北朝鮮男子サッカーへの「処罰」は? 過去は2年間の出場資格停止から平壌開催権の剥奪まで
北朝鮮は国際試合では何かとトラブルを起こす。極端な言い方をすれば、トラブルメーカーと言っても過言ではない。
古くは、夏季五輪に初出場した1972年のミュンヘン五輪で最後の一発で米国の選手を逆転し、北朝鮮に史上初の金メダルをもたらしたライフル射撃選手が外国の記者から金メダルを取った心境を聞かれた際に「米帝国主義の心臓を打ち抜くつもりで撃った」と発言し、物議をかもしたことがあった。
また、2008年の北京五輪では銅メダルをかけた3位決定戦で逆転負けし、泣き崩れた北朝鮮の柔道選手を主審が立ち上がるように何度も促しても、立ち上がろうせず、相手の選手を称えようともせず、会場を去るまでずっと泣き叫んでいた衝撃的な出来事があった。
サッカーでは2010年W杯第3次予選で韓国と同じグループに入ったことで北朝鮮がホームでの開催の際に韓国の国旗の掲揚と国歌の演奏を拒み、また応援団の人数の入国制限やマスコミの数も制限したことから揉めに揉め一時は平壌での開催が危ぶまれたことがあった。
日本が初優勝を飾った2011年7月のドイツでの女子W杯でも北朝鮮は問題を起こした。出場した16チームの中で、唯一北朝鮮の女子選手だけが、それも5人もドーピング違反したことが発覚し、2015年の女子W杯カナダ大会から除外され、W杯ドイツ大会の賞金40万ドルと同額の罰金が科せられた。
日本にとっては何と言っても印象深いのは2011年11月の平壌でのW杯予選試合での5万人の大観衆によるブーイングであろう。
北朝鮮の観客の多くは自国のチームが直前のウズベキスタンとの試合に敗れ、予選落ちしていたとは知らされていなかった。言わば、消化試合にもかかわらず、観客は北朝鮮選手に大声援を送り、その逆に日本にはブーイングを浴びせていたのである。
この他にも1964年の東京五輪は金メダル候補の女子陸上選手の出場が認められないことに反発し、日本に入国していたにもかかわらず土壇場でボイコットし、2021年の東京五輪も「新型コロナウイルス」を理由に不参加を表明し、IOCから2022年末まで五輪参加資格停止処分を受けていた。
今、中国の杭州で行われているアジア大会のサッカー男子準々決勝での日本と北朝鮮の試合も北朝鮮選手らのラフプレー、マナーの悪さが目立ち、後味の悪いものとなった。
怪我に繋がりかねない背後からのタックル、試合終了後の主審への猛抗議、さらにはペットボトルを渡した日本のスタッフへの拳を振り上げた威嚇などどれもこれも常道を逸していた。相手に対するリスペクトもなく、スポーツマンシップの微塵もなかった。そのことは北朝鮮に6枚ものイエローカードが出されていたことが物語っている。
事態を重く見た日本サッカー協会(JFA)及び日本代表の森保一監督はアジアサッカー連盟(AFC)と国際サッカー連盟(FIFA)に意見書を提出したが、日本の選手の安全を守るうえで、また今後、北朝鮮にフェアプレーを徹底させるためにも必要な措置であることは言うまでもない。
特に日本としては6日に行われるサッカー女子のアジア大会決勝戦の相手が北朝鮮に決まったことや来年から始まる2026年W杯の予選で北朝鮮と同じ組に入り、3月21日に日本で、26日には平壌で対戦することからAFCとFIFAに早急な対応を求めたいところである。
北朝鮮に対しては何らかの処分が出されるものと思われるが、果たしてどのような処分が下されるのだろうか?
男子サッカーチームの2年間の出場資格停止から平壌開催権の剥奪、監督及び問題の選手の出場停止処分、罰金など様々な処罰が想定されるが、過去に北朝鮮は同じような処分を何度も受けていたことはあまり知られていない。
例えば、約40年前の1982年にインド・ニューデリーで開催されたアジア大会の男子サッカーの試合でも今回同様に同じような光景があった。
準決勝でクウェートに敗れた北朝鮮の選手やスタッフらは試合終了を告げるホイッスルが鳴るや、主審に詰め寄り、暴行を加えていた。この時は、北朝鮮に2年間の国際試合への出場停止処分が科されていた。
また、2006年のW杯出場を掛けて2005年3月30日に平壌で行われた対イラン戦では負けた北朝鮮の選手らが主審の判定に猛抗議したことから観衆までがエキサイトし、ピッチに椅子を投げ込むなど暴動化したことがあった。この時のFIFAの処分は北朝鮮のホーム開催権の剥奪であった。その結果、6月8日に平壌で予定されていた日本との試合は第3国(タイ)で、それも無観客で行われることになった。
この時は一人も負傷者が出なかったことから大暴動が起きたコスタリカーアルバニア戦や105人もの逮捕者が出たマリー戦よりも開催権の剥奪という厳しい裁定が下されたことに「厳しすぎる」と、韓国内では北朝鮮に同情する声が上がっていた。
実際に、当時FIFAの副会長だった韓国サッカー協会の鄭夢準(チョン・モンジュン)会長は「厳しすぎる」として、FIFAに対して処分を軽減するよう働きかけていた。また、ドイツW杯組織委員会のベッケンバウア委員長(当時)も「北朝鮮でW杯の予選競技が行われたことは一度もなかった。国際大会の経験も不足している北朝鮮当局が一生懸命準備してもミスはありえる。北朝鮮が異議を申し立て、FIFAがもう少し状況を理解すれば、処分が軽減されるかもしれない」と北朝鮮に同情していた。しかし、FIFAはルール、規則に則り、厳格に北朝鮮に処分を科していた。
今回の北朝鮮の違反行為についてJリーグの初代チェアマン、川淵三郎氏が自身のX(旧ツイッター)で北朝鮮のプレーは「明らかに日本選手の怪我を狙った酷いプレー」と断じ、同時にそれを見逃し続けたレフェリーにも苦言を呈した上で「(北朝鮮の選手らは)試合終了後もレフェリーに突っかかっていたが、何らかの処罰が科せられるべき行為だった」と、北朝鮮に何らかのペナルティーを科してしかるべきと綴っていた。
思えば、前述の2006年ドイツW杯に向けた2005年6月8日の日本とのホーム試合が第3国での開催となったのも当時、日本サッカー協会会長だった川淵氏が4月4日に来日したFIFAのブラッター会長に対して第3国での開催を働きかけたことがきっかけとなっていた。当時、川淵会長は北朝鮮に対して「東アジアのサッカー発展のため我慢してもらいたい」と、開催地変更を説得し、第3国で開催する場合に北朝鮮が負担する財政の支援を示唆していた。
昔も今も国交のない、「反日の国」での開催は日本にとってリスクが伴うのは言うまでもない。従って、可能ならば、平壌での開催を回避したいというのが日本の思いかもしれない。
歴史は繰り返されるのか?AFCとFIFAがどういう裁定を下すのか、興味津々だ。