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市井の歯科医の想いから実現した、元日本代表を招いての「能登半島復興応援チャリティーマッチ」

宇都宮徹壱写真家・ノンフィクションライター
被災地への応援メッセージを掲げてスタジアムを一周する元日本代表のレジェンドたち。

 元日に発生した能登半島地震から110日後の4月20日、金沢ゴーゴーカレースタジアム(ゴースタ)にて「令和6年能登半島地震復興応援チャリティーマッチ」が開催された。

 メインイベントは、元日本代表などサッカー界のレジェンドたちで結成された「ブルーレジェンズ」と、石川県やツエーゲン金沢にゆかりのある選手たちで構成された「チームがんばろう石川」によるチャリティーマッチ。また、被災地である能登半島のサッカー少年少女たちが招待され、ゴースタのピッチにてレジェンドたちとのサッカーを楽しんだ。

「実はこのチャリティーマッチを企画したのは、地元の歯医者さんでして──」

 開催にあたり、最初に挨拶に立った金沢市の村山卓市長のこの言葉に「?」と思った人は少なくなかっただろう。

金沢市の村山卓市長と談笑する小島潔氏(右)。今回のチャリティーマッチは、この人物の強い想いが起点となっている。
金沢市の村山卓市長と談笑する小島潔氏(右)。今回のチャリティーマッチは、この人物の強い想いが起点となっている。

 事実、このチャリティーマッチを主催したのは、石川県サッカー協会でもツエーゲン金沢でもなく、「令和6年能登半島地震 復興応援チャリティーマッチ実行委員会」。その実行委員長であり、この企画の発起人である小島潔氏は、金沢市長が語ったとおりの市井の歯科医である。

■ツエーゲン金沢の設立でサッカーに引き込まれ

 1961年生まれの小島氏は、1997年に金沢市内で開業。2006年のツエーゲン金沢設立に関わり、地域リーグ時代にはフロントスタッフを務めることになる。だが、それまではサッカーとは無縁の人生を送ってきた。

「僕にとって、サッカーの接点は日本代表の試合をTVで観るくらいだったんです。当時、金沢でひとつしかなかったスポーツバーで代表戦を観戦して、たまたまトイレに入った時に『金沢にJクラブを作ろう! ボランティア説明会開催』という貼り紙が目に入って、ちょっと覗いてみようかなと」

 そこから小島氏は、40代でサッカーの世界に引き込まれていくこととなる。ツエーゲン金沢でフロントスタッフを務めたのは2年だが、その後も金沢にやってきた選手たちを物心両面で支える活動を続けてきた。チームがんばろう石川のメンバーの中にも、現役時代に小島氏に世話になった人は多い。

今回のチャリティーマッチには、ブルーレジェンズの監督兼選手として宮本恒靖JFA会長も参加。試合前には自ら募金を呼びかけた。
今回のチャリティーマッチには、ブルーレジェンズの監督兼選手として宮本恒靖JFA会長も参加。試合前には自ら募金を呼びかけた。

 このチャリティーマッチでは、ゴースタで歴代3位となる5232人が来場。被災地の子供たちも、笑顔で能登に帰っていった。しかし一方で「なぜ市井の歯科医が、これほどのビッグイベントを成立させたのか」という疑問は残る。以下、小島氏のコメントから探っていくことにしたい。

■「こけら落とし」のアイデアがチャリティーマッチに

「きっかけは去年の11月に(佐藤)寿人くんが金沢に来てくれたことですね。それで僕が建設中のゴースタにご案内した時、寿人くんと『この素晴らしいスタジアムに日本代表OBを集めて、こけら落としができればいいですよね!』なんて話をしていたんです」

 J-OB(Jリーグ選手OB会)会長で、今回のイベントにも参加している、佐藤寿人氏との何気ないやりとりが、そもそもの発端であった。さっそく小島氏は「2月12日開催」でゴースタ側に打診したところ、すでに18日にツエーゲン金沢とカターレ富山による、こけら落としの開催が決まっていた。

「それで代表OBを呼ぶ話は、いったんリスケになりました。それが、昨年の11月下旬か12月上旬くらいの話。そうしたら年明けの元日、能登半島地震が起こったんです……」

「ふれあいサッカー教室」で、見事なボレーシュートを披露した佐藤寿人氏。元日本代表の美技に能登の子供たちもこの表情。
「ふれあいサッカー教室」で、見事なボレーシュートを披露した佐藤寿人氏。元日本代表の美技に能登の子供たちもこの表情。

 かくして元日の発災を受け、日本代表OBを招くというアイデアが復活。チャリティーマッチを開催することで、この話は進んでいく。もっとも小島氏いわく「僕ひとりで判断したわけではないです」と強調する。

「やっぱり寿人くんの存在が大きかったですよね。彼は現役時代から、チャリティーや被災地支援にすごく積極的じゃないですか。東日本大震災の時もそうだし、西日本豪雨の広島での土砂災害でもそうでした」

■遠くカリフォルニアに広がった支援の輪

 代表OBの選手への声がけは、佐藤寿人氏を通じてJ-OBに依頼し、さっそく小島氏は会場の確保に動く。とはいえ、ゴースタでサッカーの試合ができるのは、年間60試合まで。J3リーグの19試合に加えて、カップ戦などの公式戦もある。

「そうした中、試合がない週末はいつかとなると、ピンポイントで『4月20日』だったんです」

ブルーレジェンズは、岡野雅行、久保竜彦、佐藤寿人、福西崇史、播戸竜二、鈴木啓太、駒野友一、坪井慶介、加地亮、田中隼磨といった面々。
ブルーレジェンズは、岡野雅行、久保竜彦、佐藤寿人、福西崇史、播戸竜二、鈴木啓太、駒野友一、坪井慶介、加地亮、田中隼磨といった面々。

 開催日は決まった。次に小島氏を待ち受けていたのは、イベント実親に向けた資金調達という重たいミッション。具体的な数字は教えてもらえなかったが、間違いなく数百万円で済む話ではないだろう。

 当初、とある広告代理店から「冠スポンサーを付けましょう」と提案されたものの、さんざん待たされた挙げ句にゼロ回答となってしまった。途方に暮れていた小島氏に救いの手を差し伸べたのは、今回のユニフォームの胸スポンサーにもなっている「JAPAN IMPORTS NOW」。なんと、米カリフォルニアの企業である。

「日本の伝統工芸などをアメリカに輸入する会社です。経営者は生まれも育ちもアメリカですが、日本文化にものすごく強い思い入れがある方で『ぜひ応援したい!』と即答してくれました」

20分ハーフで行われた試合は、後半からゴールの応酬となり、ブルーレジェンズがチームがんばろう石川に4-3で勝利した。
20分ハーフで行われた試合は、後半からゴールの応酬となり、ブルーレジェンズがチームがんばろう石川に4-3で勝利した。

 小島氏とカリフォルニアをつないだのは、チームがんばろう石川でも名を連ねた、元Jリーガーの橋本晃司氏。地元の星稜高校出身で、USLチャンピオンシップのオレンジカウンティSCに所属していた際、現地でビジネスをしている日本人と接点が生まれた。こうした人の縁にも恵まれ、「令和6年能登半島地震復興応援チャリティーマッチ」は無事、開催の運びとなったのである。

■ゴースタでの開催にこだわった2つの理由

 ところでイベント会場となったゴースタは、今年オープンした北陸初の球技専用スタジアム。小島氏いわく、ゴースタでの開催にこだわった理由は2つあったという。まず、被災地の子供たちに、思い切り芝生のグラウンドでサッカーを楽しんでもらうこと。

「被災地のグラウンドは、自衛隊の車両で埋め尽くされている。体育館は、避難所になっている。ボールを蹴る場所はないし、メンバーもバラバラになってしまいました。そんな被災地の子供たちに、あのスタジアムを見せてあげたい。そして新しいスタジアムのピッチで、サッカーをさせてあげたいという思いが、まずありました」

ツエーゲン金沢OBと石川県ゆかりのメンバーで構成されたチームがんばろう石川。新スタジアムでの集合写真に表情もほころぶ。
ツエーゲン金沢OBと石川県ゆかりのメンバーで構成されたチームがんばろう石川。新スタジアムでの集合写真に表情もほころぶ。

 そしてもうひとつは、地域リーグ時代やJFL時代にツエーゲン金沢を支えてくれた、OBたちの貢献に報いること。元フロントスタッフとして、小島氏は実感をこめてこう語る。

「何もないところから生まれたツエーゲン金沢に来てくれて、僕たちをJリーグまで連れて行ってくれたわけです。その間、志半ばで金沢を離れなければならない人たちも、たくさんいました。Jリーグの舞台でプレーできても、契約満了や引退で新スタジアムのピッチに立てなかった人たちもいます。そんな彼らの貢献に、多少なりとも報いることができればと思いました」

■大切なのは被災地への関心を切らさないこと

 市井の歯科医にとっては無謀とも言える、日本代表OBを招いてのチャリティーマッチは、当人の想いとサッカーがつなぐ縁によって実現した。開催前日には、JFAが後援を発表(参照)。個人の想いが、さまざまな人を巻き込み、ついにはJFAを動かした。そのこと自体、素晴らしいことだと思う。

 とはいえ、こうしたイベントは本来、JFAなりJリーグなりが主導して実施されるべきではないか。そんなことを考えていたら、なでしこジャパンの国際親善試合を「能登半島地震復興支援マッチ」として開催することが、JFAより発表された(参照)。開催日は7月13日、会場は今回と同じゴースタである。

「7月では遅い!」という意見もあるかもしれない。が、私は「被災地への関心を切らさない」という意味で、このタイミングでの開催をポジティブに捉えている。

 今回のチャリティーマッチは、発災から110日後に開催されたが、能登半島地震のメディアでの扱いはめっきり減ってしまった。その一方で被災地の復興のペースは、近年の自然災害と比べて驚くほどに遅れているのが実情だ。

津波による被害で柱と屋根だけになった海沿いの民家。桜の美しさとのコントラストが残酷だ(能登町)
津波による被害で柱と屋根だけになった海沿いの民家。桜の美しさとのコントラストが残酷だ(能登町)

地盤沈下によって地表から突出したマンホール。こうした非日常的な光景をあちこちで目にした(珠洲市)
地盤沈下によって地表から突出したマンホール。こうした非日常的な光景をあちこちで目にした(珠洲市)

倒壊した7階建てのビル。取り残された女性は地震発生54時間後、心肺停止の状態で救出された(輪島市)
倒壊した7階建てのビル。取り残された女性は地震発生54時間後、心肺停止の状態で救出された(輪島市)

地震直後に大火災に見舞われた輪島朝市通り。戦禍のガザのようだが、ここは間違いなく日本だ(輪島市)
地震直後に大火災に見舞われた輪島朝市通り。戦禍のガザのようだが、ここは間違いなく日本だ(輪島市)

 いずれの写真も、チャリティーマッチの2日前、4月18日に撮影したものだ。スポーツの力による、被災地への関心を切らさないための活動は、今後も継続していく必要がある。

<この稿、了。写真はすべて筆者撮影>

写真家・ノンフィクションライター

東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。『フットボールの犬』(同)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)で2016サッカー本大賞を受賞。2016年より宇都宮徹壱ウェブマガジン(WM)を配信中。このほど新著『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)を上梓。お仕事の依頼はこちら。http://www.targma.jp/tetsumaga/work/

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