金融機関の淘汰と非金融への展開で金融は成長する
もはや金融は特殊な領域ではなく、その成長があり得るとすれば、商業の常識である顧客本位の徹底、劣悪な金融機関の淘汰、非金融との境界の消滅が前提になるわけです。
金融庁の行政手法
金融庁の現在の行政手法では、原則として、金融機関を規制によって強制することはなされません。これは、金融庁が寛容になったからではなくて、いかに厳格な法令等の規制を設けようとも、金融機関は、表層的な規制遵守の徹底のもとで、規制の主旨に反した行動をとってしまうばかりか、規制遵守の徹底されていることは、そうした不適当な行動を正当化する面があるからです。
例えば、内容的には顧客の利益に反するように設計された投資信託等でも、その運用と販売において、完全な法令遵守が徹底されていれば、金融庁に強権を発動する余地はありませんし、内容面に立ち入った規制を設けようとしても、金融機関は、新たな規制の枠組みにおいて、規制の主旨の潜脱を工夫します。そもそも、規制は、最低水準を確保するものにすぎず、金融庁が掲げる金融機能の高度化にとっては、無力なのです。
そこで、金融庁は、金融機関に対して、顧客本位の業務運営の徹底を求めています。顧客本位とは、顧客の利益の視点における金融機能の高度化を意味していて、要は、金融庁の行政目的そのものですが、施策の展開においては、規制による強制ではなく、金融機関の自律的な取り組みを促す手法が採用されています。つまり、金融機関は、金融庁の定めた「顧客本位の業務運営に関する原則」を自主的に採択して、自分自身の経営方針として、顧客本位の徹底に努めているのです。
顧客本位の実効性
顧客本位の実効性については、金融庁の内外において、様々な評価があります。一方では、金融機関の業務運営のあり方は大きく変化してきており、そこに金融庁の施策の効果を認め得るにしても、他方では、最近の千葉銀行、武蔵野銀行、ちばぎん証券の仕組債の販売に関する行政処分にみられるように、金融機関は、表向きを綺麗に整えただけで、本質的には変わっていないとも考えられるのです。
ただし、確実にいえるのは、金融機関の顧客本位に関する認識の深度は多様だということです。なかには、千葉銀行等のように、極めて表層的にしか理解できていないものもあれば、金融界としては異例なことに、業界内部からも千葉銀行等への強い批判があったように、全体としてみれば、より深い次元における理解が着実に進行してはいて、少数ながらも、事業の持続可能性の地平において、顧客本位の意味を真剣に検討し始めた金融機関もあるはずです。
持続可能なビジネスモデル
金融庁は、一貫して、顧客本位の業務運営こそ、金融機関としての持続可能なビジネスモデルであることを説いていますが、この点を深く理解している金融機関は少数にとどまります。千葉銀行等は、顧客からの信頼を裏切ったわけですが、おそらくは、単に、金融庁の処分を受けたことについて、反省しているだけです。しかし、いうまでもなく、真に反省すべき点は、顧客からの信頼を裏切る企業に、企業としての持続可能性など全くなく、いずれは淘汰されるということです。
金融庁からすれば、金融機関相互の切磋琢磨が金融機能を高度化させるとの前提のもとで、全ての金融機関の機能を平均的に高度化させる必要は全くなく、劣悪なところは淘汰され、優良なところが成長すれば、結果的に、平均的な金融機能は高度化するというわけです。要は、顧客本位を徹底させる強制力の源泉は、金融庁の規制ではなく、顧客の選択行動なのであり、そのもとでの金融機関相互の競争なのです。
量的成長志向の弊害
昭和の時代には、経済成長によって、金融機能への需要が自然に成長していて、金融機関は、自然な需要に素直に対応するだけで、顧客本位であり得ました。そして、金融の全体が成長するなかで、相対的な量的な成長格差を競っていたわけですが、経済の低成長が定着したとき、この構図に狂いが生じ、金融機関経営は混迷に陥っていきます。
最初の問題事象は、昭和の最後に、融資の供給能力が経済の自然な需要を超過するなかで、金融機関は、量的な成長を志向し、不動産向けの融資を拡大して、不動産バブルを起こしたことです。これ以降も、金融機関は、旧態依然たる量的な成長志向を放棄できずに、自然な需要を超えて、需要を創造することに奔走し続けてきた結果、顧客本位に反した行動が蔓延する事態となったのです。
その極端に悪い例がビッグモーターの事件です。事故の損害が拡大すれば、損害保険事業が成長するという構図ほど、顧客本位に反したことはありません。しかし、金融界には、同じ構図の問題事象は、投資用不動産の需要を創造して、過剰な融資を行い、顧客の損害を与えること、必要付保額を大きく超えた生命保険契約の販売、適合性の全くない顧客への仕組債の販売など、いくらでもあります。故に、顧客本位の徹底は、必然的に、量的成長志向の放棄に帰着するわけです。
成長戦略としての顧客本位
金融庁は、金融機関に対して、持続可能なビジネスモデルの構築を促していますが、ビジネスモデルである以上は、行政手法として、金融機関の自律を尊重するのは当然ですし、持続可能という限りは、金融機能の供給において、経済実態の自然な需要へ適合させることを求めるものであるわけです。しかし、ビジネスモデルとして、成長の放棄はあり得ないのであって、量的成長に替わるものとして金融庁の提起する成長戦略こそ、顧客本位にほかならないのです。
顧客本位を徹底するとき、金融機関が発見する成長機会の代表例こそ、資産形成です。金融機関は、経済が成熟し、融資や死亡保障の需要が減退するなかで、旧態依然たる融資と生命保険の営業を熱心に展開し、顧客本位に反してきたのですが、実は、他方で、豊かな老後生活のための資産形成については、十分な対応ができていなかったわけです。
これに対して、金融庁は、国民の利益の視点において、資産形成を最重要の行政目的に掲げ、その展開を主導してきたわけですから、民間の金融機関としては、役所に先を越されたことについて、深く反省しなければなりません。金融機関の成長機会は、金融庁が顧客本位の名のもとでいうように、顧客が真に必要としている金融機能を適切に過不足なく提供することにあるのです。
成長戦略としての非金融
住居を得ることは生活に必要不可欠だからこそ、金融機関にとって、住宅ローンの提供は顧客本位たり得るのですが、それは住宅の購入が顧客の真の利益に適う限りでのことであって、賃貸が相応しい顧客に対して、住宅の購入を勧めて、住宅ローンを提供することは、明らかに顧客本位に反します。そこで、顧客の真の住宅需要に応えるという課題を突き詰めると、金融の住宅ローンと、非金融の住宅仲介との連携、更には併営という論点が生起してくるわけです。
企業融資においても、融資の真の目的に遡及していけば、必然的に顧客企業の経営支援に行き着きますが、金融庁は、この問題については、既に積極的に対応していて、金融機関に対して、人材、営業支援、事業承継などに関連して、非金融業務への展開を認めています。
更に、テクノロジーの進展によって、決済業務は、金融から離脱して、純然たる情報処理業に転換しつつあるわけですが、この点についても、金融庁は極めて前向きに対応していて、金融機関に対して、非金融のテクノロジー分野への展開を認めています。
こうして、金融庁の行政手法の原理原則からすれば、利益相反管理の徹底などについて、経営の質の高い金融機関は、より広い非金融への展開が認められて成長し、そうでない金融機関は、伝統分野に押し込められて淘汰されるわけです。