【日本選手権10000m展望①】日本記録に挑戦する田澤廉。どんなプロセスで“今”があるのかに注目
パリ五輪代表選考会を兼ねた日本選手権10000mが12月10日、東京・国立競技場で行われる。パリ五輪の参加標準記録は男子27分00秒00。この記録を突破して優勝した選手がパリ五輪代表に即時内定する。
男子優勝候補の田澤廉(トヨタ自動車)が、11月末に合宿先のアルバカーキ(米国の高地トレーニング場所)から取材に応じ、日本選手権への思いや現状について語った。
「日本記録を出したい思いはあります」(田澤)
どの試合もそうかもしれないが、田澤廉(トヨタ自動車)の日本選手権10000mも“流れ”、つまりどんなプロセスの途中にいるかが重要になる。
目標を質問すると田澤は次のように答えた。
「日本記録(27分18秒75)を出したいな、という思いはあります。あとは優勝ですね。ある程度のタイムで優勝すればポイントを稼ぐことができます。パリ五輪につながるレースというところも意識しています」
田澤の自己記録は27分23秒44。駒大3年時の21年12月に出したタイムで日本歴代2位、学生記録である。日本記録との差は約5秒。
田澤の近年の実績なら「目標は日本新記録」と言い切って良い。上述のような言い方になったのは、「僕は変わっていない」という思いが強いからだ。
今季は3月に27分28秒04のセカンド記録日本最高をマークしたのをはじめ、以下のような戦績を残した。
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27分28秒04 3月4日(THE TEN@米国、サン・ファン・カピストレノ)
27分51秒21 5月4日(ゴールデンゲームズinのべおか)
27分40秒40 5月20日(NIGHT OF THE 10000m PBS@英国、ロンドン)
29分18秒44 7月12日(アジア選手権@タイ、バンコク)
28分25秒85 8月20日(世界陸上@ハンガリー、ブダペスト)
28分18秒66 9月30日(アジア大会@中国、杭州)
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「3月のアメリカのレースは世界陸上標準記録の27分10秒を切りに行ったレースでした。8000mくらいまでは挑戦できましたが、そこから失速してあのタイムになった。日本記録を出すために参考とするならあのレースだと思います」
そこから少しでも力が付いていれば日本記録を更新できるわけだが、田澤は「力が付いていれば、ですけどね」と、懐疑的な様子を見せた。
「僕は変わっていないと思います。試合に出過ぎて強化期間が作れませんでした。去年までは夏合宿もできましたし、強化期間も何カ月か取れていました。成長できなかったのは単純に、強化期間が取れなかったからです」
田澤はかなり自分に厳しい見方をする。現状を良い方向に解釈して、自分を奮い立たせる意味で前向きな発言をするようなことはしない。
芯の疲労が取れていれば自己記録更新も
学生時代から引き続き田澤を指導するのが、駒大総監督の大八木弘明氏だ。大八木氏も「世界陸上に行くために試合が多かった。練習をしっかり行う期間を確保できなかったのは事実」と認める。
世界陸上の標準記録突破のために、3月に米国、5月に英国のレースに出場した。標準記録は突破できなかったが、エリアチャンピオンになれば世界ランキングで出場資格を得られる可能性があった。7月のアジア選手権遠征は、記録は望めない気象条件だったが勝つことに意味があった。
大八木氏は続ける。
「アジア大会後は芯の疲労が取れていませんでしたね。でも日本選手権に向けて約3週間、良い練習ができているかな、と思います。アルバカーキ(米国の高地トレーニング拠点)に行った11月前半は動きませんでしたが、強化期間の練習を行って、やれることはしっかりできたと思います」
大八木氏は練習中のデータを細かく取り、その後の練習の参考にしてきた。駒大の指導を始めて29年目になるが、その姿勢は徹底している。
そしてデータだけではなく、指導者には選手の動きから状態を見抜く力が重要だ。駅伝で結果を残している指導者は、その能力が高いといえるだろう。
大八木氏は「自己記録の時の状態に少しずつ近づいている。自己新を出してくれたらいいかな」と言う。大八木氏に話を聞いたのは、田澤の取材の1週間ほど後である。断言する口調ではなかったが、田澤が上り調子になっている可能性は高い。
「外国選手が取り組んでいることを取り入れた」(田澤)
田澤は現在、Road to Paris 2024(標準記録突破者と世界ランキングのポイントを1国3名でカウントした世界陸連作成のリスト)で18位に位置している。男子10000mのパリ五輪出場枠は27人。標準記録をその人数が突破しなければ、世界ランキングのポイントを上げることがパリ五輪出場につながる。
田澤も「日本選手権も13分30秒で5000mを通過してくれたら」と、標準記録突破を狙う意欲を持っている。「標準記録を破るくらいでないと世界では戦えません」。だが今季の“流れ”では、そこに挑戦できる状態にできなかった。
目の前の現実を見れば、今年3月のタイムを上回り、なおかつ順位ポイントの高い日本選手権で優勝すれば、Road to Paris 2024の順位は上がる。冒頭の田澤のコメントにあるように、日本記録前後を出すことと優勝することが、今できる最善のことかもしれない。
今回は日本選手権では初めて、電子ペーサー(ウェーブライト)が導入され、男子は27分15秒(女子は30分50秒)に先頭のペースが設定された。それに乗った田澤が自己記録を更新するのか。さらには日本記録に届くのか。実際のところはやってみないとわからない。強化練習期間が少なかった今季の流れを、短期間で覆す結果まで期待すべきではないかもしれない。
だが1つだけ、今季の成果という部分に田澤が言及した。
「大きく成長できたと感じられるところはありませんが、その中でも外国選手が取り組んでいることを取り入れようとやってみました。少しはその成果が出たかな」
今季は国際大会を多く経験したことに加え、3月のレース前の米国や、世界陸上前のスイス・サンモリッツなどで、海外のクラブチームと一緒に練習する機会も多かった。
その点を大八木氏が補足してくれた。
「練習のやり方を見たり、会話をしたりする中で、日本選手と違うところ、足りないと思ったところを田澤が試しています。インターバル練習のジョグの走り方だったり、セット間の休み方だったり。ロングインターバルとショートインターバルの組み合わせ方も、ですね。自分にプラスにできるものはないか、考えて実行していますよ」
メインで走る距離のタイムを、今以上に上げることはなかなかできない。しかしジョグのスピードを速くしたり、休憩時間を短くしたりするなど、工夫する余地はある。
そのやり方でも負荷はかなり大きくなる。おいそれとできることではない。だがそこに取り組んでいるのが田澤である。単に結果を見るのでなく、どんなプロセスに今いるのか。そこを理解するほど、記録に挑戦する田澤の“今”を感じることができる。