【富田林市】だんじりで知った喜志五郷・平町にある茶臼山古墳。どんな古墳か見に行きました。
少し前に喜志新家(きししんけ)のご紹介をしましたが、その隣に平町(ひらちょう)があります。ここは江戸時代にあった喜志五郷(平・宮・桜井・川面・大深)のひとつ。そんな昔ながらの地域がどんなところなのか、以前から気になっていました。
昨年見た平町のだんじりと河内俄(にわか)の様子です。伝統が今も息づいているという感じがしますね。
ところで、平町が気になったことでは、喜志五郷という伝統の他にももうひとつありました。それは平町に古墳があるということです。
こちらは令和4年現在の富田林遺跡分布図です。
この中に平町の遺跡が紹介されていました。
わかりやすく拡大しました。平町二丁目の西側に「3」の茶臼山古墳というのがあります。
さて平町を確認しましょう。茶臼山古墳は町の北西部分にあります。しかし事前の口コミなどの情報を見る限り、山の中にあるようで、道もなく古墳の前に行くのは困難なようです。
ただ、少しでも近くに行ったら何か見えるかもしれないと思い、平町に行ってみることにしました。羽曳野市との境界近くですね。
外環状線のあたりは喜志新家ですが、西方向に歩くと平町に行けます。
用水路があります。定規で測ったかのように一直線に伸びています。
西方向に歩いていくと山が見えてきました。あの山の中に茶臼山古墳があるものだと推測できます。
住所表記を見ると平町二丁目と書いてあります。
以前受けた喜志五郷のセミナーでは、喜志五郷はのどかな町だという説明がありました。確かにこの風景を見る限りそんな気がしました。
今は真冬なので畑は休耕の状態のようですね。違う季節に行けばまた違った風景が見られるのかなと思いました。
途中にある地蔵堂です。
立派な建物が見えてきました。
このあたりが集落の中心になっているようで、立派なお屋敷のような家がありました。
ここは、安楽寺です。口コミではこの位置から茶臼山古墳方向を確認したという情報がありました。実際にこの寺の先には地図上では道がありません。
来た時間が夕方前だったこともあり、門は閉まっていました。安楽寺の宗派を調べると融通念仏宗とのこと。
平安時代末期に良忍という僧が始めた融通念仏に関係する宗派で、現在の総本山は大阪市平野区にあります。
寺の横をみると人が通れる細い道がありました。歩いてみることにしましょう。
道が続いています。どこまで茶臼山古墳に近づけるか。
恐らくこれが限界かなというところまで来ました。この山の中に茶臼山古墳があるものと想像できます。
なお茶臼山古墳について情報を調べてみると、1986年3月に富田林教育委員会が発行した「貴志西遺跡発掘調査概要」という資料で紹介されていました。
それによると茶臼山古墳は古墳時代後期の円墳で、丘陵腹の山林の中にあり、現在は痕跡のみとどめているそうです。
また出土した遺物として、須恵質瓦泉(はぞう)・堤瓶・蓋・坩(つぼ)が見つかったそうです。
ちなみに瓦泉(はぞう)とは、器(須恵器)の胴の部分に管(ストロー)を指して、液体を飲むためや液を注ぐために開けた穴のことだそうです。
古墳があると思われる場所からの帰り道、行きとは違う道を歩くと、ここにも寺内町を思わせるような古い家が残っていました。
ただ、平町二丁目の集落のあたりは、近所の人以外はあまり通らない場所のためでしょうか?途中で犬に吠えられてしまいました。見学に行く人は注意してください。
途中で「平町農園」と書いてある気になる看板を見つけました。
これは市民体験農園(外部リンク)ということでした。もちろん、いろいろ条件があるのでしょうけれど、まず農作物の育て方を体験できるというのは良いことかなと思いました。
ということで平町の様子を散策しながら、茶臼山古墳があると思われる山林を見てきました。世界遺産の古市古墳群のすぐ南にあるだけに、富田林には古墳が多いですね。
平町を出るあたり、東側を見ると山に雪がうっすら積もっている様子が見えました。
茶臼山古墳
住所:大阪府富田林市平町2丁目
アクセス:近鉄喜志駅から15分
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