緊急事態を統合した法整備が必要である
新型コロナウイルス第3波
ヨーロッパでは、フランスに続きドイツも12月にロックダウンを開始しました(その後フランスは16日に解除)。また、アメリカにおいては11月下旬に一日あたりの感染者数が初めて20万人を上回り、その後も高止まりが続いているなど、感染拡大がおさまる気配は一向にありません。
また、日本も例外ではなく、ここへ来て第3波の勢いが日増しに加速しています。12月24日に確認された感染者数は、国内で過去最多となる3,212人となり、東京だけでも888人の感染者が確認されました。重傷者数も増加の一途をたどっており、病床などの医療体制のひっ迫状況が懸念されています。
こうなってくると、注目を集めるのが、「再度の緊急事態宣言はあるのか?」という点です。しかし、そもそも日本の法制度上は、感染症拡大防止を理由として、海外のようなロックダウン(都市封鎖)を行うことができないことは、各所で指摘されているとおりです。
緊急事態宣言を定めているのは、新型インフルエンザ対策特措法ですが、この緊急事態宣言の効果というものは、人々に外出禁止などを命じるような強制力のあるものではなく、あくまで外出自粛の要請を行うことができるに過ぎません。むしろこの法律は、医療体制の確保や交通などのインフラの確保に主眼に置いています。そうなると緊急事態宣言を出すことの実質的な意味は乏しく、あくまで危機感を醸成するにとどまるものということになります。
この問題点は、4月以前にも指摘されていたことであり、本格的に感染が拡大した場合に備えて法の不備を整えるべきであるという点も議論にのぼっていたのに、感染がいったんの小康状態に入ったこともあり、議論は棚上げとなったままとなっています。
そして、ここへきて感染が急速に拡大していることを受けて、法的に根拠のない県独自の緊急事態宣言に言及したり、結局は自粛のお願いに終止してたり、今更ながら慌てて見せて法改正の議論を再開しようとしているのは、明らかな対策の遅れと批判されても仕方ないでしょう。
統合されていない緊急事態法制
日本の安全に対する脅威は、新型コロナウイルスのみならず、地震や津波、豪雨といったような自然災害もあれば、他国からの武力侵攻やテロなどもあります。
緊急事態はある日突然に発生するものである以上、事前に法制度を準備しておく必要があります。日本が法治国家である以上、法律の根拠なく国家権力を発動することは許されないのです。
ここで、日本の法制度を欧米と比較した場合の大きな特徴が、日本には一般的な「緊急事態」というものは存在せず、個別の法律において具体的に緊急事態を定めているという点にあります。
たとえば、米国の「1988年スタフォード法」(災害救助・緊急支援法)では、緊急事態を次のように定義しています。
スタフォード法では、自然災害だけでなくテロなどの「すべての危機について連邦政府のサポートを必要とするもの」を「緊急事態」としており、同法に基づいて設立されている連邦緊急事態管理庁(FEMA)も、あらゆる緊急事態に対処する「オールハザード・アプローチ」という体制をとっています。
また、フランスやドイツの憲法をみても、戦争や紛争のような防衛事態、テロや内乱といった治安事態、地震、台風、感染症のような災害事態をまとめて緊急事態として整理しています。このように欧米では緊急事態というものを統合的・包括的に捉えているのです。
これに対して、日本の法制度においては、一般的な「緊急事態」を統括的に規定する法律はなく、戦争や国際テロなどの有事には事態対処法、地震や豪雨などの自然災害に対しては災害対策基本法、そして新型コロナウイルスのような感染症には感染症法や新型インフルエンザ対策特別措置法といったように、それぞれ別個の事態に対してそれぞれの法律が定められています。いわば、各法律において「緊急事態のような各事態」があり、それぞれの事態に対応すべき領域が規定されているということになります。
特措法だらけで基本法がない
さらに、日本の緊急事態に対する法制度は、多くの特別措置法(特措法)で構成されていることが特徴としてあげられます。原発事故であっても、イラク戦争への対応であっても、新型インフルエンザであっても、どれも特措法で対応しているかたちです。
本来法律とは、不特定多数の人や事象に適用されるという意味において、一般性と抽象性を有する必要があり、特定の人や事象を対象にした法律は認められません。しかし、実際には高度に複雑化した現代社会において、一般的・抽象的な法律だけでは社会の要請に十分に応えることができず、ある程度個別的・具体的な法律をつくることで対応することが必要とるので、そうした場合に制定されるのが、特措法です。
問題は、特措法の存在そのものではなく、特措法ばかりで、緊急事態対処や感染症対策などについての基本法がないことです。これは、常に事案が発生するたびに、対症療法的に法律を制定してその場をしのいできたことにほかなりません。
実際に1999年の茨城県東海村臨界事故のあと原子力災害対策特措法が、2001年のアフガン戦争をきっかけとしてテロ対策特措法が、そして2003年のイラク戦争をうけてイラク復興特措法が成立してきたという経緯があります。
特措法によって対処するという方法は、特定の事案に即した法律を柔軟に作ることができるという面もありますが、中長期的に見ると、それぞれが別個に存在することで全体像を把握することが難しい複雑な法体系となってしまうこととなります。
実際に、新型コロナウイルスの感染が拡大していた今年の3月に、感染症法や検疫法、新型インフルエンザ特措法といった法律を適用することができるのか議論となり、結果的にはそのままでは適用できないということで、法改正の上、緊急事態宣言を行うこととなりました。各法律がそれぞれを相互参照している関係にあり、ツギハギのパッチワークのようになっていてかなり分かりにくく、法律としても抜け落ちている部分があったのは明らかです。また、特措法は、あくまで特定の個別具体的な事態に対応する法律であるため、新しい別の事態が発生しても適用することができず、また別の特措法を作る必要が生じることになります。
緊急事態対処の基本法を制定すべき
日本を取り巻く安全保障環境の変化や、気候変動とともに激甚化する災害を考えれば、危機が起きてから泥縄式に個別具体的な特措法を作るだけでは間に合いません。危機が起こる前の平時において可能な限りの事態想定を行い、理性的かつ合理的に議論した上で、あらゆる危機に対応した基本法を作る必要があります。
そのためには、あらゆる緊急事態を統合した「緊急事態対処基本法」を制定した上で、この基本法と個別具体的なそれぞれの事態に対応した法律とが連関して作動するよう作り込むことことが必要だと考えます。
とはいえ、すべてを統合した緊急事態法制をいきなり整備するのは困難でしょうから、緊急事態を、自然災害、まずは、戦争や紛争といった「防衛緊急事態」、テロや内乱のような「治安緊急事態」と分けた上で、それぞれの基本法を制定することから始めるべきでしょう。自然災害については災害対策基本法がありますからひとまず置いておくとしても、新型コロナウイルスのように我々の生活を一変させてしまうほどの脅威である感染症に対して、我々がいかなる理念に基づいて対策を講じるのかの基本理念を示す必要があります。そのため、感染症法、検疫法、新型インフルエンザ特措法といった法律を統合した「感染症対策基本法」を制定することが必要です。
こうした日本の法制度について、近著で詳しく論じていますので、興味のある方は読んでいただければ幸いです。