盛り上がる「WEST EXPRESS 銀河」 それでも夜行列車が消える理由は?
今月25日、JR西日本は「WEST EXPRESS 銀河」を報道公開した。その報道を見た鉄道ファンの多くは、昔の夜行列車が帰ってきたかのように盛り上がっていた。
平成は、夜行列車衰退の時代であった。急行だけではなく、寝台特急も客車列車はなくなってしまい、残るは「サンライズ瀬戸・出雲」のみだ。座席の快速は、臨時の「ムーンライトながら」くらいしか残っていない。
そんな中での「WEST EXPRESS 銀河」の発表は、注目を集めた。
どんな車両か?
「WEST EXPRESS 銀河」は、117系電車6両編成を改造し、車体は瑠璃紺色にしたものである。デザインは川西康之氏。117系はかつて新快速として大阪エリアで走行し、現在は岡山などでのローカル輸送にあたっている、国鉄時代の車両である。
今回の報道で、多くの鉄道ファンは内装に驚いた。
グリーン車は背もたれを倒してベッドにすることも可能な「ファーストシート」と、個室車両を設けた。「ファーストシート」は、かつての開放式A寝台車のように、いすを動かしてベッドにして横になることができるというものである。
また普通車には、座席車のほかにノビノビ座席「クシェット」を設置。2段式B寝台のような車両となっており、横になって旅をすることができる。
これらは寝台料金不要で乗車することができ、特急券、場合によってはグリーン券を購入すれば乗車が可能だ。
なお、シャワーなどはない。
「WEST EXPRESS 銀河」に感じるノスタルジア
なつかしい、と今回の「WEST EXPRESS 銀河」をめぐるさまざまな記事を見て筆者は思った。座席の夜行快速・急行も、開放式B寝台も、個室寝台も経験した立場からすると、若いころの鉄道旅行の記憶を思い出させてくれるものである。
一方でこういった車両は、どんどんなくなっている。
ある種のなつかしさに、胸を躍らせる声が、SNSを飛び交った。たぶん多くの鉄道ファンも、そのなつかしさに歓喜したことだろう。
実際の寝台特急や夜行急行はどんどんなくなっていった。それにはそれで、理由がある。
夜行列車が消えた理由は?
夜行列車は、どんどん消えていった。1970年代に製造された14系や24系は、寝台特急の末期まで活躍したものの、設備の水準を人々の生活水準が大きく追い抜いていき、高額な寝台料金と、時間がかかることもあり、人気がなくなっていった。
設備と時間は大きかった。70年代にはまだ風呂なしのアパートが多くあったものの、90年代になるとほとんどなくなり、多くの人が毎日入浴するようになっていった。「北斗星」などの列車にはシャワールームが設けられ対応したものの、全列車には行き渡らなかった。
この間、新幹線と飛行機の充実は大きく、しかも飛行機が条件付きで格安で利用できるようになったため、実用的に利用する人はそちらに流れた。
安さを求める人は、夜行高速バスを使用するようになった。
かつての寝台特急は、全車冷暖房完備というのが売りだった。いまほどホテルが多くなく旅館ばかりで、風呂・トイレ共同だっため、寝台特急の設備は豪華なものに見えた。
しかし、現在ではB寝台と同じだけの料金を払えば、バス・トイレつきでベッドで眠れ、机などもあり、しかも朝食も出るというスタイルのビジネスホテルが多く存在する。こういったビジネスホテルが充実し、新幹線や飛行機があたり前のように使われるようになると、寝台特急の「寝ている間に移動する」という利便性は意味をなさないものになってしまった。
定期夜行列車の末期は、鉄道ファンが主たる利用者層の中心であった。現在、「サンライズ瀬戸・出雲」に乗る人も、「あえて」という人が多いだろう。
加えて、電車と機関車では講習と試験は別なので、機関車牽引列車の運転士を別に養成する必要もある。JR東日本のクルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」はEDC方式であり、電車もしくは気動車の免許で運転できる(習熟訓練は必要)。
そういった理由で、消えていったのだろう。そして電車の「サンライズ瀬戸・出雲」だけが定期列車として残った。
しかし鉄道ファンは、夜行列車を楽しみたい。そういった理由で、多くのファンが「WEST EXPRESS 銀河」を心待ちにしているのである。