【富田林市】大阪大谷大学の敷地内になぜ地蔵があるの?若宮薬師とも呼ばれる耳薬師如来を参拝してきました
富田林市内には東高野街道や巡礼街道といった古い街道が残っているために、街道沿いに歩くと地蔵菩薩を安置している地蔵堂を見かけることが多いですね。しかし、意外なところ、市内にある大学の敷地内にも安置されていることを知りました。
場所は大阪大谷大学の敷地内で、地蔵ではなく花崗岩で作られた薬師如来で、耳薬師と呼ばれています。さらに別名が若宮薬師で、かつて近くにあった若宮神社の参道に祀られていたからそう呼ばれたそうです。
調べてみると富田林市史(外部リンク)には、下記に引用したように、錦織にかつて若宮神社があったことが記されていて、1909(明治42)年6月1日に錦織神社に合祀されたそうです。
錦織神社への合祀前、1900年ごろの古地図を見ると鳥居のマークが見え、旧若宮神社があったことがわかります。そして聖観音寺山と書かれているあたりに、現在の大阪大谷大学が建設され、若宮神社の参道にあった耳薬師が大学内に移転したとのこと。
現在の地図を見で見比べてみると、大阪外環状線の西側にある錦織公園ができる前、山に入った中に若宮神社があったと考えられます。
錦織公園の大阪外環状線近くには自然のままの道が残っているところがありますが、以前歩いた限りにおいて合祀される前の若宮神社の痕跡跡などは見つかりませんでした。
若宮神社が無くなり、錦織公園や大阪大谷大学ができる過程で、参道にあった耳薬師が大学敷地内に移築されて安置されたものと考えられます。とても気になり参拝しようと思いましたが、大学に用もないのに敷地内に入るのは困難です。
ところが先日大阪大谷大学内で、大阪大谷大学地域連携センター設置記念講演会が行われました。そこで参加するタイミングに合わせて耳薬師を参拝することにしました。
耳薬師は大阪大谷大学総合グラウンドの西隣にあり、目の前に24号館(第3体育館)(外部リンク)があるところです。
1号館の校舎とグラウンドの間の道を歩いていきました。
グラウンドの切れ目のあたりに背の高い木が数本立っていて、あそこに耳薬師如来が鎮座しているものと考えられます。
グラウンドを過ぎたあたりに小さな社を発見しました。
こちらが薬師如来(耳薬師)を安置する薬師堂です。背後に見えるのが第3体育館ですが、その奥には15号館(薬学部実験研究棟)があります。
正面に行きました。
こちらが耳薬師です。赤い涎(よだれ)掛けが見える石仏なので、見た目は地蔵菩薩にしか見えません。
しかし、情報によれば、涎掛けに隠れた左手に薬壷を持ち、施無畏与願印(せむい よがんいん)と呼ばれる印相(いんそう:手の指の形で仏を現すサイン)をしているそうです。
参考として薬師如来の画像を紹介していますが、石仏の涎掛けの中にはこの像のような手の形をしているそうです。
薬師如来の前には花が飾られており、崇敬されていることがわかります。
さて、耳薬師の由来についての石板があります。耳の病に霊験があるそうです。
ちょうど耳薬師から遠くに見えるのは15号館(薬学部実験研究棟)です。薬師如来は病を直す法薬を与える医薬の仏でもあるので、大学の薬学部の建物の近くに安置されていても違和感がありませんね。
ということで、大阪大谷大学の敷地内にある耳薬師を参拝しました。大学の敷地内にあるので、大学に行く予定がない限りなかなか行く機会はないかもしれません。もし、大学で行なわれる講演会など機会があれば立ち寄ってみてはいかがでしょう。
耳薬師(若宮薬師)
住所:大阪府富田林市〒錦織北3丁目11-1 大阪大谷大学敷地内
アクセス:近鉄滝谷不動駅から徒歩12分
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