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今回の「人的補償」騒動から現行のFA制度を考える

阿佐智ベースボールジャーナリスト
メジャー時代の和田毅投手(写真:アフロスポーツ)

 昨年、知人女性とのトラブルにより前所属の西武球団から出場停止処分を受け、FAでソフトバンクに移籍した山川穂高選手の「人的補償」として、ふたりの選手の名が挙がった。チームのレジェンドと言っていいメジャー経験もある和田毅と若きセットアッパー、甲斐野央である。11日朝に日刊スポーツ(以下ニッカン)のスクープとして和田の名が報じられると、これに各メディアが反応。元プロ野球選手のユーチューバーまでもが、「和田、人的補償で西武へ」を前提としたコメントを発し、この日のストーブリーグは、この話題でもちきりであった。

 ところが、夕方になって、西武、ソフトバンク両球団から、山川の人的保障としてソフトバンクから西武に移籍するのは甲斐野であることが正式に発表され、この騒動はとりあえずの落ち着きをみせた。

 この一連の騒動からは、スポーツ報道をめぐる近年のメディアのあり方、NPBのFA制度のあり方など様々な問題が見え隠れする。

「歴史は繰り返す?」。6年前の「レジェンド指名」

 改めてヤフーニュースを見ると、ニッカンの第一報は、11日の8時8分に「山川穂高の人的補償に和田毅指名へ 近日中に発表 ソフトバンクの顔が衝撃の移籍」の見出しで「スクープ」を報じている。記事の方でも「(山川の)人的補償として和田毅投手(42)を指名する方針を固めたことが10日、わかった」、「山川の人的補償として、西武がベテラン左腕の和田に絞り込んだことが判明。正式に決まれば、近日中に発表される見通しだ」とある。

 これに早速、ヤフーコメンテイター諸氏が次々と食いつき、他メディアも決定事項であるかのように、これを前提とした後追い記事を配信した。さらには高木豊など元プロ野球選手の著名ユーチューバーも和田の「放出」を前提とした番組を公開したため、野球ファンを巻き込む大騒動になったという次第である。

 私もヤフーコメンテイターの端くれではあるのだが、朝8時半過ぎに第一報を見たものの、コメントは控えた。記事をよく読めば、まだ決定事項として球団から発表されたわけではないことがわかる。この先どう転ぶかわからないと思ったからだ。私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、6年前にあった当時43歳の中日・岩瀬仁紀投手の件だった。

 2017年オフ、日本ハムは大野奨太捕手の中日へのFA移籍に対し金銭補償のみを要求したのだが、しばらく経って、あるスポーツ紙が、当初、日本ハムは史上初の1000試合登板を目前にした中日の「レジェンド」岩瀬を指名したものの、その岩瀬が引退を覚悟の上で移籍を拒否したため、日本ハム側が折れるかたちで金銭のみの補償ということで決着したと報じたのだ。

 公式には両球団ともこの報道を事実として認めてはいないものの、報じた新聞社に抗議するわけでもなく、他紙が追随することもなく、ファンの間では「公然の秘密」として記憶に残っている。結局、岩瀬は前人未踏の1000試合登板を果たし、2018年シーズン限りで「中日一筋」の現役生活を終えている。

 岩瀬の件に関しては、今もその真相は闇の中だが、ウィキペディアにもこの件は引用注釈付きで記載されている。ということは、両球団からもこの記事について、削除要求も出ていないことが推測されるため、おおむね事実なのだろう。今回の和田を巡る騒動はこれに酷似していると言って良い。しかし、今回の件も、おそらくその真相は永久に闇の中だろう。

何が問題なのか

 今一度、今回の騒動について振り返ってみる。11日朝に発せられたニッカンのスクープは、おそらくは完全な「ガセ」ではないだろう。他紙もこの件に関してある程度把握していたからこそ、このスクープに追随するかたちで記事を発信したと思われる。

 一部、ネットの書き込みでは、ソフトバンク球団が、ニッカンに観測気球を上げさせ、ファンの反応を見たのではという憶測が見られるが、さすがにこれはないと私は思いたい。もしそうなら、ソフトバンクに球団運営の資格はない。なぜなら、そもそも以前の岩瀬の件にしろ、今回の件にしろ、はじめにチームの顔であるベテランが人的補償の指名を受けながら、これを拒否し、いわば「ゴネ得」でチームに残るというのは、明らかな「ルール違反」だからである。

 現在の日本のFA制度では、年俸上位選手がFA権を行使して移籍する場合、移籍者の旧所属球団は、移籍先球団から「人的補償」として、その球団がプロテクトした選手以外から選手を獲得することができるようになっている。

 プロテクト枠は28人。要するに次のシーズンに向けての「戦力」と考えられている選手である。しかし、球団にとって悩ましいのは「ブレイク前」の若手選手の存在だ。手塩にかけて育て、あと少しでものになるが、来季の戦力になるかどうかは未知数という選手については、数年後を見越して球団としてはプロテクトしておきたい。そこで、球団は高額の年俸を得ているベテラン選手を思い切ってプロテクトから外すという賭けに出る。補償を受ける側としては、次のシーズンはともかく、数年後には引退するだろう高年俸の選手にはなかなか手が出ないだろうという算段だ。

 しかし、そういうベテランに単なる「戦力」以上の価値を見出し、「人的補償」として獲得する場合も少なからずある。その代表が他ならぬ西武である。過去には、巨人にFA移籍した主力捕手の炭谷銀次朗(今季から西武復帰)の「人的補償」としてかつてのエースピッチャーだった内海哲也(現巨人投手コーチ)を獲得している。全盛期を過ぎていた内海は、西武移籍後4シーズンで2勝に終わり引退しているが、引退後も1シーズン、コーチとして西武に残り、選手に自身の経験という財産を分け与えている。

 最初のニッカンの記事が誤報ではないという仮定の上で、それを考えると、昨シーズン先発投手として8勝をあげた、メジャー経験のあるベテランをプロテクトしなかったソフトバンクのフロントは大失態を犯したと言える。また、先述の岩瀬の例と同じく、ベテランという立場を利用して「ゴネ得」でチームに残った和田(念を押しておくが、記事が間違っていないという仮定が前提である)も、現行のFAのルールをないがしろにする重大なエラーを犯したと言えるだろう。

 現行のルールでは、「人的補償」で指名された選手は移籍を拒否してはならないことになっている。移籍を拒否すれば、その選手は資格停止選手になる。平たく言えば、引退に追い込まれる。そもそも、プロテクトされなかった選手が移籍を拒否し、それがまかり通るようなことになれば、現行制度の根底を揺るがしかねない。それがゆえ、岩瀬の例にしても、今回にしても、球団は、口が裂けても、「人的補償」を断った選手のいいなりになったなどと言うことはできない。

 また、現行制度においては、相手側球団から求められ、球団がそのことを本人に伝えた時点で、自分が「プロテクト」されていなかったことが明白になる。先述したように、球団にも球団なりの事情があるため、プロテクトされなかったことが、イコール「戦力とみなされていない」ということにはならないのだが、球団側は絶対手放したくない選手は必ずプロテクトするはずだ。今回の和田の件でも、小久保新監督は、早々にローテーションに入れる旨発言していたものの、本人にとっては「ああ、期待されていないんだな」と球団、首脳陣に対する不信感が芽生えるきっかけになりかねない。選手生活最晩年を迎えたベテランにとってモチベーションをそがれることは、シーズンのパフォーマンスに直結する大きな要因になる。また、和田が本当に指名されたにもかかわらず移籍を拒否したのなら、自身の「身代わり」として移籍することになった甲斐野の存在に気を病むこともあろう。

 このパターンとは少し異なるが、これまでも、FA移籍した選手が、「人的補償」で自分と入れ替わりでチームを出ていった選手に選手に謝罪するというシーンが何度も報じられている。しかし、選手としての権利を行使した選手が頭を下げねばならないというのもおかしな話である。

そもそもFA制度と相容れない「人的補償」と考え方

 今回の件でソフトバンク球団が失ったものは大きい。2010年代、「常勝球団」の名をほしいままにしたソフトバンクだが、ここ3年はオリックスの後塵を拝している。孫正義オーナー、王貞治会長以下「世界一」を目指す球団にとって、福岡に球団が移転してからの「生え抜き」(一時巨人に在籍していたが)である小久保新監督を迎えるにあたって、今シーズンのリーグ制覇は絶対的な命題である。そのための山川の招聘であったのだが、「黄金時代」の再来のためには有望な若手を手放すわけにはいかない。そこでまさか手を出してくることはあるまいと、ベテランレジェンドの和田をプロテクトから外したのだが、これが完全に裏目に出たかたちである。なんと言っても、福岡移転以来、地道な努力によって開拓してきたファンとの信頼関係を少なからず失ったことは大きい。

 しかし、私は思う。そもそも選手の権利としてのFA移籍に「人的補償」なるものが付随するところに問題があると。現在の制度は、FA移籍とはいいながら、その実態はちょっとした「格差トレード」になってしまっている。

 今回の事例は、「人的補償」の際のプロテクトが意味をなさなくなる危険性をはらんでいることを如実に示している。また、これも真相は「闇の中」だが、「人的補償」で取られたくない選手を一時的に「人的補償」の対象外の育成契約に切り替えているのではないかと疑われた事例も発生している。現制度では「人的補償」が発生した場合、誰かの権利行使が、他の誰かを苦しめることになりかねない。一度、現行のFA制度について、本来的な「選手の権利としての所属先選択の自由」という原点に立ち戻って再考する必要があるのではないだろうか。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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