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松田直樹の思いを乗せて。盟友・佐藤由紀彦は指導者になっても「サッカー小僧」。

二宮寿朗スポーツライター
FC東京むさしU-15の佐藤由紀彦コーチはプレー同様指導も熱い(写真は本人提供)

 熱血漢という言葉がふさわしい。

 2014年シーズン限りで現役を引退した佐藤由紀彦が古巣・FC東京の普及部コーチに就任して3年目。U-12育成担当を経て昨シーズン途中からU-15むさしのコーチを務めている。主に中学2年生の指導を担当し、練習場となる東京・小金井市にある東京学芸大のグラウンドでは41歳になった「ユキコーチ」の声がよく響いていた。

 魂のクロッサーから、魂の指導者へ。

 ときに熱い口調で、ときに友達口調で子供たちを引き込んでいく。サッカー小僧がそのまま指導者になった印象を受ける。

 親友であり、ライバルである松田直樹が練習中に倒れ、急性心筋梗塞で天国に旅立ったのが6年前の8月4日。本年は七回忌にあたる。引退後に指導者転身を描いていた松田の思いも乗せ、佐藤は「FC東京の監督になる」目標を追い掛けている。

「自分もチームもあそこでちょっとは成長できたのかもしれません」

 今年5月、ゴールデンウイークに東京で開催された東京国際ユース(U-14)サッカー大会で、中学2年生チームで編成したFC東京は準優勝という好成績を収めた。監督としてチームを率いたのが佐藤だった。

 FC東京U-15には「むさし」と「深川」の2チームがある。2月に行なわれた東京都クラブユースU-14選手権決勝で2チームがぶつかり、PK戦の末にむさしが優勝した。一方、深川を率いたのが同じくFC東京OBで『ミスター東京』と呼ばれた藤山竜仁。この結果を踏まえ、東京国際ユースは佐藤監督、藤山コーチ体制の合体チームで臨んだのだった。「フジくん」と慕う3歳年上のミスターと、『東京のプリンス』が掲げた目標が優勝だった。「優勝以外は失敗」と位置づけた。

 グループリーグは1日2試合、2日で計4試合をこなさなければならない。5チーム中1位で抜けなければ、1~4位の順位決定戦に進めない。1試合でも負けたら優勝にチャレンジすることもできなくなる。

 初日の2試合目に大一番を迎えた。一昨年の優勝チームで、前評判の高いエジプトのカイロ。指導者仲間からも「カイロのパワーは強烈だぞ」と言われていた。1試合目、1-1で引き分けたチェルタノヴォ(モスクワ)戦からメンバーを入れ替え、フィジカルに強い選手たちをチョイスした。ここで負けたら、目標は早くも途絶える。絶対に、勝たなければならなかった。

「お前たち、獣(けもの)の目をしてないぞ!」

 前夜、佐藤は選手たちにそう呼び掛けた。当日にスイッチを押しても遅い。「前日から気持ちをマックスにさせなきゃカイロには勝てない」と踏んでいた。

 これには伏線があった。4月、チームを率いてオランダに遠征した際の出来事が、残像として頭にこびりついていた。

「参加したオーフェルマルスカップはフェスティバル色が強くて、国際交流の場が設けられ、出店もいっぱいありました。みんなには、外国の子供たちとサッカーやってこいよ、とか出店に行ってこいよ、とかこれも一つの経験だと思って、積極的に交流させたんです。でも試合になると、外国の子供たちはさっきまでウチの選手と楽しそうにボールを蹴っていたのに、スイッチが入って平気で激しくぶつかってくる。でもウチは、なかなかスイッチが入らない。まあ、そうですよね。僕らもそうだったから。国際交流も本気でやるサッカーも、って両方すぐにうまく切り替えられないのが日本人選手だと思うんですよ。この経験があったから、東京国際ユースでは国際交流のところには敢えて目を向けさせなかったんです。『開催国なんだから、優勝しかないぞ』って。カイロ戦を迎えるにあたって早くスイッチを入れておきたかった」

 そのカイロに対して5-0と圧勝した。4-4-1-1の布陣で両サイドバックに攻撃を自重させるなど堅守速攻が見事にハマったのだった。2点取った後にカイロの選手がひざまずくのを目にして、「ひるんだ」と感じた。受け身から、攻守にアグレッシブなサッカーに転じて3点を追加した。

 優勝目標を公言している以上、手放しで喜びたい気持ちをグッと抑えて子供たちを称えることはしなかった。だが、たくましさを見せた彼らの成長を感じ取った。「カイロを過大評価していたかもしれないけど、ウチの選手を過少評価していたのかもしれない」。心のなかで佐藤は詫びていた。

 チームは1位でグループリーグを突破して、1~4位の順位決定戦に進むと、準決勝にベルリン(ドイツ)に2-0と勝利してついに決勝戦に進んだ。

 佐藤は連日、午前2時まで藤山たちとミーティングを重ね、それでも朝6時半から子供たちと散歩を日課とした。「もっとテンション上げていこうぜ!」と、朝からハイテンション。子供たちの苦笑いもお構いなしに、スイッチを押し続けた。夜は子供たちだけでミーティングさせ、キャプテンから報告を受けて選手たちの考えを把握するようにしていた。食事の席では、目を合わせるとわざわざ「獣の目」にする子供たちもいた。「メシ食べるときぐらい、いいのに」と思いながらもうれしかった。試合に出たいという彼らなりのアピールだった。

 決勝の相手は、アルゼンチンの名門ボカジュニアーズ。

 佐藤はみんなの前で熱く語った。

「ボカはトップもユースも、サッカーを決闘として捉えてくる。素直に決闘したら、百戦錬磨のヤツらに勝てるわけがない。じゃあ、俺たちのいいところは何だ? 複数でのかかわりだろ、忍耐だろ、俺たちの強みで勝負しようぜ!」

 予想どおり苦しい展開だった。

 前半早々に先制点を許し、FC東京はシュートすら打てなかった。「まさにサンドバッグ状態」と振り返る。だが、このままじゃ終わらないと思った。

 何故なら、ひるまない、あきらめない姿がピッチに広がっていたからだ。

 佐藤は『プリンス』と呼ばれたFC東京時代を思い出していた。

 1999年にJ2時代のFC東京に移籍し、J1に昇格してからもチームは「食らいつく」サッカーを信条としてきた。

「負け試合でも拍手をもらったし、逆に大勝しても拍手をもらえなかったのがこのクラブ。サッカー人生を進んでいくにあたって、本当に大きな影響を受けた。相手をリスペクトしつつ食らいつく。それはもちろんフジくんの体にも染みついている。ボカの選手の言葉が多少分かるので『俺一枚、イエローをもらっているから、次はお前がいけ』とか『トランキーロ(時間稼ぎしろ)』とか聞こえてくる。それでもウチの選手たちはやっぱりFC東京のDNAが流れていて、食らいついている。ボールを奪えるようになって、『勝てるぞ』と思いました」

 ラスト10分、ついにFC東京は追いついた。

「指導者になって、あれほど心が震えたシーンはありません」

 咆哮。全員が一体となった瞬間だった。

 結局PK戦で敗れてしまったものの、佐藤は選手たちに心の中で大きな拍手を送り続けた。

「優勝させてやれなくて申し訳なかった。(守備的で)面白くないサッカーをさせて申し訳なかった。でも俺は単純に、感動した」

 試合が終わって、優勝できずに落ち込む全員に彼は熱く、熱く語りかけた。

 今度はコーチの藤山が前に立った。

「ユキコーチはそう言ったけど、はっきり言っておくぞ。準優勝は失敗だ!」

 まさかのダメ出し発言に、佐藤は違う意味で心が震えた。

「フジくん、すげえなって思いました。確かに目標は達成できていないんだから。感傷的になる僕は、まだまだ甘いです。フジくんの言葉は、やっぱり選手に響いていました。尊敬できる指導者だし、まだまだ僕なんて学ぶところだらけですよ」

 

 松田の存在はいつも身近に感じている。

 アイツならどんな指導者になっていたか、そんなことも想像する。

「自分を大きく見せたりもするけど、実は細やかな配慮があるからいい指導者になっていると思いますよ。アイツ、やさしいんで。僕とはタイプが違うでしょうね。でも直樹なら、指導者でも成功すると思います。

 自分が将来、監督になって勝負の世界に出ていくと人生を賭けなきゃいけない。そんなとき価値観が似ているアイツの言葉を欲しがるときが来ると思うんです。でもどこか、常に近くにいるような感じがします。ふとした瞬間に感じるときがあるんです」

 松田直樹と、ともに。

 グラウンドにはきょうもユキコーチの声が響く。

 いつまでもどこまでもサッカー小僧。

 監督の夢を追い掛ける佐藤由紀彦の姿を、松田直樹がやさしく、熱く、いつもどこかで見守っている。

スポーツライター

1972年、愛媛県出身。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、2006年に退社。文藝春秋社「Sports Graphic Number」編集部を経て独立。著書に「岡田武史というリーダー」(ベスト新書)「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない」(ともに三栄書房)「サッカー日本代表勝つ準備」(共著、実業之日本社)「中村俊輔サッカー覚書」(共著、文藝春秋)「鉄人の思考法」(集英社)「ベイスターズ再建録」(双葉社)がある。近著に「我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語」。スポーツメディア「SPOAL」(スポール)編集長。

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