陽の日差しを楽しみ、子供たちが遊んでいた。その平和な光景と少年が受けた傷の部分との間のギャップは大きいように思えた。 (つづく)