三笘、旗手、前田が次々に渡欧。Jリーグ日本人選手、欧州移籍の流れを止めるべきか?
止まらない欧州移籍
欧州各国クラブが、Jリーグの日本人選手に舌なめずりしている。
この1年足らずで、スコットランドの名門セルティックは古橋亨梧(←ヴィッセル神戸)、井手口陽介(←ガンバ大阪)、前田大然(←横浜F・マリノス)、旗手怜央(←川崎フロンターレ)と次々に触手を伸ばしてきた。横浜の監督を務めていたアンジェ・ポステコグルーが指揮をとり、日本人の特性を理解した上での獲得になっているだけに、即座に活躍が実現。獲得候補リストには、他の日本人選手もあると言われる。かつて中村俊輔が華々しい活躍を遂げたように、日本人が足掛かりにするのに最適のリーグと言えるだろう。
ベルギーも外国人枠がないだけに、Jリーグの日本人選手の新天地として格好の舞台になっている。伊東純也(ヘンク)、三笘薫(ユニオン)、鈴木武蔵(ベールスホット)、坂元達裕(オーステンデ)など枚挙にいとまがない。スペイン、イタリア、フランスのように、日本人の気質とは全く違うラテン人社会に適応する必要がなく、サッカーのスタイルやレベルも、Jリーグの延長線上にある。
中でも、日本人がCEOを務めるシントトロイデンは、サガン鳥栖から移籍した林大地など日本人選手が6人も在籍している。
そしてオランダ、ポルトガル、あるいはドイツ2部なども、日本人選手が初めて欧州に挑戦するのに相応しいリーグと言える。実際、そのルートで挑んだ選手たちが有力クラブに移籍し、目に見える結果を残している。吉田麻也、冨安健洋、遠藤航、堂安律などの飛躍は最たる例だ。
今や、欧州の舞台は身近になった。
サッカー選手がヨーロッパを舞台にしようとするのは、それだけの夢があるからだ。
その一方で、人材流出によってJリーグは地盤沈下するのか?
選手が望む欧州移籍
短期的に見た場合、これだけ多くの人材流出はJリーグ全体の地盤沈下にもつながりかねない。今や単純に50人以上の日本人の有力選手が海を越えているわけで、そこに生じるレベルダウンは避けられないだろう。昨今、東京五輪世代を中心にした若い選手の台頭は著しいとは言え・・・。
そこで、人材を引き留めることはできないのか?
Jリーグ自体の繁栄のためにも、そんな疑問が当然のように浮かだろう。
しかし現実問題、それは難しい。
なぜなら、大半の有力な日本人選手が欧州で一度はプレーすることを求めているからだ。
異国でプレーしたいという欲求は、Jリーグで主力としてシーズンを過ごした後、強烈にどうしようもなく湧き上がってくるという。それは極めて自然な衝動と言える。プロ選手は、「もっとうまくなりたい」「もっと厳しい場所で自分の力を示したい」という気持ちがないと、たいていの場合、成長が停滞してしまう。野心と実力は一つのセットだ。
欧州のチャンピオンズリーグ、プレミアリーグ、リーガエスパニョーラ、ブンデスリーガ、セリエAは、人気実力ともにJリーグをはるかにしのぐ。その舞台に立ちたい。それはごく自然な欲求だ。
それには、欧州のどこかに拠点を作る必要がある。
契約で選手を縛るべきか?
「欧州移籍の話が来た時には、”優遇”を条件に」
今や海外移籍を頭に入れている選手は、契約の席でこうした条件をもともとクラブに提示する場合も少なくない。
クラブとしては、複数年契約を提示して高い違約金を設定し、クラブに引き留める契約も可能だろう。しかし、これでは交渉段階で後手に回ることになる。選手を引き留めることを強行しようとするクラブに、良い人材は流れなくなっている。中村憲剛のようにどちらも備わっていて、国内の1チームにとどまるケースは例外的だろう。
クラブは折り合いをつけながらの交渉、契約とならざるを得ない(フリーでの移籍はさすがに少なくなっている)。
つまり、今後も人材流出は続くだろう。
ただ、ネガティブに捉え過ぎるべきではない。海外流出を恐れ、縛り付けるようなルールを作ると、歪みも出てくる。それは明らかに時代錯誤。日本サッカー全体を考えれば、海を越えて活躍することによって、レベルアップを果たしているのも間違いないのだ。
むしろ、指導者や強化関係者が置いてきぼりになりつつある。これも、選手が日本を出て異国に新天地を求める理由でもあるだろう。ヨーロッパに世界トップのリーグが存在し、切磋琢磨する環境がある限り、そこに挑んでいく流れは健全だ。
たくさんの日本人選手が海を越える一方、最近は酒井宏樹、長友佑都、大迫勇也、武藤嘉紀など何人も戻ってきて、Jリーグ全体に刺激を与えている。復帰した彼らが海外経験を持ち込むことによって、国内選手のプレー向上にもつながるだろう。短期的には、プレー水準の落ち込みがあるかもしれない。しかし日本人選手の行き来が盛んになることによって、長い目で見れば、Jリーグの発展にもつながるはずだ。
Jリーグ日本人選手、欧州移籍の流れは止めるべきではない。