<ガンバ大阪・定期便27>GK一森純のJ1リーグデビュー。
■プロ9年目のJ1リーグデビュー
長いケガとの戦いを乗り越えてたどり着いた『J1リーグデビュー』だった。
4月2日に戦った第6節・名古屋グランパス戦。一森純はプロ9年目にして初めてJ1リーグのピッチに立った。ガンバでのトップチームデビューとなった直近のルヴァンカップ・鹿島アントラーズ戦では4失点を喫して敗れていただけに、再び巡ってきたチャンスに期する思いも強かった。
「鹿島戦は後半、セットプレーでの失点から流れが変わってしまって…相手の技術とか、戦術が、ということではなく、僕を含めて一人一人がバトルするとか、目の前の相手にやらせないとか、相手より少しでも先にボールに触るといった部分で上回られ、ひっくり返された試合だったと思います。チームとして、できるだけ相手の陣地でサッカーをしたいと思っていましたが、結果的にピッチに立っている僕ら選手が受け身になってしまい、チームとして何も残らないような敗戦になってしまった。だからこそ名古屋戦は何かが残る試合にするためにも、とにかく前向きにトライしたいと思っていました」
その思いは、前半から見て取れた。立ち上がりはやや押し込まれた中で、11分には一森のペナルティエリア外への積極的な飛び出しを相手選手に交わされヒヤリとさせられたが、その後も臆することなく「前に出る守備」で味方を後押しする。シュートストップでも安定したセービングが光った。
「今日はチームとしてもいい守備ができたというか。奪う位置も高かったし、相手を押し込んだ状態でボールを回すことができた。個人的には技術的なことより、とにかくビビらずにやろうということだけを意識していました。まだまだミスも多かったし、チームとしてあわせていかなきゃいけないところもあるなと感じましたが、今日のミスは前に進めるミスだったのかなと思っています」
中でも彼がより存在感を示したのは試合終盤だ。3点のリードを奪う展開の中、危なげなく試合を進めていたガンバは83分に不用意なミスから名古屋の仙頭啓矢にボールを奪われ失点。1点を返されると突端にチーム全体がバタつき始める。その状況にも決して慌てず、集中力の感じられるセービングを魅せたのが一森だ。89分に味方のクリアミスから許した酒井宜福の至近距離からのシュートには果敢な飛び出しで体を張り、アディショナルタイムに突入した直後に放たれた藤井陽也の強烈なミドルシュートも左手一本ではじき出した。
そして、試合終了のホイッスルーー。その直後には笑顔を浮かべ、ガッツポーズで喜んでいた一森だったが、サポーターとともに『ガンバクラップ』で喜びを分かち合ったあとは一転、感情が溢れ、泣き顔になった。
「単にケガということだけではなく、いろんな難しい時期を過ごしてきた中で、J1デビュー戦を勝ちに繋げられたのは…本当に言葉では表現できない気持ちになりました」
試合後、ミックスゾーンで話した言葉に、彼の長い戦いが透けて見えた。
■1年半に及んだケガとの戦い。仲間との絆
昨年3月、練習中に左太ももを痛めた。左ハムストリング付着部不全剥離という症例の少ない『肉離れ』で、当初は経過をみながら治療を行っていたが、結果的に快方に向かわなかったこともあり9月に手術に踏み切った。
「腱と骨の付着部が若干、断裂しているような状態で、すぐに手術をするという選択はできなかったというか…過去に症例が少なかったこともありドクターと相談して経過を見ながら治していこうということになったんです。ただ、時間が経っても思うように良くなってくれなくて…結果的に半年後に手術に踏み切ったんですけど、仮に今、同じケガをしたとしても同じ過程をたどっただろうなというくらい難しいケガだったと思います。そこからは、気持ちは元気だけど体が…という状態が続きましたが、リハビリにはしっかり向き合ってこれたし、復帰まで一度も離脱することなく進んでこれたのはよかったと思っています」
とはいえ1年にも及んだ長期のケガだ。いや、彼の場合は20年6月にも左肩鎖関節脱臼で長期離脱となったことをあわせると、1年半近く戦列から離れていたことになる。だからこそ『気持ちは元気だけど体が…』の言葉に引っかかり「実際は気持ちの元気を取り戻すまでの方が難しかったのではないですか?」と問い掛けてみる。いつもはどちらかというと明るい顔しか見せない一森が少しだけ、表情を硬くした。
「全ての状況を招いたのは自分だということはわかっていながらも、正直、しんどかったです。コロナ禍で気分転換もできず、みんながAFCチャンピオンズリーグに行っている間も大阪に残ってリハビリをしていたし、クラブハウスと自宅とを往復するだけの毎日に考えることも多かった。それでも、目の前のことをちょっとでもよくする、今日より明日は少しでも進むと、思ってやってきました。それに、世の中には自分よりもっと大変な人もいるというか。自分がこういう状況に置かれたことで、自分よりもっと難しい状況にある人の話が耳に入ってきたりもして…このくらいでへこたれたらアカンなって思ったし、ピッチに戻った時には苦しんでいる人たちのために、少しでも元気やパワーを与えられる選手になっていようと思っていました」
そして、こうも続けた。
「ただ、結果論ですが、自分にとってはベストなタイミングで試合に出場できたというか…。これまでもピッチに立つ有り難みはわかっていたつもりだったけど、実際に痛い思いをしたから気づけたこともあったし、頭ではわかっているつもりでも忘れがちな、でもサッカー選手として一番大事な部分をもう一度、思い出してピッチに戻れたのは良かったと思っています。この経験を無駄にしないように、この先は改めて、今の自分があるのは周りの人たち、応援してくれる人たちの支えがあってこそだということ。周りの人たちの存在がなければ僕はきっとこの舞台に戻ってこれなかったということ。元気にプレーできるのは決して当たり前じゃないということを試合のたびに思い返して、ピッチに立とうと心に決めています」
おそらくは名古屋戦もそんな思いで戦っていたのだろう。ましてやこの日は、入場の際に両腕でしっかり抱き抱えていた二人の息子をはじめ、戦いの日々に伴走してくれた家族が揃って観戦に訪れていたと聞く。ガンバクラップの際、スタンドを見上げながらこみ上げてきた感情は、ともに戦ってくれた家族に、応援してくれたサポーターに「ようやくここに戻ってこれた」という報告ができたことへの安堵もあったのかもしれない。昨年、チームがウズベキスタンでACLを戦っていた間、大阪での孤独なリハビリの日々を支えてくれた橋本篤マネージャーに「J1初出場、初勝利おめでとう!」と声を掛けられ、抱き合った瞬間に涙をこぼしたのも印象的だった。
そしてもう一つ、目に留まったのがこの日、今シーズンのリーグ戦では初めてベンチスタートになった同じゴールキーパーの石川慧が、試合後、飛びかかるように一森に抱きつき、その背中を強く叩いて勝利を喜んでいたこと。ライバルという垣根を超えた絆が、そこにはあった。
「GKは1つのミスで全てが崩れ去ってしまうこともあるような特別なポジション。GKの気持ちはGKが一番理解できるからこそ、慧をはじめ、ヒガシくん(東口順昭)や大智(加藤)とは、常にコミュニケーションをとってきました。そのGKグループのいい関係性があるから、僕も今日、こうしてピッチに立つことができたと思っています。もっとも、お互いがライバルであることに変わりはなく、今日は慧も絶対に悔しかったと思います。僕も自分が出ていないときは悔しかったですしね。ただ、そうしたライバル関係は抜きにして、それぞれが、どうすれば成長できるのか、チームの力になれるのかを考えてやってきたのを知っているからこそ、あんな風に喜んでくれたのかな、と。もちろん、そこに慧の人間性、人としての強さがあるのは間違いないですけど」
1つの試合を戦い終えれば、彼らは再び『ライバル』として、熾烈な競争に身を置く。事実、一森が言う『GKグループとしてのいい関係性』は、仲間をリスペクトしながら、高い意識で切磋琢磨し、刺激し合いながら、ポジションを競うことを指す。試合に出続けられる保証などないからこそ、今日も必死になって自分を磨き、まだまだ、もっともっと、と高みを目指す。
もっとも、そうした厳しい競争も今の一森にはこの上ない幸せであるはずだ。苦しみを受け入れ、乗り越えて『ピッチで存分にプレーできる幸せ』を取り戻した今は。