米メディア買収→総資産22兆円!自動車産業を確立した「ヘンリ・フォード」とは
「もしも大富豪になれたら」と、考えたことはないでしょうか。
歴史上の大富豪に数えられるヘンリー・フォードは、推定時給80万円を超えるともいわれる資産家ですが、彼は農家の家庭に生まれた庶民のひとりでした。
今回は、ヘンリー・フォードがどのようにして大富豪にまで上り詰めたのか紹介します。
※本記事の内容は様々な方に歴史の魅力を感じていただけるよう、史実を大筋にした「諸説あり・省略あり」でお届けしています。
・農家に生まれたヘンリー
1863年7月30日、ヘンリー・フォードはミシガン州ディアボーン(アメリカ合衆国中西部)のグリーンフィールドで誕生。
農場を経営する父ウィリアム・フォードとベルギー移民の末っ子だった母メアリ・リトルゴット・フォードのもとで生まれ、6人兄弟の長男として愛されました。
10代にプレゼントされた懐中時計に興味示し、15歳になると友人や近隣住民の時計を分解・修理するなど、技術者の片鱗を窺わせる少年時代を過ごしています。
しかし、1876年に最愛の母メアリ・リトルゴットが死亡。
失意のどん底にいたフォード少年に対して農場を継いでほしいと伝えた父ウィリアムでしたが、フォード少年は「僕が好きだったのは農場にいた母だ。農場を愛していたのではない」と切り捨てています。
・躍進
ヘンリー少年は16歳で高校を中退し、発展途上のデトロイトへ出て見習機械工として働きました。
その後、1882年に蒸気機械の修理工として再就職。
技術者としての研鑽を積んだ彼は、1891年に発明王トーマス・エジソンのいるエジソン照明会社の技術員として務めています。
エジソン照明会社で出世した彼は、1996年に自作四輪自動車を製作。
そんな彼の自動車への想いを知った社長のトーマス・エジソンは、自立と自動車開発の道を進むことを後押ししたといいます。
そして1899年、ヘンリーは「デトロイト自動車会社」の創業に携わり、副社長兼チーフエンジニアに就任しました。
・失敗と成功
念願の自動車会社の創業を叶えたヘンリーですが、厳しい現実の壁にぶち当たります。
当時、ヘンリーが生産した自動車は低品質・高価格であったこともあり、創業から数年で会社が倒産してしまうのです。
再起を図るヘンリーは、1903年に「フォード・モーター・カンパニー」を新設立。
目下の課題であったコストダウンを再現し、さらに運転性能を向上させた「T型フォード」を発表します。
このT型フォードが大ヒット。
売り上げの一部は、当時全米で流行しはじめていた新聞の広告に投資。
さらに、アメリカの全地域でT型フォードを購入できる販売システムを確立したのです。
こうして資金を増やした彼は、1913年に大量生産を実現するベルトコンベアの生産ラインを導入し、5年後の1918年にはアメリカに存在する約半分の自動車がT型フォードとなりました。
・名言
ヘンリー・フォードは数々の名言を残したことでも知られる人物です。
とくに有名なのが、「努力が効果をあらわすまでには時間がかかる。 多くの人はそれまでに飽き、迷い、挫折する」という名言かもしれません。
挫折や失敗を経験し、最後まで諦めなかった彼の発言だからこそ意味を成す言葉です。
夢を目指すなら、ヘンリー・フォードのように諦めず挑戦を続けることが成功への道筋なのかもしれません。
福山自動車博物館にはヘンリー・フォードの蝋人形があるほか、世界で生産された数々の自動車が展示されています。
気になった方は、ぜひ足を運んでみてください。