【東京電力・東電賠償・原発賠償・風評被害】東電の不誠実な対応 ~東電賠償を500件扱った弁護士の感想
2011年3月11日の東日本大震災の際に起きた福島の東京電力原発事故から奇しくもちょうど8年が経過した日に、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電旧経営陣三人の公判が東京地裁で結審しました。
裁判の中で、東電側は改めて大津波の予見可能性はなかったとして無罪主張の最終弁論をしましたが、これに対して賛否の意見が多数出ており、当然ながらまだまだ東電の原発事故に対する責任の内容については、国民の関心は高いようです。
そこで、上記は東電旧経営陣の刑事責任に関するニュースでしたが、今回は、東電の民事責任、つまり原発事故による賠償責任(東電賠償、原発賠償などと言われることがあります)について触れてみたいと思います。
*初めに、本記事を書くに当たって、私自身が東電賠償の案件を被災者側に立って約500件扱ってきたものの、恣意的に被災者側を優先しないよう意識したことと、現在、私は同業務を基本的に扱っておらず、本記事を広告目的で書いていることはないということをお伝えしますが、それでもなお本記事の中立性については慎重にご判断いただければ幸いです。
さて、東電賠償についてですが、「原子力損害の賠償に関する法律」(以下「原賠法」といいます)第3条には、以下のとおり、原子力事業者(今回は東電)の民事責任は無過失責任であることが規定されています。
「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。」
無過失責任とは、東電の過失、つまり、事故への予見可能性や、予見可能性を前提とした結果回避義務の如何にかかわらず、原則的に賠償責任を負うというものです。
ただ、原子力損害が「異常に巨大な天災地変」や「社会的動乱」によって生じた場合には責任を免れると規定されています。しかし、立法化される際の専門家会議では、ここでいう天災地変とは、例えば関東大震災の3倍以上の大きさのようなものが想定されていたように、東日本大震災であっても免責要件を満たさないことは政府見解としても東電見解としても争いはありません(なお、これは民事責任の話ですから、冒頭のニュースで刑事責任を否定する東電旧経営陣の弁論は法的には成立しうるものです)。
このように東電への原発賠償について、過失要件については問題なく認められていますが、実際に賠償する際の原資がどこから捻出されているかといえば、ほぼ全て国民負担となっています。
正確には、賠償資金の大半は、原賠法及び原子力損害賠償・廃炉等支援機構法に基づき、国が同機構に対して交付国債(一定の条件の下、国に対して金銭請求できる債権。実質的には税金による金銭支給)を交付し、さらに同機構がそれを元手に東電に対して賠償資金を交付し、それが原資として使われています。つまり、税金が国債や機構を迂回して、東電に支払われている状態です。
ちなみに、賠償資金として予定されている交付国債は現時点で13.5兆円にも及び、かつ東電ホームページによれば2019年3月8日時点で実際に8兆7000億円が賠償金に充てられています。
これは被災者に支払われる賠償金本体の金額で、賠償対応のための東電内部の費用や弁護士等の専門家費用は含まれておらず、こういった内部費用は、電気料金を値上げする等の方法で捻出しており、実際、東電が電気料金を値上げする際には賠償対応費用を盛り込んで経産省に値上げ申請がなされています。
もっとも、このような税金が被災者に支払われるというお金の流れ自体は正当なものと考えています。
なぜなら、国民が選んだ国会議員により立法化された法律を前提として、原発が推進されてきた上、原発による恩恵は国民全体が受けてきたにもかかわらず、原発事故の損害は主に東北地方を中心に発生してしまった以上、国民全体で被災地域を支援するのが公平だからです(原発がある地域には平時から様々な恩恵を受けているという意見もありますが、今回のような甚大な被害に相応するものではありません)。
そして、これだけ莫大な国民負担が生じる以上、税金そのものと同様に、その賠償金の分配については正当性、公平性が強く求められ、かつ、一定の民主的コントロールが及ぼされるべきです。
ちなみに、被災者が東電に対して東電賠償を行う際には、主に3つの方法があります。
1つ目が、被災者が東電に対して、裁判外で直接賠償請求を行う方法です。一般に「直接請求」と呼ばれています。
東電側が速やかに適正な賠償を行う場合には被害弁償がなされるという最大のメリットがありますが、加害者であり賠償責任者である東電が賠償額を算定する手続きである以上、必然的にその賠償額は低く抑えられがちで、被災者に対して十分な補償とはならないことが多いのも実情です。
実際、僕が数百社単位で担当していた宮城県内では、東電の指示に従って段ボール数箱にも及ぶぐらいの大量の資料を提出させられた挙句、一切の賠償を拒否されたりと、事務負担だけかけさせられて全く話にならなかったという相談が無数にありました。しかも、後述しますが、これらが不当な請求だったわけではなく、後にほぼ全てのケースで賠償が認められるものであったにもかかわらずです。
2つ目が、原賠法に基づいて、文科省に臨時的に設置された機関である原子力損害賠償紛争審査会(の中に設置された原子力損害賠償紛争解決センター)を仲介機関として、ADRの申し立てをする方法です。ADRとは、裁判外紛争解決手続きの略で、調停のようなものですが、直接請求との違いは二者構造ではなく、加害者である東電、被災者、これらの間に立って中立的な立場から損害すべき金額を算定する上記仲介機関という三者構造となっています。そのため、加害者である東電が一方的にこれだけなら払ってもいいと算定する直接請求とは異なり、中立・公正な国の仲介機関が判断することから、より公平で相当な結論に導かれやすい手続きとなっています。ただし問題点は、仲介機関の判断には強制力がなく、結局、東電が了承しなければ被災者救済には至らないという点です。
3つ目は、民事裁判です。2つ目のADRは中立・公正な国の仲介機関が判断してくれますが、これをさらに推し進めて裁判所による判断を受けることができるのがメリットです。しかも、ADRと異なり、判決による強制力も認められます。
ただし、最大の問題点として、上記の2つの手続きと異なり、非常に時間がかかり、また、訴訟そのものの経済的、時間的、事務的な負担が大きいため、被災者の大半である一般個人や中小零細企業がこの手続きを採るのはそもそも難しいことが多いです。
さて、本記事ではこのうちADRについて私の体験談を述べたいと思います。
ADRでは、中立・公平な国の仲介機関が賠償額について算定していきますが、それを担保するために、原賠法に基づいて賠償指針が策定され、公表されています。ちなみに、この賠償指針のことを「中間指針」と呼びますが、中間という名がついているのはあくまでも現時点における賠償指針だからであって、それだけ原発事故による損害の全容を把握することは難しいという前提に立っているからです。
中間指針には、東電と被災者との間の紛争が早期に公平に解決できるように、最低限認められるべき損害を分類化して明記されており、中間指針記載の損害については当然賠償がなされ、中間指針に記載されていない損害については別途協議すべきことが前提となっています。
そして、この賠償指針は中立・公平な国の仲介機関が策定したものである以上、加害者である東電、被災者のどちらにも不当に有利・不利に偏ったものではないことが前提となっており、だからこそ、東電は自らのホームページでも、賠償指針を踏まえて仲介機関が提示した和解案を尊重して手続きの迅速化に取り組むことを明言しています。
しかしながら、実際は、以下のニュースのように、東電はADRによる和解案を続々と拒否しています。
こういった東電の不誠実な姿勢に対して、安倍首相や経産相らからも非難の声が出ています。
このような非難は当然で、被災者側からすれば、東電のこのような誠実な対応を期待しているからこそ、初めてADRに申し込むことができるというものです。なぜなら、ADRは仲介機関が両当事者の意見を聞いて賠償案を作成するものの、強制力がなく、最終的には東電と被災者の合意がなければ賠償が実現しない手続きだからです。
つまり、もし東電が自らにとって都合の良い賠償案だけ合意して、都合の悪い賠償案については合意しないという恣意的で不誠実な対応をする可能性があれば、当事者の合意を前提とするADRで東電賠償問題を解決することを期待できないからです。
その結果どうなるかといえば、被災者はやむなく訴訟をせざるを得なくなりますが、そうすれば同じ賠償額が認められたとしても、弁護士費用等のコストが発生してしまうだけでなく、救済までの時間も長くなってしまいます。これは東電側も同じで、結局、東電側の賠償対応費用が上がってしまい、これが国民負担増加に繋がってしまいます。
そもそも、東電が自ら積極的に賠償に努めていれば、訴訟どころかADRすら必要なく、被災者が直接請求により被害弁償を受けることができれば、被災者側も東電側も紛争コストを削減できるわけです。
それを、出来る限りごねて賠償しないで済ませてしまおうという姿勢をとってしまうがために、結局全員の負担が増えてしまいます。
これは決して大げさな話ではありません。
上記のニュースでは、2018年末までに手続きが終了した約2万3千件のうち、東電の和解案拒否によって打ち切りとなった件数は121件と述べられていますが、実態は全くこんなものではありません。
ADRの約2万3千件のうち、特に風評被害による損害賠償を中心とした法人の被害に関する申立件数は5000~6000件程度で、そのうち私が扱った案件は約500件ありますので、それなりに全体を論じるに値する割合を見てきたつもりですが、私が担当したほぼ全ての案件で、東電は徹底して損害賠償義務は負わないとの主張を繰り返してきました。最後の最後まで、賠償責任はゼロだと主張し続けつつ、最後は仲介機関から一定の賠償金を支払う旨の和解案が提示され、渋々合意するという流ればかりでした。
ちなみに、損害賠償義務を負わないとの主張の根拠は、そもそも風評被害が存在しない、損害がない、因果関係がない等ですが、いずれも賠償指針に思いっきり書かれている損害累計についても堂々と否認してきます。なお、仮に賠償指針に記載されていない損害であっても、賠償指針は最低限認められるべき損害を列挙したものなので、これをもって責任を否定することはできないのですが、この点についても、東電は、最低限の責任以外は決して負わないという姿勢を全面に出しています。
私が担当した案件で、逆に、仲介機関すらも、この件では賠償すべき損害はないと結論付けたものは、1、2%程度しかありませんでした。
つまり、ほぼ全ての案件で、東電は、最終的には何かしらの賠償をすべきという実態があるにもかかわらず、最後の最後までゼロ回答をし続ける運用をしているということです。こういう態度であれば、専門家が代理人についていない場合には、諦めて泣き寝入りしてしまう被災者も少なくないでしょう。
もちろん、一般的には、紛争当事者がお互いにどんな主張をするのも自由であって、最大限自分に都合の良い主張をした上で出た結果こそ相対的に妥当な結果が出るというのが一般的な考え方にあるのも事実ですが、東電賠償については、原発事故という未曽有の公害事件において、加害者である東電が被災者に一方的に損害を与えてしまったという事案(明らかに罪を犯した刑事事件の被告人が全力で無罪主張しているのと変わらない状態)ですから、被災者の早期救済のためには、初めから妥当な落としどころを考えて協議していくことこそが、紛争の早期解決及び当事者双方の紛争コストを減らすことに繋がるはずです。
それでも、最終的に仲介機関が提示した和解案にすんなり合意するのであれば、自らホームページで述べている和解案の尊重にも一応は適っていますが、実際は、多数のケースで和解案を拒否しています。
上記ニュースでは、東電の和解案拒否により、最終的にADRの手続きが打ち切りになったのは121件とのことですが、実質的にはこれよりも遥かに多いです。
東電は、仲介機関が提示した和解案をそのまま承諾せずに、和解案の賠償金額の数分の1、時には10分の1以下の金額であれば合意すると一方的に告げ、しかし、零細の被災者側からすれば改めて訴訟する負担に耐えられないため、泣き寝入りで合意するというケースが多数存在しています。しかも、こういう低額での和解を事実上強要していることを世間に知られないためか、和解案の内容そのものについては秘密条項という、第三者に言わないようにという条項を付けようとすることも多いです。
僕が実際に扱った案件だけでも何十件もあります。
東電側の代理人は、ある程度決まった数人で、特定地域や特定業種を担当していますが、代理人ごとの特徴も大きく、ある代理人は中間指針にきちんと則って、支払うべきものは支払うという対応をしてくれますが、特定の代理人はともかく拒否をし続けて被災者が泣き寝入りするのを待つという不誠実な対応に終始する人もいます。
ADRは強制力がない手続きで、一方が拒めば他方はさらに譲歩せざるを得ないのですから、とりあえず拒否しておけば、和解条件は必ず東電に有利に変更されます。そんなことは東電側の功績でもなんでもなく、ただ元から加害者が有利な立場にあるということと、公平中立な仲介機関の出した結論を無視しているというだけのことです。
そもそも、和解というのは、双方にとって完全に納得はしておらず、各自の立場からすれば不合理な結論だけど、譲歩しようという誠実な態度が前提となる合意にもかかわらず、東電は、公平中立な仲介機関が出した結論に対して、不合理だの一点張りです。不合理と思いつつも、仲介機関が出した結論だから譲って合意して紛争を解決するための手続きなのですが、そういった理解がありません。
首相からの苦言も出されましたが、東電の対応が少しでも誠実なものに変わり、もはや専門家が代理人にならなくても、被災者の直接請求により、早期かつ適切に被害弁償がなされていくことを期待します。