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樋口尚文の千夜千本 第182夜『日本沈没』4Kデジタルリマスター版 樋口真嗣・清水俊文インタビュー

樋口尚文映画評論家、映画監督。
東京現像所にて樋口真嗣監督・清水俊文氏(撮影=樋口尚文)

4Kリマスターによって見えてくる演技と特撮の秘めしポテンシャル

最近、イマジカによる1976年の市川崑監督『犬神家の一族』の4Kデジタルリマスターの鮮やかな成果が話題となっていたが、同じく「超大作」として70年代の沈滞した日本映画界を席巻した1973年の森谷司郎監督『日本沈没』の4K修復に東京現像所が取り組んだ。

空前のベストセラーとなった小松左京の原作は現在もドラマ化されて話題となっているが、読者の熱気冷めやらぬ刊行年内に東宝が猛スピードで映画化したこの作品では、撮影所の培ったインフラと人材の底力が最大限に発揮された。そのドラマ部分では豪華な演技陣による凄まじい熱演、特撮場面では凝りまくった迫真のスペクタクルが展開、到底このスケジュールで作られたとは思えない濃厚な娯楽大作に結実し、大ヒットを記録した。

このたび日本映画専門チャンネルでの放映用に、東宝の数々の名作群を補正加工して蘇らせてきた東京現像所が73年版『日本沈没』の4Kデジタルリマスター版を完成させた。旧作『日本沈没』をこよなく愛し、自らも2006年にリメイク版『日本沈没』を手がけた樋口真嗣監督、そして本作業チームを代表して東京現像所営業部部長の清水俊文氏に、グレーディング・ルームでの試写直後にインタビューを試みた。

――樋口真嗣監督が最初に1973年版『日本沈没』をご覧になったのはいつですか。

樋口 僕は当時小2で親父と一緒に千代田劇場で観たんです。親父は何を期待していたのか「これは怪獣が出て来ない怪獣映画じゃないか」ってプリプリしていて(笑)、俺は「そこがいいんじゃん!」と大いにウケたんです。だってその直前の『ゴジラ対メガロ』なんてお約束のビル破壊のシーンすらない。映画興行が不振だったので、経費削減でミニチュアのビルも満足に作れなかったんですね。でもお正月大作の『日本沈没』は特撮も贅沢で、四国の山脈が割れるシーンなんか地底怪獣とか出て来そうじゃないですか。

清水 地震の時にキシッキシッと光が走るところや高速道路が断裂して落ちたりするところなんかも子供だましではなくリアルでしたね。特技監督の中野昭慶さんは続く『ノストラダムスの大予言』では福島第一原発の事故をこの時代に描いていました。

――『日本沈没』の東京地震のシーンでは、震動でビルの窓ガラスが割れて地面にふりそそぎ、歩行者の体に刺さるという惨劇が描かれますが、この作品の公開のすぐ後に起こった三菱重工ビルの爆破テロでまるで同じ状況が起こっていて唸りました。

樋口 あのシーンの迫真ぶりはトラウマになりましたね。そういうちょっとやり過ぎなくらい迫力のある特撮と、やり過ぎなくらい気合の入った演技の目白押しで映画全体に異様に力がみなぎっているんですよね。

――日本が沈没するというとてつもない設定に映画的リアリティを与えているのは、もちろん精巧な特撮の効果なのですが、それに勝るとも劣らずオールスター・キャストの力のこもった演技なんですよね。もうあの「顔圧」で日本を沈めている感じです(笑)

樋口 丹波哲郎さんが熱演する山本総理が皇居の門を開けてほしいと宮内庁に電話するシーンは、当時としては珍しく「頭痛にノーシン」のCMに使われたんですが、あの場面の丹波さんのヒロイックな姿は本当に感電しました。

清水 そのオマージュで2006年の樋口真嗣監督版『日本沈没』では丹波さんが写真出演されています。

――清水さんが73年版を最初にご覧になったのはいつですか。

清水 僕は実はずいぶん後で、80年代末にレーザーディスクになった時ですね。そのあと名画座でも観ましたが、フィルムはすっかり褪色して赤くなっていました。ただこうしてリマスターの作業をずっとやっている立場からすると、そうやって褪色しているフィルムを観ると、これは時代をくぐり抜けてきた歴戦の勇者なんだなと逆にいとおしくなりますね(笑)。

樋口 そうなんですよね。最近はリマスターされた作品も増えてきたので、旧作ほど真新しく見える逆転現象が起こってますから。今回の4Kリマスター版『日本沈没』はすごく鮮やかなうえに、今風のシャープでスマートなグレーディングを施されているので、冒頭のクレジットのバックの人であふれるプールや歩行者天国といった70年代の風俗描写が、あたかも最近撮った映像であるかのように見えてきます。

――すると今まで気づかなかった要素が気になってきたりしませんか。

樋口 当然これまで劇場で観ている時は丹波さんや小林桂樹さんの演技に釘付けになるわけですが、デジタルリマスターで隅々までくっきり見えるようになると、脇を固める幸長助教授役の滝田裕介さんがいきおいせり出してくるんですね。ここまで演技を工夫されていたのかという発見があって。総理との連絡役をつとめる三村秘書官役の加藤和夫さんにもつい目が行ってしまう。この頃の森谷司郎作品の常連ですね。

――加藤さんはけっこう癖のある悪役が多いのに、この映画では実直そのものでした。他にも森谷監督『首』で目立っていた個性派の大久保正信さんが「火事を防げば大丈夫」と言って洪水にのまれる下町の老人役でした。清水さんはこのリマスター作業によって特に何か気づかれたことはありましたか。

清水 この時代のフィルムの解像度の凄さを再認識しました。特撮シーンはもとより人物たちの顔ににじむ汗までひじょうに克明にとらえられていて、撮影現場の苦心の跡がそのまま刻まれているという感じでしたね。そういう意味では、藤岡弘、さんが富士の噴火に巻き込まれたいしだあゆみさんを探して夕陽に向って歩くシーンなどはそもそも凄い画なのですが、リマスターでいっそう素晴らしいトーンになりました。

――あの千載一遇のショットはどうやって撮影されたのでしょう。

清水 木村大作さんに「あの太陽はライトですよね」と尋ねたら、「いや、あれは本物の太陽なんだよ」とおっしゃるので驚きました。避難する人々の列にフライアッシュを降らせながら、あの太陽がいいポジションにあるところで一気に撮ったわけですから奇跡の画ですよね。

樋口 あれはやはり黒澤明監督『赤ひげ』の震災後のシーンへの、木村さんの敬虔なるオマージュではないかと。

――ところで『日本沈没』はHD化はされていたものの、リマスター作業は初めてですよね。

清水 そうなんです。今回はこの映画で当時B班のキャメラ担当だった木村大作さんに監修していただきました(注:メインのキャメラマンは村井博)。

――どんな工程だったのでしょう。

清水 通常はレストア(傷消し)をしてからグレーディング(映像の諧調・色調を整える画像加工処理)に移るんですが、今回はスケジュールの関係で先に木村さんの指示を受けてグレーディングを始め、レストアも並行して進め、最後にまた木村さんのチェックを受けるという変則的ながら二段階のチェックでした。このチームは大車輪で、『日本沈没』のレストアを行っているうちに『モスラ』のグレーディングを進めていたんです(笑)。

――作業は順調だったのでしょうか。

清水 カラリストの山下純君は木村大作さんの新作のグレーディングも手がけていて、さらに旧作も『八甲田山』『駅STATION』『夜叉』と担当してきたので、木村さんの補正の傾向もおおむねつかんでいます。たとえば木村さんは明るく眩しいディテールを好まれないので、画面内で明るく目立っている箇所は山下君が経験値を活かして先に仕込んでおいたので、木村さんも順調にオーケーを出してくださいました。

――順調ななかにも、特に木村さんがこだわった箇所といえばどこでしょう。

清水 意外にもオープニングの地球の大陸が変化してゆくシーンの明るさに関してはこだわっていましたね。あそこはOL続きなので匙加減が難しいんです。

――真嗣監督もおっしゃったように、今回はシャープで締まった、ちょっと今風のグレーディングになっていましたよね。

清水 木村さんは眩しい部分のほかに赤い色味もあまり好まれない。だからこの映画は藤岡弘、さんはじめ熱血の登場人物たちの顔色がヒートして赤く焼けた感じになっているので、そこは補正されていました。そこを始めとして全体の発色を抑え気味にしたところはあるかもしれません。

樋口 そもそも藤岡さんは海の男設定だから日に焼けてるのは自然なんですよね。いや、ずっと潜水艇の中だから陽はささないか(笑)。

――真嗣監督からご覧になって、この73年版『日本沈没』の特撮の妙味とは何なのでしょう。

樋口 まずこの時代の爆発なんて規模的に今やろうとしてもできないですからね。さらにこの時代の映画は、合成でごまかさないで相当部分を現場の一発撮りでやってのけている。しかも今日、当時の特撮パートの撮影助手だった桜井景一さんとご一緒に観ながら教えていただいて驚いたのは、ほとんど撮り直しをしているということですね。「東京地震で橋がかしいで水中に没する特撮カットは2テイク撮りましたが、黒スモークを焚いた中でのミニチュアの見え具合を吟味して結局1テイク目を使いましたね。三陸海岸の崩壊シーンのOKカットは2テイク目ですね」と桜井さんがもの凄い記憶力をもとに隣でコメンタリーされていたので唖然としました。あの凄いコンビナートの爆発も(中野)昭慶さんが「これじゃ足りない」って言って火薬を増量して撮ってスタジオの天井を焦がしたらしい(笑)。そんな豪胆にこれほどお金も手間もかかる特撮シーンを「撮り直そう」って言えるなんて凄すぎます。もうこの時代が羨ましいですよ。

――しかもこの映画は大作仕様だけれども製作期間はかなり短いですよね。

樋口 ゴールデンウィーク作品がお正月映画に繰り上がったんですよね。僕が2008年に『隠し砦の三悪人』をリメイクした時も半年繰り上がったんですけど、「いや『日本沈没』はそれでヒットしたから」って全くわけのわからない理屈を言われまして(爆笑)。

――清水さんはその樋口真嗣監督のリメイク版『隠し砦の三悪人』のチーフ助監督だったんですね。

清水 ひじょうにキツいスケジュールを組んだので各部門のスタッフに袋叩きにあいながら(笑)なんとか仕上げましたから、最初の『日本沈没』のスタッフの苦労はよくわかります。2006年の樋口真嗣監督版の『日本沈没』の時はセカンド助監督でしたが、メインキャストの芝居の場面を撮った後、もう数えきれないくらいのエキストラを汚してえんえんと各地で逃げ惑う群衆のモブシーンを撮り続けましたね。もうこの作業が無限に続くんじゃないかと思うくらいに…。『日本沈没』というのは本来そんなふうに時間も手間もかかる企画なんです。

――デジタルリマスターというと画調のことばかり考えがちですが、音声もひじょうにクリアになりましたね。

樋口 効果音のひとつひとつの粒立ちが素晴らしいので、いろいろな要素が新たに聞こえてくる。皇居に押し寄せる避難民の悲鳴を録った効果音からして阿鼻叫喚で凄い迫力なんですが、なんでも数年後にその悲鳴があまりによく出来ているのでスーパーの大バーゲンのコマーシャルに流用されたらしいです(笑)。

――最後に、東京現像所の今後の4Kデジタルリマスター作業についての抱負をお聞かせください。

清水 近年は黒澤明監督『七人の侍』『隠し砦の三悪人』、成瀬巳喜男監督『浮雲』、岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』、森谷司郎監督『八甲田山』といった東宝の名作群を補正してきましたが、東宝のもうひとつの財産である特撮作品も全てリマスターできたらというのが夢です。日本映画専門チャンネルのラインナップで『ゴジラ』シリーズのリマスターも進めましたが、直近の成果ではぜひ本多猪四郎監督『モスラ』が圧巻の美しさなので『日本沈没』ともどもぜひご覧いただきたいですね。12月に「午前10時の映画祭」で公開されますが、この冒頭には今や伝説となった幻の「序曲」も付いているという凝りようです。

――フィルムの劣化も進んでいるから急務ですね。

清水 陽のあたらない作品ほど上映する機会がないまま保管されているので、おのずと劣化も早くなります。なので、凄く有名な作品ではないけれど味のある作品の数々がどんどん上映不能になっていくのを何とかしないとという使命感はありますね。ここでそういうフィルムを殺してしまうと自分たちが息の根を止めたことになってしまうので、どうにかして次世代に申し送りせねばと思います。

樋口 そういう意味では国立新美術館の「庵野秀明展」で展示映写されている庵野さんの8ミリ作品もここでデジタル化したんですよね。

――東京現像所で8ミリもリマスターできるんですか?

清水 はい、なんと8ミリフィルムを4Kスキャンできる機器もあるんです。

――それは凄い。ぜひこちらもファンの方に観に行ってほしいですね。

清水 しかしさすがに8ミリをあそこまでレストアしたのは、庵野作品が初めてのことでした。真嗣監督が特技監督をつとめた16ミリ作品『八岐大蛇の逆襲』もうちでデジタル化させていただきました。

――真嗣監督が今後4Kリマスター版を観てみたい東宝作品はなんですか。

樋口 『マタンゴ』ですね。あの時代の撮影や美術の粋をリマスターで観たらどんな絢爛たることになるのか楽しみです。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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