ドラマが終わっても人生は続く 野際陽子と千葉真一と黄色いアルファロメオ【野際陽子物語】
昨年急逝した国際的アクションスターの千葉真一は、『8時だョ!全員集合』に出演し、派手なアクションを披露したことがある。『全員集合』は毎回、各地の公会堂からの生放送で、千葉はオープニング前から天井に身を隠していた。ドリフのコントがはじまると、途中でロープを伝って一気に姿を現し、観客を驚かした。コントでも手を抜かない、千葉らしい熱演だ。
千葉を人気者にしたのは、『全員集合』に続いて夜9時から放送していた『キイハンター』である。『キイハンター』は、国際警察の秘密捜査グループが悪と戦うストーリーで、主要キャストは千葉のほか、丹波哲郎、野際陽子、谷隼人、大川栄子の5人だった。丹波や野際も『全員集合』に出演し、ドリフ盗賊団VSキイハンターのコントを演じている。当時の子どもたちにとって、土曜の夜は『全員集合』から『キイハンター』へが定番だった。
パリから帰国したばかりの野際は32歳から5年間出演し、番組をきっかけに女優として飛躍を遂げた。また、私生活でも千葉と出会い、交際をスタートさせている。野際にとって大きな転機となった『キイハンター』は、どんなドラマだったのだろうか。
黄色いアルファロメオに乗って
1967年、ジェームズ・ボンドが悪の秘密組織「スペクター」を追って来日した。日本の諜報機関はボンドに協力し、忍者部隊を派遣している。映画『007は二度死ぬ』で日本の諜報機関のボス役を演じたのが丹波だった。冷戦を背景にスパイものが世界中で大流行していた時代である。
日本でも題材を過去にとって、市川雷蔵主演の映画「陸軍中野学校」シリーズが制作された。陸軍中野学校は、戦時下に実在した「秘密工作員」養成機関だ。映画は和製スパイものとして人気となり、シリーズ4作目『陸軍中野学校 密命』に野際が出演している。しかも『007は二度死ぬ』と同時公開だった。
野際は、男爵の夫を亡くしてスパイ活動をしている役で、雷蔵とのベッドシーンやモルヒネを打つ場面を演じた。もともと「悪女女優」として活躍していた野際は、パリ留学を経て、どこかミステリアスな雰囲気を漂わせていた。共演相手の雷蔵からも「おとなのムード」があると評されている。また、野際は海外ドラマでも女スパイの吹き替えを務めており、「お色気の中にインテリらしさを感じさせる声」を探していた担当者がオファーしたのだという(『サンデー毎日』1967年4月23日号)。
そんななか、1968年4月からはじまる『キイハンター』への出演が決まった。『キイハンター』は、世界中からスパイや国際犯罪者が集まる東京を舞台に、多数の外国人タレントを登場させ、国際色豊かなアクションドラマを繰り広げた。組織のボスはこちらも丹波が演じ、野際の配役は元フランス情報局の諜報部員・津川啓子だった。当時大学生だった大川栄子は、野際の印象を次のように語る。
いつも最先端のファッションで、本当にかっこいい女性でした。撮影の帰りに車に乗せてもらって、よくコシノジュンコさんのお店に連れて行ってもらいましたね。私は学生なので眺めるだけでしたけど。
野際さんはそのころ、黄色いアルファロメオに乗ってました。富士急ハイランドでの撮影の帰りに、私は谷君の車に乗せてもらったんだけど、高速道路で後ろから野際さんの車がピューって追い越していったの。
ミニスカートをはいた野際が黄色いアルファロメオを運転する。まるでドラマのワンシーンのようだ。野際は津川啓子を演じるにあたり、思いきりバタくさくやってやろうと、自分で衣装のアイデアを出している。第1話では、黒タイツにブカブカのオーバーサイズセーターを着て、ツイッギーのように大きな指輪をいくつもはめた。衣装はほとんど自前で、輸入生地を選んで仕立ててもらったため、出演料の半分が衣装代に消えた。
頼れるボス丹波哲郎
当初は視聴率が伸び悩んだが、次第に千葉のアクションシーンが人気を呼ぶ。最盛期の視聴率は30%を超えた。大学時代に体操部でオリンピックを目指した千葉は、文字通り体を張って、命がけのアクションを見せた。トンネルの上から走る列車の屋根に飛び降りる。離陸しようとするセスナを車で追いかけて飛び移る。線路のレールの間に寝転び、その上を列車が通る。どれもスタントなしで演じた。
一方、野際はアクションが苦手だし、嫌いだった。そのため、野際のアクションは投げ技専門になった。投げ技であれば、腕をつかんで腰を落とすだけで、相手役が派手に飛んで倒れてくれる。千葉と野際は誰が見ても正反対の二人だったが、実生活でいつしか惹かれあっていった。
毎週の放送のため、撮影はとにかくハードだった。スタッフはA班、B班に分かれていたが、俳優は朝から夜中まで拘束される。連日の撮影で、俳優の顔はどんどん疲れ果てていった。大川は、そんなときに動いてくれたのが丹波だったと語る。
ついにカメラマンから「こんなに疲れた女優さんの顔は撮れないよ」ってNGが出たんです。そしたら、丹波さんがスタッフと俳優を全員集めて、今後の方針を話し合ってくれました。それ以降は、各話ごとに一人か二人を主役にストーリーを構成して、残りのメンバーは短い場面のみの出演になりました。私たち俳優もようやく時間に余裕がもてるようになったんです。
丹波は普段から大らかで、みんなから愛されるボスだった。レギュラーの5人は家族みたいに仲良しで、大川は撮影期間に一度も嫌な思いをしなかったという。丹波はみんなをまとめる父親のような存在、野際は大人のお姉さんだった。大川が学校の宿題を撮影所に持ち込み、楽屋でフランス語の勉強をしていると、野際がまるで家庭教師のように教えてくれた。
スタッフはそんな5人にあだ名をつけている。「たらし隼人に遅刻千葉、文句野際にちゃっかり栄子、全部まとめて丹波哲郎」。文句野際というのは、台本におかしなところがあると、監督に自分の意見を伝えていたからだ。
野際さんは周りに気を配りながら、おしゃれにさりげなく自己主張をしてました。嫌なことにははっきりノーを言うから、勇気ある女性でしたね。女優だからといって何かを犠牲にしたりせず、自分らしい人生を歩んだ方だと思います。私は女優さんというより女性として尊敬します。
1973年4月、『キイハンター』が最終回を迎える。ラストシーンでは、野際と千葉が仲間に別れを告げ、腕を組んで同じ方向に去っていった。
ドラマが終わっても人生は続く。翌月、二人はエーゲ海で船上結婚式を挙げた。
(文中敬称略)
〈参考文献〉
・いかりや長介『だめだこりゃ』新潮文庫、2003年
・千葉真一『侍役者道~我が息子たちへ~』双葉社、2021年
【この記事は北日本新聞社の協力を得て取材・執筆しました。同社発行のフリーマガジン『まんまる』に掲載した連載記事を加筆・編集しています。今回の続きとなる最新回は3月10日発行の『まんまる』に掲載しています。】