「他球団のユニフォームでも着るつもりだった…」 野球界の発展を目指し続ける桑田真澄先輩の第2の人生
7年ぶりの再会は緊張あり、笑いありの穏やかで心地良い時間になった。今季から投手チーフコーチ補佐として巨人に復帰した桑田真澄さんをNHK「サンデースポーツ」でインタビューをさせてもらった。このタイミングに乗じて、YouTubeチャンネル「雑談魂」にも出演してもらった。15年ぶりのジャイアンツ復帰、NPBでは初めての指導者就任はなぜこのタイミングだったのか。桑田さんを突き動かしたものは何だったのか。ぜひとも、桑田さんの口から聞いてみたかった。
現役時代、その背中を追いかけた当時と全く変わらない和やかな声で桑田さんは「引退してから自分の夢としてプロ野球の指導者を目標に掲げていた。だからコーチは素直にうれしい」と話してくれた。オファーが届き、タイミングが合えば、他球団のユニホームも着るつもりだったという。ただ、桑田さんは大学院で通ったり、東大野球部を指導したりとプロの世界から離れて、学びの日々を過ごされていた。巨人の原辰徳監督が口説いたとされる今回のコーチ就任は、桑田さんにとっても「50歳が過ぎて、(引退してから)10年間の勉強期間を過ぎた」という絶好のタイミングだったと明かしてくれた。
私自身も現役引退後、グラウンドの外から野球を見る経験を積んでいる。しかし、机に向かって勉強するというのは想像ができない。桑田さんは苦にならなかったのだろうか。そうではなかった。「逃げだしたいときはいっぱいあった。(大学院の)レポート提出が(午後)9時半まで授業を受けて、締め切りが12時。自宅に戻ったら11時くらいで食事をする時間もなく、冷や汗をかきながら仕上げた」と苦笑いしていた。それでも、「ありがたいのは自分がやりたい研究をしてこられたこと」と話す姿が印象的だった。
野球界はまだまだユニホーム組と背広組が一線を画している印象がある。桑田さんは「選手がプレーするだけで、ビジネスがうまくいかなければ、活躍しても年俸に跳ね返らない。それは寂しいよね。もっともっといい野球界にしたい」と大学院に通った理由を説明してくれた。選手の気持ちもわかる人が、ビジネスの世界にも精通すれば、現場と感覚がずれることなく野球界を良くしていけるという桑田さんの考えには納得させられた。桑田さんは自らが先駆者として歩んできたのだろう。
将来は球団のゼネラルマネジャー(GM)か、はたまたコミッショナーか。私の浅はかな質問に、桑田さんは肩書きに興味を示すことなく、「日本の野球をさらに発展させたい」と純粋な思いを語ってくれた。もちろん、監督を経験することも大事な勉強だと思うと目標になっているようだった。
日本国内の野球人口はすそ野で減少傾向に歯止めがかからない。危機感は共通認識だったが、桑田さんらしいのは「今までが多すぎた。競技人口の最大を目指すのではなく、最適な人数はどれくらいなのか」を見定めているようだった。高校野球では一部の強豪校に選手が集中し、3年間で一度も公式戦に出場することなく卒業する部員もいると聞く。やみくもに競技人口にこだわらない姿勢は勉強させられた。
「プレーする人口、観る人、支える人、すべてを増やしていきたい」。野球界に好循環が生まれることを期待する桑田さんは「女性」の力をすごく大事にしていた。「学生時代、ユニホームを洗濯し、お弁当を持たせてくれたのはお母さん。野球を支えているのは女子なんだよ」。だから桑田さんは女子野球を応援しているそうだ。「野球が好きな女性が子供を産んで、子供が野球をやったら競技人口が増えるよね」。私の母がソフトボールを経験していて、小学校のときはキャッチボールの相手をしてくれたというエピソードを紹介すると、「最先端やね。鳥肌が立った」と喜んでくれた。有意義なYouTube撮影になったが、桑田さんが醸し出す雰囲気はできれば「雑談魂」を視聴して感じてほしい。