Apple Vision Proと「空間コンピュータ」は、メタバース市場をひっくり返すことができるか
アップルが自社のゴーグル型デバイスである「Apple Vision Pro」を発表してから2週間が経過しました。
6月22日には、このデバイス向けのOSである「VisionOS」のソフトウェア開発キットの配布が開始。
さっそくSNS上でも、開発者の感想やサンプル動画が複数あがってきています。
参考:Apple、「visionOS SDK」を提供開始 ~新型ARヘッドセット「Vision Pro」のアプリを開発
「Apple Vison Pro」の発表で印象的なのは、実際に体験した人たちを中心に、その完成度の高さに大きな反響が巻き起こり、大きな注目を集めることになった点でしょう。
なにしろ「Apple Vision Pro」のティザー動画は、発表から2週間で再生数5000万回を突破し、AppleのYouTubeの中で過去最高を更新したそうですから、その注目度の高さが良く分かります。
現地に参加した日本のメディアや開発者の中で、7人だけが実際に「Apple Vision Pro」を体験する機会が得られたようですが、その7人が7人とも「Apple Vision Pro」を絶賛しているのが非常に印象的です。
一方で、VRゴーグル市場においてMeta Questを販売して先行しているメタのマーク・ザッカーバーグCEOが「自分が求めているものではない」などと発言したことも話題になっています。
参考:MetaザッカーバーグCEO、Vision Proは「求めているものではない」
当然ながら「メタバース」業界をリードしようとしているマーク・ザッカーバーグCEOが、Apple Vision Proの動向に神経を尖らせているのは間違いありません。
「ARゴーグル」ではなく「空間コンピュータ」
特に今回の「Apple Vision Pro」発表にあたり、アップルは「VRゴーグル」や「ARゴーグル」という表現も使わず、メタが推進する「メタバース」という概念にも言及することなく、「空間コンピューティング(Spatial Computing)」という概念を前面に打ち出してきました。
「Apple Vision Pro」は、いわゆるPCとよばれる「パーソナルコンピュータ」市場、そしてスマホに代表される「モバイルコンピュータ」市場に続く、新しい「空間コンピュータ」市場の製品であると定義。
自分たちが、この「空間コンピュータ」市場をリードしていく姿勢を明確に打ち出してきたわけです。
ここで注目したいのは、はたしてアップルは「空間コンピュータ」市場のリーダーとして君臨することになるのかという点です。
「Apple Vision Pro」は市場のリーダーになれるのか
実際に、アップルという会社は、これまでに何度もこうした市場の再定義により、新しい市場を生み出しリードしてきた会社と言えます。
そもそも「パーソナルコンピュータ」の概念が一般に浸透したのはスティーブ・ジョブズと「Apple II」の成功が大きかったと言われていますし、「モバイルコンピュータ」の象徴であるスマホ市場を切り開いたのは間違いなくアップルのiPhoneです。
そう考えると今回アップルが提示した「空間コンピュータ」においても、アップルが市場をリードすると考える人が少なくないのは当然です。
ただ、現在の市場環境を踏まえると、そう簡単にいくのかどうか、専門家によっては見方が異なっているのが現状です。
はたして、「Apple Vision Pro」は市場のリーダーになれるのかどうなのか、過去のアップル製品の歴史と比較して予想してみましょう。
大きく分けてシナリオは3つ考えられます。
■シナリオ1.アップルが市場をひっくり返してリーダーになる
これまで、アップルは先行するメーカーが乱立して存在する市場において、ソフトウェアと一体化した新しいユーザー体験を提供することで、一気にその市場のリーダーシップを取ることに何度も成功してきました。
最も象徴的なのはiPodでしょう。
iPodが発売されたのは2001年のことですが、1998年頃から市場には「MP3プレイヤー」とよばれるデジタルオーディオ端末が存在していました。
しかし、iPodは「すべての曲をポケットに入れて持ち運ぶことができる」というコンセプトや音楽配信サービス「iTunes Music Store」との連携により市場を席巻。
米国でのデジタル音楽プレイヤーにおけるシェアは一時期安定して七割を超えていたと言われています。文字通り、iPodはデジタル音楽プレイヤーのリーダーになったわけです。
同様のアップルのリーダーシップは、他の市場でも発揮されています。
例えば2010年に初代モデルが発売されたiPadも、ニッチな市場と考えられていたタブレット端末市場を一気に拡大。
現在でもアップルは38%のシェアを取っており、2位のサムスンに倍以上の差をつけています。
また、2015年に初代モデルが発売されたアップルウォッチも同様にスマートウォッチ市場を拡大。アップルは出荷台数のシェアで34%とトップで、2位のサムスンの3倍以上のシェアを誇っています。
しかも、売上金額でみるとそのシェアは約60%に達しているそうです。
参考:2022年スマートウォッチグローバル市場における出荷を発表
そう考えると、今回のApple Vision Proを軸に、アップルがこの市場のリーダーになることをイメージする人が少なくないのは当然です。
ただ、上述の3市場と大きく異なるのは、ヘッドセット市場には既にシリーズ累計2,000万台を販売していると言われる「Meta Quest」が存在する点です。
VRデバイス市場においては、ある意味「Meta Quest」こそがアップル的なアプローチをとって市場シェアを獲得したプレイヤーと言えます。現在VRデバイス市場におけるメタのシェアは78%にまで達しているといいます。
参考:VRヘッドセット市場シェアは「Meta Quest 2」が席巻、ソニーやPico、仏Lynxらも攻勢へ
そう考えると、この1のシナリオが短期的に実現するのは難しいと考えるのが無難のように考えられます。
■シナリオ2.アップルはニッチ市場のプレイヤーに留まる
当然のことながらアップルも、決して全ての市場でリーダーの座を奪うような大成功を収められているわけではありません。
特に最近の事例で象徴的なのは、スマートスピーカーの市場でしょう。
Amazon Alexaが切り開いたスマートスピーカー市場は、AmazonとGoogleの2強の戦いとなっており、Appleは2018年にHomePodというスマートスピーカーを発売しましたが、現在のところも市場シェアは1割前後で、Amazon AlexaやGoogle Homeに比べると苦戦が続いていると言われています。
アップル苦戦の背景としては、ライバルが100ドル前後で販売している中で、HomePodは349ドルという3倍以上の価格であったことが大きかったと分析されています。
参考:Appleのスマートスピーカーが売れなかった理由とは?新型「HomePod」の噂も
もちろん、アップルはHomePod miniという廉価版も出しましたし、HomePod自体も今年になって新しいモデルが発売されており、今後市場シェアを伸ばす可能性はあります。
ただ、現在のところ市場の存在感でいえば、やはりニッチな存在というのが正直な現状です。
翻って「Apple Vision Pro」について考えてみると、ライバルの「Meta Quest Pro」と比較しても価格で3倍以上、普及端末の「Meta Quest 3」と比較すると7倍の差があります。
価格差の開きを考えれば、「Apple Vision Pro」は、HomePod同様に、市場全体でみるとニッチな端末という位置づけになる可能性は否定できないわけです。
他にもApple TVというセットトップボックスがありますが、こちらはストリーミングデバイス市場の2%に留まっているという調査結果があります。
また、そもそもアップルが市場を切り開いたパーソナルコンピュータ市場において、MacはライバルのWindows PCにシェアでは大きな差をつけられています。
当然のことながら、アップルが切り開いた市場で常に勝利を収められるわけでもないのです。
もちろん、アップルも当然のことながら、こうした過去の失敗から学んで今回の準備をしています。
それが「Apple Vision Pro」をライバルが先行する「VRゴーグル」や「メタバース」向けの商品ではなく、「空間コンピュータ」という新しい概念の商品であると明確に位置づけた点でしょう。
■シナリオ3.アップルとメタがそれぞれ独自市場を構築する
この記事では、あえてメタの「Meta Quest」とアップルの「Apple Vision Pro」を同じ市場のライバルとして比較していますが、多くの専門家の意見を聴く限り、両者を全く別の製品と位置づけた方が正しいようです。
参考:Apple Vision Pro発表を見た、VR機器メーカー中の人視点でのいち見解
実際に両者の商品紹介動画を比べて観れば、その違いは一目瞭然です。
メタも秋に発売する「Meta Quest 3」でカラーパススルー機能を実装しており、ある意味「Apple Vision Pro」と近いことができる端末にはなっています。
ただ、その動画の中でアピールされているのは、とにかくゲーム、ゲーム、ゲームです。
実際に、現在「Meta Quest」シリーズを購入したユーザーの多くが楽しんでいるのは、「Beat Saber」などのゲームや「VRChat」のようなメタバースサービスであると言われています。
一方で「Apple Vision Pro」がアピールするのは「空間コンピュータ」の概念の名の通り、既存のコンピュータ環境を三次元空間に投影できてしまう未来です。
ティザー動画も、発表会でアピールされている利用ケースも、大画面で仕事をしたり、既存の映像コンテンツを大画面で楽しんだりという場面がほとんどで、ゲームの事例はほとんど出てきません。
唯一出てくるゲームの事例は、Apple Arcadeの既存ゲームを大画面で楽しめるというものだけです。
これには、現在の「Beat Saber」のような既存のVRゲームのほとんどは、コントローラーで操作することを前提としているため、簡単な移植は難しいという点もあるようです。
当然、これから様々な開発者が「Apple Vision Pro」専用のゲームを開発することでこれらの状況は変わってくるでしょう。
ただ、少なくとも短期的には、「Meta Quest」がどちらかというとファミコンやプレイステーションなどの初期のゲーム端末に近い市場であって、「Apple Vision Pro」はどちらかというと初期の家庭用パソコンという違う市場の商品で、両方ともまだ生まれたばかりの別の市場を切り開いていく、と考える方が現実的なのかもしれません。
「空間コンピュータ」のさらなる拡がりにも期待
当然ながら、これからVRやARデバイス市場で戦うのは、メタとアップルだけではありません。
Macを参考にしてマイクロソフトがWindows PCをリリースしたり、iPhoneを参考にしてGoogleがAndroidをリリースしたように。
今回の「Apple Vision Pro」や「VisionOS」を参考に、「空間コンピュータ」の世界にあらたなオープンなOSがリリースされる可能性も、当然あるでしょう。
プログラマーの清水亮さんが、さっそく「VisionOS」の感想をnoteに公開されており「VisionOSもまた、空間コンピューティングの最終回答ではなさそうだ」と書かれているのが印象的です。
参考:VisionOSでプログラミングをほんのちょっとだけ触ってみて思ったこと
いずれにしても、「Apple Vision Pro」の成否は、端末を実際に使ってみた人にしか分からないというのが結論でしょう。
ただ、私たちが「スマホの次」になる可能性を持つ、新しいデバイスや技術の誕生を目の当たりにしているのは間違いなさそうです。
「Apple Vision Pro」の発売予定は2024年。
まずは首を長くして、その日を待ちたいと思います。