「大河らしくない」と言われても作戦変更はしなかった。「どうする家康」チーフ演出・村橋直樹の覚悟
ただ、チューニングは行った
すべては最終回に向けてーー
「どうする家康」全48回中、13回を演出し、最終回を担当するチーフ演出・村橋直樹にインタビュー。「どうする家康」で行ったトライと、第1回からコツコツと積み重ねてきた、たったひとつの大切なことについて、語ってもらった。前編
――第44回、「徳川幕府誕生」のラスト、本多忠勝の肖像画をかなり効果的に使われていました。
村橋直樹(以下村橋)「最後に家康の背中を肖像画が見つめるカットは、第1回から出ていて、長い間、家康と共に歩んだ本多忠勝への思いと、演じた山田裕貴さんへの思いを込めました」
――村橋さんは第18回「真・三方ヶ原の戦い」の演出も担当されていました。この回、命を落とす忠勝の叔父・忠真(波岡一喜)の、形見のひょうたんをその後、持ちたいというアイデアを、山田さんが出され、それがその後、古沢さんの台本にフィードバックされていたと聞きました。村橋さんが伝えたのですか。
村橋「僕というか、僕ら、スタッフの総意ですね。それに限らず、現場で追加されたことを、古沢さんは柔軟に受けとめてくれる作家さんでした。ただ、そういうことができるのは、長期の撮影が行われる大河ドラマならではのことです。通常の5〜10回くらいのドラマでは、撮影がはじまったときには台本は書き終わりかけのことも多いですけれど、大河の場合は、現場で起こったことのフィードバックが可能な1年間に及ぶプロダクションなんです」
演出としては腕が鳴った最終回の台本
――村橋さんは最終回を担当されるそうですが、どこに力を込めましたか。
村橋「大河ドラマの最終回は、1年間見てくださった視聴者の方々へのサービス的なものになってしまうところがあります。というのは、史実によって主人公の迎える結末があらかじめ決まっているからです。明智光秀のように三日天下で中途半端に死んでしまう人もいれば(「麒麟がくる」ではボカされた)、坂本龍馬のように、絶頂の中で理不尽に死んでいく人もいたり、いろいろな最後があるとはいえ、誰が脚本を書いても、誰が撮っても、大筋の描き方は変わりません。ところが、古沢さんは、そうではないラストシーンを書いてくれました」
――皆が想像するラストではないと。
村橋「ここまで徳川家康の人生を、48回、積み上げてきて、大体、第47回ぐらいで、結末がなんとなく見えたかなと思うじゃないですか」
――はい。大坂冬の陣が終わって、夏の陣があって、豊臣が滅びて、江戸が繁栄していく。家康の死まで描いて……としか想像できませんが。
村橋「けれど、『どうする家康』は第48回まで見ないと、家康の人生を語れない、なんなら47回までのすべての回は語れない、という最終回になっていて、これはもう演出としては腕が鳴りました。とてもおもしろい台本でした」
――最終回を楽しみにしたいと思います。ここからは、「どうする家康」のこれまでを振り返っていただきます。最終回を含め、全部で13回分、演出を担当されました。演出統括が加藤拓さんで、村橋さんはチーフ演出ですね。
村橋「これまでにない体制で、僕もはじめて経験するものでした。今回、1年を通して、ロケを減らして、スタジオ内でLEDウォール背景となる映像を投影して撮影を行う試みを行いました。その仕組み作りや番組の大枠の構成の責任者を加藤拓さんが担当し、現場での役者のお芝居まわりのこと、従来の演出に関することの責任者を僕が担当しました」
大河ドラマらしくないものを、あえて
――チーフ演出として、大河に参加するのは初めてになりますか。
村橋「初めてです。若い僕がチーフをさせていただいてありがとうございますという気持ちです」
――若いチーフ演出として、今回のプロジェクトで試みたことを教えてください。
村橋「全体的に若い座組でしたが、先輩たちが作ってきた大河ドラマの良さをリスペクトしながら、新たに、若い大河ドラマを目指しました。徳川家康といえば、割腹のいい狸親父が、ドンッと貫禄のある姿で鎮座しているイメージがあると思います。が、古沢さんの描いた家康は、従来のイメージとは真逆の、あたふた動きまわるキャラクターでした。『どうする家康』というタイトル通りに、何かにつけてどうする? どうする? と逃げ回る家康を、どう芝居に落とし込んで表現していくか考えた結果、序盤は、とにかく、パブリックイメージとは違う家康に、大河ドラマらしくないと、ぶっちゃけ言われましたけれど、あえて、それをやっていこうと思ってやっていたんです。若い演出チームになったのは、そのためでもありました」
作戦変更はしなかった
――大河ドラマらしくないという意見を意識して、後半、若干作戦変更したのか、それとも最後まで押し通したのか、どちらでしょうか。
村橋「作戦変更はなかったです。古沢さんは、最終回まである程度決めて、計算して全48回を作っていたので、僕らは古沢さんの思い描く最終回に向かって作っていきました。従来の家康ではなく、巻き込まれ型の家康であるという、古沢さんが強い思いで書いたこの企画の根本は決して変えない。逆に言うと、こんな家康、おかしいよと言われることは、ある種ガッツポーズでした。狙い通りなのだから。もちろん、大河ドラマらしくないとか、そんなことはやめろとか言われたら、心は折れますよ。でも狙いは届いているから、何ら揺らぐことなく、古沢さんの台本を信じて進めました。ただ、主人公の変化を視聴者が求めることもわかります。それに、僕ら演出する側や、演じる側も、1年間、全48回という長いスパンのドラマを見てもらうためには、変化を作りたくなるもので。そこは、分岐点を明確に作るように心がけました。まずは、瀬名の死、それから、信長の死、とポイントを決めて、外面的な変化をつけながら、家康の心情はどうなのか、それをどういうふうに見せていくか、視聴者の反応も鑑みながら、チューニングみたいなことをその都度、行いました」
――チューニングというと、第26回「ぶらり富士遊覧」が印象的でした。
村橋「あそこがまさにチューニングの第1回です。外見的にも、家康が月代を剃り、信長は、家康の態度の変化を感じます。松本潤さんとも、あそこを分岐点に芝居を変えていこうと事前に話し合いました。オールスタッフにも、第25 、26回は、第3部のスタートになる、ここからはガラリと違うドラマを作るということを共有して、一丸となって取り組みました」
――信長は家康がしたたかに変わったように思うけれど、家康は「えびすくい」を踊りながら、つらい気持ちを噛み締めていることがわかる場面は、家康という人物がどういう人なのか視聴者に感じさせるうえでとても効果的だったと感じます。
村橋「それはよかった。台本を読み込み、えびすくいを踊るときの感情や、どういうふうに踊るか、どこまで家康の心情を見せるか、松本さんと考えました。その結果は、もちろん、古沢さんにもちゃんとフィードバックしています。ただ、なんでもかんでも現場で出た意見を古沢さんにお伝えしているわけではないんです。作家が自由に書く幅を狭めてしまわないように、あえて言わないこともありました」
――なんでも共有するわけでないのですね。
村橋「少なくとも僕は、思っていることを言ったり言わなかったりしながら演出しています。それは演出に限ったことでなく、おそらく、脚本家も僕らにすべての意図をさらけ出しているわけじゃないと思うし、プロデューサーもそうで、ここはこういう意図でやっています、こんなことを思っています、ここは泣かせたいです、みたいなことを一から十までは言わないものですよ。余白の部分をそれぞれがどう解釈するか、それが面白さでもあります。古沢さんには最初の思いをとにかく持ち続けてほしいと思いながら、そのアイデアを活かすために、こちらで工夫する部分を考えました」
秀吉の死の瞬間の茶々の表情
――村橋さんの演出回は、台本の良さを底上げする画の力があって、毎回楽しませていただきました。強く印象に残ったのが、第39回「太閤、くたばる」で秀吉(ムロツヨシ)が死ぬときの茶々(北川景子)です。直前まで酷いことを言っているのに、いざとなると泣いてしまう、あれはどなたのアイデアですか。
村橋「台本に書かれたセリフを読み込み、茶々の心情を北川景子さんと話し合って膨らませていきました。あのときは都合でリハーサルができなくて、現場に入ってから行ったことですが、偶然、僕と北川さんの思いが一緒だったんです」
――どんな思いですか。
村橋「悪女のように、一色に見せたくはないと思いました。今の時代なら、自分の感情のままに生きやすいけれど、あの時代の人たちは、自分の感情に素直に生きられない。個よりもっと重要なものがあるから。茶々の場合、お市や父親の浅井長政(大貫勇輔)や信長(岡田准一)から託された、天下をとるという目的がすべての原動力になっています。でも、きっと、それとは違う茶々も絶対にいたはずで、目の前の死んでいく秀吉には、父や母を死に追いやった憎しみももちろんありながら、その一方で、ドラマではそんなに描いてないですけれど、ずっと茶々を愛し続け、特別扱いしてくれた恩も感じているはずだと。こういう、公の自分と私の自分のせめぎあいが、時代劇ならではの面白さだと思うんです。そしたら北川さんも同じような事を考えていた。彼女は、どう見せるかということよりは、秀吉に愛されてきたから、死んだら悲しいと思うし、でも憎しみの部分もあるしで、ここは泣いてしまうだろうと。北川さんは、茶々の母・お市から演じていて、お市から茶々のクロニクル的なものを体感してきて、誰よりも理解しています。その北川さんと意見が一致したので、これは絶対に強い表現になるなと確信しました」
――村橋さんの演出は若手としてのフレッシュさもありつつ、叙情性は、どんな年代の人が見てもグッとくるものを撮られる方だなと思っていて。それは『青天を衝け』でもそうだったし、『家康』だと、同じく第39回、酒井忠次(大森南朋)が死ぬ雪の場面が素晴らしくて。ご自身は叙情性みたいなことをどう考えてらっしゃるんでしょうか。
村橋「台本に書いてある通りにやっています。……というわけでもないですが、読んで浮かんでくるものを形にしているんです。例えば、人物が泣く姿が浮かんだとき、人が涙を流したり何か感情があふれたりする瞬間って動けないものだと僕は思っていて。動かない人間をどう見せるか考えたとき、雨とか雪とかを降らす。その人がもう動けない、立ち尽くすしかないのだということを表現するために周りを動かすんです」
俳優の感情が生まれる瞬間を邪魔しない
――俳優の皆さんも多分、村橋さんを信頼してすごくよく動けるのだろうなと思うのですが、どういう風に現場で演出しているんですか。
村橋「僕は、俳優さんに任せるタイプで、自分から、こう動いてと言わないようにしています。ただ、こうなってほしいというビジョンはあるので、誘導というわけではないけれど、自然にそうなるような状況を作ることはあります。例えば、照明のいい位置にいてほしいと思ったとき、そこに自然に足が向くように。他者から言われて動くより、自分で選びとったことが、結果、俳優さんにとって最適な選択だったというふうになることが一番です。監督はそんなことしなくても『あそこに立ってください』と指示することもできますが、そうしないことで、芝居が良くなると僕は信じているんです。それはつまり、俳優の感情が生まれる瞬間を邪魔しないということです」
――雨や雪によって感情が自然に出るということですよね。三成が家康と初めて会って星を見る場面もすごく楽しそうでした。
村橋「あらかじめ決まった画を撮るのではなく、俳優がどう動くかどうかわからないなか、カメラで追っていくことで、俳優やカメラマンの生理が場面に生きたりするものだと、常に考えながらやっています。僕はもともと報道の人間で、NHKに入る前は報道番組を作っていましたから、どこか芝居の空間に照れがあって。嘘の雨や雪を降らしながら、どうやってドキュメンタリーのように生っぽく撮るか考えてしまうんです」
――第44回の幼い千姫と江(マイコ)が追いかけっこしてぐるぐる回っているのもよかったです。
村橋「僕は、演出とは、いわゆるみんなが思うお芝居のお約束みたいなことを剥がす仕事だと思っているんです。……なんて、僕の演出論のようになってしまっていますが(笑)」
――「どうする家康」をどんな人がどんなふうに思って作ったか、村橋さんの挑戦によってどんな効果がもたらされたかを記事にしたいです。生っぽいものを求める村橋さんが、ロケの少ない、スタジオ撮影の作品をやったことはいかがでしたか。
村橋「今回、家康のほぼ全生涯を描くにあたり、まず、現代で『家康』のドラマを作るためにはどうする? というところからスタートしました。たいていの武将はひとつの土地が活動拠点になります。例えば『おんな城主 直虎』は最初から最後まで井伊谷が主な舞台でしたから、ひとつのセットを作ってじっくり描けました。ところが、家康は次から次へと活動拠点を移動していきます。そしてその都度、戦いがあり、戦場が必要になります。LEDのテクノロジーの力を借りなければ、このプロジェクトは成立しなかったんですよ」
――今後はずっとVFXに頼るわけではなく、作品によって選択肢は違っていいと。
村橋「LEDウォールは画角が限られてしまうので、自由にカメラを振りたい僕としては、難しい部分もありました。なにより俳優のお芝居が狭まってしまうので。ただ、LEDだからこそ出せたスケール感もありますから、ロケも平行してやっていけるといいなと思います」
――苦労されたことはありますか。
村橋「LEDを使ったVFXは、映像を先に作るため、その分、台本も早い完成を求められます。場合によっては、こちらで事前に場面を予測して画を準備することもありました。第46回の真田丸のシーンは、台本があがる前から、たぶん、あるぞ? いや、ないかも?と予想して動いていました(笑)」
実年齢と役年齢の違いは、大河ドラマではよくあること
――生っぽさを好む村橋さんは、例えば、俳優の年齢が実年齢と違うことはどう思うのでしょうか。例えば、佐藤浩市さん演じる真田昌幸は家康より若いはずが、堂々たる年上に見えて、SNSをざわつかせました。
村橋「実年齢と役年齢の違いは、大河ドラマではよくあることです。『青天を衝け』でも、渋沢栄一の孫を演じる俳優の年齢が主演の吉沢亮さんより上でした。全員の実年齢と役年齢を成立させることには無理があります。家康は14歳から70代まで、松本潤さんがひとりで演じるにあたり、ほかの役の年を合わせることは諦めました。昌幸は、老獪で、表裏比興の者と言われ、乱世の酸いも甘いも噛み分けた人物なので、家康主観では、年上に見えていたんじゃないかという想定です。人物デザインの柘植伊佐夫さんとも相談して、今回は、昌幸に限らず、誰もが家康からどう見えたかということにしました。実年齢や史実、肖像画はこうだったということは気にしないことに。第44回の本多忠勝がまさにそうで、家康にとっては彼はかけがえのない、同級生のような存在で、でも忠勝当人は、いかつい強そうな肖像画を残したかった。というように、すべては家康の脳内の世界で、家康が死んだ瞬間に終わってしまう世界でいいんじゃないかと思っていました」
――だからこそ、秀吉も光秀もいやな面が前面に出ていた?
村橋「古沢さんがそこはものすごく明快に書いてくださいました。登場人物のクセを強調して、キャラクターナイズして描くことに長けた作家さんですよね。ただそれをそのままビジュアライズするのではなく、柘植さんと話しながら、古沢さんの世界とリアルなところとのギリギリを狙いました」
――最初のチーフ演出の仕事がこのようなチャレンジングな作品であったことをどう思いますか。
村橋「見た人全員に受け入れられる作品は今や作れないという感覚があるなかで、大河や朝ドラは、できるだけ多くの人に見られるものを大命題にあげたコンテンツです。それはある意味、不可能なことに挑んでいる気がして。だからこそ、多くの人に支持されるものを意識して、様々なニーズに耳を傾けることで、マーケティング的なつくり方にはならないように、自分が作りたいものを作るのだという、強い信念をもってやるべきだと思っています。『どうする家康』ではそれができたと思います」
――その一方で、伝統へのリスペクトもすると。
村橋「僕は、時代劇が好きなんですよ。先程もお話したように、時代劇でしか描けないことがあります。時代劇ならではの人間の心は、日本のみならず海外にも注目されていますから、大河をはじめとして、時代劇の伝統は守っていくべきと思います。その点、時代劇を1年かけて放送できるのは、今、NHK の大河ドラマしかない。伝統を守りながらアップデートしていきたいですね」
――改めて、最終回に向けて、メッセージをお願いします。
村橋「最終回まで見ないと『どうする家康』は語れません。家康の本質を最後まで掘り続けます」
後編につづく
Naoki Murahashi
1979年生まれ。愛知県出身。制作会社にてドキュメンタリーから、バラエティ、音楽、スポーツ番組と、幅広くテレビ番組の演出、プロデュースを手掛けた後、2010年にNHK入局。2013年にドラマ制作へ。2018年、「透明なゆりかご」、2019年「サギデカ」で文化庁芸術祭大賞を受賞。2020年「エキストロ」ではじめての映画監督を務めた。大河ドラマは「おんな城主直虎」「青天を衝け」の演出を手がけた。
どうする家康
NHK総合 毎週日曜20:00~放送 BS、BSプレミアム4K 毎週日曜18:00~放送ほか
主演:松本潤
作:古沢良太
制作統括:磯智明
演出統括:加藤拓
音楽:稲本響