ネットで暴かれる! 不都合な真実はありませんか?恥ずかしい「過去」とか
日本人の会員も180万人以上含まれているということです。これは個人にとって、日本年金機構以上の大問題になるかも知れません。現在進行中であるならばともかく、このことが「恥ずかしい過去」で済まない可能性は以下の通りです。
今までの情報漏えいと異なるところは、漏えいした個人のほとんどにとって、「後ろめたい」情報である事です。個人情報が漏れ、それが悪用される以前に、漏れた事自体、つまりそのサイトに登録していた事自体、公になる事が直接、誹謗中傷という被害に遭うのです。
ネット上では、たとえ匿名であったとしても、自分が書いたことには責任を負うべきです。それゆえに不用意に書き込む事に注意し、できるだけ慎むべきなのです。しかし、実際に顔を合わせないということから、まだまだ意識として隠れていると思って、ネットを使っていると考えがちです。今回の漏えい事件のように、ひとたび漏えいが起こると、実社会同様、非難されるだけでなく、脅迫されて犯罪の被害に逢う場合も有り得るのです。
ネットでは、文章を書き込む場合、その文章を誰が見て、見た人がどのように思い、またそれが数年後、数十年後にどうように影響するかまで考えなくてはなりません。文章を書き込む場合だけでなく、ネットでの行動が、特に自分にとってどのように影響するのかを考えなくてはなりません。行動というのは、上述のような会員サイトへの登録だけでなく、アンケートや占いや性格診断の類い、極端にはどのウェッブページを読んでいるかということも含めてです。「後ろめたい」ウェッブページを見ていると、その履歴が漏えいし、公開されてしまう事もあるからです。
最近、複数の国会議員が自分のブログ等で、たとえば学生時代に「いじめ」に加わった事や若い女性の先生をからかったりしたことを自慢げに書いて、強く非難されることがありました。書いた本人には悪気はなく、若い頃のたわいもない蛮行自慢のつもりなのでしょうが、読む人がすべて自分と同じ考えであると限りません。場合によっては敵意を持っている人が読む事もあるのです。
これからのネットでの行動は「若気の至り」では済みません。ネットは「時間」と「空間」を越える道具なのです。個人であったとしても、世界中に向けて発信しているという意識を持つ必要があり、その世界は自分中心の世界ではなく、必ずしも自分に好意を持たない人も見ているということを想定する必要があるのです。しかも、ネットは密室ではなく、ガラス張りの世界だと言う意識も必要なのです。それは今回のような情報漏えいが示すところです。
本記事は、ZAQ連載の拙稿:森井教授のインターネットセキュリティ講座「第63回 「若気の至り」で済みますか?」を加筆、修正したものである。