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ISL初の日本人選手、遊佐克美とは何者か?<後篇>(『宇都宮徹壱ウェブマガジン』より転載)

宇都宮徹壱写真家・ノンフィクションライター
コルカタのソルトレイク・スタジアム。かつて日本代表もワールドカップ予選を戦った。

『宇都宮徹壱ウェブマガジン』より転載

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■インドでプレーしながら日本でアルバイト

──インドへの移籍が決まるまで、どうやって生活していました?

遊佐 福島の実家で暮らしながら派遣の仕事をしていました。とにかく貯金がなかったですから。結婚式のウェイターをやったり、宅急便の会社の倉庫で働いたり、あとは着ぐるみのバイトとか。時給1000円で、8時間働いて8000円。週末はそれをもらうために、ずっと働いていましたね。

──ずっとバイトを続けながら暮らしていたと。言ってみれば選手としてブランクがあったわけですよね。サッカーを諦めかけたことは?

遊佐 なかったです。だからトレーニングはずっと続けていました。ランニングしたり、ジムで筋トレしたり。自分を受け入れてくれるチームがあるかどうか、それはわからなかったけれど、とにかくトレーニングは続けないと、というのはありました。

──そうした生活はどれくらい続いたんですか?

遊佐 日本に戻ってきたのが2010年の9月くらいで、ジェブさんから「インドでトライアルがあるけど興味あるか」っていう連絡が来たのが、次の年の1月でした。それがONGC FCというクラブで、マハーラーシュトラ州のムンバイにあるクラブなんですけど。ちょうど連絡もらったとき、広島で洋次郎くんとダーツをやっていて「こういう話があるんだけど、断る理由はないよね」って。それですぐに実家に戻って、すぐに現地に飛んで。

──何の予備知識もなく、いきなりインドですよね? 不安はなかったんですか?

遊佐 ワクワク感しかなかったですね。そしたらロストバゲッジに遭って(笑)。チームとは遠征先で合流することになっていたので、荷物はあとで届けてもらうことにして、僕はスパイクも持たずに夜行列車に12時間乗って、監督に会ったのは朝だったんです。

──テストはどんな感じだったんですか?

遊佐 すごく固いグラウンドで3~4日くらいやりましたかね。そのあとONGCの試合を見たんですけど、みんな動きがめっちゃ遅かったんです。正直「これは余裕じゃん」って思っていたら、オーナーから「契約しよう」と言われました。

──それはよかったですね。インドでの生活は、どんな感じでした?

遊佐 住んでいたのは、日本でいう3LDKみたいな部屋でした。ベッドだけがどんと置いてあって、冷蔵庫もTVもエアコンもない。でも苦痛を感じることはなかったですね。洗濯も毎日手洗いしていました。

──食事は大丈夫でした?

遊佐 お腹を壊すことはなかったですね。いつもインド人のルームメイトが作ってくれるチキンカレーを食べていました。ただ、スパイスの刺激に慣れるまでは、少し時間がかかりましたけど。でも、カレーは美味しかったですよ(笑)。

──このONGCでは3シーズン所属して、その間に2部降格や1部復帰などを経験するわけですが、インドでやっていける自信はつきましたか?

遊佐 自信はなかったですね。それにずっと向こうにいたわけではなくて、6カ月くらい間が空くので、その間は日本に戻ってバイトをやっていましたし。

──つまりインドでサッカーやりながら、日本でバイトもやっていたと。

遊佐 はい。シーズンが終わって6月ぐらいに帰ってきて、それから年内は何もないわけですよ。ONGCからは「来季またオファーする」って話だったので、それまではバイトを続けながら、ジムでトレーニングしたり、高校の練習に参加したりしていました。

インドで最も有名な日本人選手となった遊佐だが、現地での生活はストイックそのもの。
インドで最も有名な日本人選手となった遊佐だが、現地での生活はストイックそのもの。

■名門クラブの10番を背負って

──そしていよいよ、2013年からモフン・バガンでプレーすることになります。1889年設立のインドの名門クラブですが、オファーが来た時の感想は?

遊佐 まあ、大きいクラブで名門ですけど、いろいろいただいたオファーの中で、一番お金が良かったというのが実際のところです。

──いきなり背番号10を与えられたわけじゃないですか。「自分のサッカー人生、上向いて来たぞ」っていう感覚はありましたか?

遊佐 いやいや、上向いてきたとか、そんなのないです(笑)。むしろモフン・バガンに移籍したら「しんどくなるな」というのが正直な気分でした。活躍できなかったら、お金ももらえないし、サッカーも続けられない。そういうプレッシャーがすべてになりました。だから「上向いてきた」とか「充実している」とか、そういう感覚はまったくなかったです。

──モフン・バガンといえば、イースト・ベンガルとのコルカタ・ダービーが世界的にも有名ですけど、どんな雰囲気でしたか?

遊佐 他のダービーを知らないので何とも言えないんですけど、異様な雰囲気ですね。日本代表が昔、試合をやったソルトレイクで試合をするんですけど、昨シーズンは7万人くらい入りました。今は慣れましたけど、最初はあの観客の多さにびっくりして、何もできませんでしたね。

──けっこう殺伐とした雰囲気になるんですか?

遊佐 イースト・ベンガルのサポーターは、発煙筒ではなく、松明みたいなものを燃やしていますね。スタンドが燃えているように見えます。あと、石なんかが投げ込まれて、たまに選手が怪我をすることもあります。前の試合では0-4で負けたんですけど、1時間半くらいはロッカールームから出られなかったですよ。

──モフン・バガンの10番ということで、日常的にイースト・ベンガルのサポーターから嫌がらせを受けるようなことってあります?

遊佐 それは全然ないです。むしろ「お前、来季はウチに来ないのか?」みたいなことはありますけど(笑)。

──逆にリスペクトされているんですね。そのモフン・バガンでも3シーズンを過ごしたわけですけど、手応えは?

遊佐 どうでしょうね。ただ幸いにして、今季は1試合欠場した以外はすべての試合にほぼ90分出場しているので、怪我なくプレーできているのはありがたいです。

──そうした活躍が評価されて、日本人初のISLプレーヤーとなったわけですが、ここまでインドのサッカーに順応できた理由って、何だと思いますか?

遊佐 それがわからないんですよ、謙遜ではなく。順応しているという実感もないし、今季は16試合で5点しか取れていないし。ただ、プレーのインパクトという意味では、できるだけボールを保持するようには心がけていました。

──ドリブルを多用するとか?

遊佐 それもありますし、1人抜いて、2人抜いて、3人目を抜こうとしてファウルで止められたら、サポーターにとってはインパクトがあるんですよ。もちろん、止められる前にシュートを打ってゴールが決まるのが一番いいんですけど、抜いて、抜いて、止められるというプレーが、僕の場合は多い。それが評価されている部分はあると思うんです。

■「ジェラシーみたいなものは感じなくなりましたね」

──とはいえ、6シーズンにわたってインドでプレーし続けられるのって、やっぱり努力の賜物だと思うんですが。

遊佐 これはよく話すことなんですけど、インドで暮らしている人たちって、みんな生きるために必死で努力しているんですよね。特に貧しい人たちは。それに比べたら、僕は大して努力しているようには思えないんです(笑)。ただし自分で心がけていることとしては、毎日同じトレーニングをルーティーンで続けることですかね。ストレッチとか、体幹とか、筋トレとか。これは自信をもって言えることですが、どんなに疲れていても同じルーティーンを続けています。

──では、インドに来て「ここは成長したな」と思うことはありますか?

遊佐 ルーティーンの話に通じることですが、自分の信じたことを当たり前にできるようになりました。たぶんインドでの暮らしに、ほとんど誘惑がないからだと思います。たまにビールとか飲みますけど、クラブに行こうとも思わないし(笑)。そういう娯楽がない生活というものが苦痛ではないんですよね。

──インドで生活していて、ストレスを発散させることはしないんですか?

遊佐 同じルーティーンで生活していることが一番の安心です(笑)。1日でもそれをサボると、たぶん1週間は後悔すると思いますから。

──そんな遊佐さんから見て、日本でプレーしている選手はどう映るんでしょうか。

遊佐 日本でプレーできていいな、とは思います。でもジェラシーみたいなものは感じなくなりましたね。自分はとにかく、日々のルーティーンを続けながら、仕事としてのサッカーを続けることだけを考えていますから。もうバイト生活はしたくないですし(笑)。ようやくサッカーが、自分の中で「仕事」として位置づけられるようになったので、その状態をできるだけ維持していきたいですね。

──とはいえ、もう少しプレーヤーとしての欲があってもいいような気がします。「現役時代にこれだけは達成したい」という夢はありますか?

遊佐 目標ですか? うーん、素直に言うと貯金がしたいです。1億円くらい(笑)。

──まだ難しいですか?

遊佐 難しい、全然だめですよ(笑)。サッカーでお金がもらえるんだったら、喜んで中東でもプレーしますよ。

──中東ですか? お金はいいかもしれないけど、プレーヤーとしてはあまり楽しいところではないみたいですよ。お客さんもぜんぜんいないし。

遊佐 お金を稼ぐ上で、楽しいことって必要ないと思っています。だって仕事ですから。日本に帰ってきたときが楽しければ、インドでは楽しいことがなくても僕は平気です。インドのプレー環境が悪いって言う人もいますけど、それがインドですし(苦笑)。仕事だったら、土のグラウンドでもプレーしますよ。とにかく、与えられた環境でやっていくしかないわけですから。

──海外でプレーするのであれば、それくらいの強い気持ちを持っていないと厳しいですよね、やっぱり。

遊佐 それが正しいのかどうかは、わからないです。ただ僕の場合、インドではずっとそういう気持ちでやってきたので。

──これまでさまざまな海外プレーヤーに取材してきましたが、ほとんどの選手はストイックな性格でしたけれど、それでも遊佐さんほどではなかったように思います(笑)。ISL初の日本人プレーヤーとして、これからも頑張ってください!

遊佐 そういう気負いも、あまりないんですけどね(笑)。

<この稿、了>

●遊佐克美(ゆさ・かつみ)

1988年8月2日生まれ、福島県出身。サンフレッチェ広島の下部組織から07年にトップチームに昇格。その後、ツエーゲン金沢、FC岐阜SECONDを経て、パラグアイのサン・ロレンソでプレー。

2011年より活躍の場をインドに移し、ONGC FC、モフン・バガンACでの活躍が認められ、今季はISL初の日本人選手としてノースイースト・ユナイテッドFCでプレーする。

写真家・ノンフィクションライター

東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。『フットボールの犬』(同)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)で2016サッカー本大賞を受賞。2016年より宇都宮徹壱ウェブマガジン(WM)を配信中。このほど新著『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)を上梓。お仕事の依頼はこちら。http://www.targma.jp/tetsumaga/work/

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