ジャニーズ事務所の会見を前に、一人の芸能記者として思うこと
一連の性加害問題に関するジャニーズ事務所の会見が7日に行われます。
8月29日に行われた外部専門家による再発防止特別チームの会見で“マスメディアの沈黙”という言葉が使われ、マスコミの責任論がさらに大きくなりました。
情報番組などでも、キャスターやテレビ局の解説委員、芸能リポーターさんらが自分の立ち位置を含めた言葉を出すようになりました。
読売テレビ「ミヤネ屋」の宮根誠司さんも「僕にこの話題をしゃべる資格があるのかなとも思う」とおっしゃるなど、それぞれが自分の言葉で一連の問題について語る。それが求められる流れになっています。
僕もいくつかのテレビやラジオなどで芸能について話をさせてもらっている身として、いろいろと貴重なご意見をいただくようになりました。
1999年4月にデイリースポーツに入社し13年半、演芸担当記者としてお笑いを取材してきました。2012年9月末で退社し、フリーの芸能記者として今も毎年200組ほどの芸能人の人にインタビューをして連載を綴っています。お笑い取材のプロとして特化した形で、芸能記者人生が25年になりました。
そして、今年3月にBBCの報道が出ました。
僕もメディアでジャニーズ事務所のタレントさんの話をすることがあります。それによって出演料ももらってもいます。
だからこそ「お前も共犯者だろ」「自分の言葉で謝罪をしろ」「責任を認めろ」などの言葉をSNSを中心に投げかけられてもいます。
まず被害に遭った方々の絶望には痛いほど共感します。多くの人が年端もいかない少年の時に被害に遭っている。そして、それを誰にも言えない。誰かに言うにしても聞く耳を持ってもらえない。絶対的に悪いことをされたはずなのに、それを誰も認めてくれない。
正しいことは何があっても正しい。おかしなことは何があってもおかしい。そんなことを是として生きてきた僕個人の思いもあいまって、この状況はまさに絶望以外の何物でもないと思います。二人の子どもを持つ身としても、自分の子どもが幾重にも不条理に飲み込まれる。心底、腹立たしいことです。
先述したように、今の仕事をする原点は99年にデイリースポーツに入社したことです。
会社員なので、人員の問題で新入社員として大阪の演芸担当に配属されました。日々、仕事をする中で、自分はお笑い取材のプロになるべく、毎日劇場に通い、毎日遅くまで芸人さんと飲み歩く生活を続けてきました。それは今に至るまで変わりません。
19年に吉本興業の闇営業問題があった時には、長年の取材をもとに、自分が直接聞いて、調べて、間違いがないと思うことだけをこれでもかと綴り、しゃべってきました。
そんな生活の中、ジャニー喜多川氏の性癖の話を聞くこともありました。ただ、それに対して取材対象として動くということはありませんでした。
なぜかと言われると、それは「そういうことではなかったから」というぼんやりとしたワードになってしまうのだと思います。もちろん、刑事事件になり、喜多川氏が逮捕される。そうなれば否応なく動くが、裁判が開かれるという公のことがあったのは事実だが、それでもまだ“なんとなく”の中にいた。
やりすごす。やりすごすという意識もないままやりすごす。それが正確な感覚だったと思います。是非はともかく、事実として。
どんな仕事をしていたにしても、同じ船に乗っていて、その船が進む航路に何らかの形で与していたなら同罪。スポーツ紙もジャニーズの記事を大きく取り扱い、それであらゆる収入も得ている。そこの集団にいたんだろう。
そんな部分に基づいて、恐らく、貴重なご意見をこちらに届けてくださる方々は「責任を認めろ」とおっしゃっているのかと思います。同じ船に乗っていたことは紛れもない事実。船の中にもいろいろな持ち場の人がいはするが、船に乗っていたことは正味の話です。
ここから先は非常に伝えにくく、伝わりにくく、誤解を受けやすい領域だとも思います。
ただ、マスコミに25年身を置くものとして、その意味においての一人の当事者として感じていることを綴っておきます。
マスコミと言っても十人十色。そこを十把一絡げで、画一的な言葉を投げかけるのは乱暴だと感じています。
その空間にいる人は全員悪。そう考えないと難しい。一つ一つ認定していられない。そういう現実問題もあるのかもしれませんが、マスコミにもいろいろな立場の人がいるのが事実です。
本当に伝えるのが難しい領域ですが、この話の裏にはあるのは“マスゴミ”という言葉に集約される不信感。
そして“選ばれた仕事をしている”ように見える、感じさせるこれまでの一部マスコミの不遜さがあるとも思います。“優遇されているように見えるもの”への苛立ちもあるのかもしれません。
①直接の部署や仕事ではなかったが、その船に乗っていることは間違いないのだから、そこを踏まえて反省の弁を述べる。
②直接かかわっている部署にいたので、目いっぱい自戒の念を込めて謝罪する。
③マスコミにはいたが、制作の現場にはいなかったので何もしようがなかった。
④バランスを見て、とにかく大人としての物言いをしておく。
これ以外にもいろいろとパターンはあるのかもしれませんが、そこでどんな対処をするのかも、まさに十人十色です。
僕のスタンスは①に近いと思いますが、どれを選ぶのか。それは本人の居場所と感覚によって定めるべきものだと思います。不釣り合いな謝罪やお門違いの反省など、無意味以上にマイナスです。
被害を受けた方がどうすれば心の平穏を得られるのか。完全なる平穏などはありえないのでしょうが、せめて、せめて、望みに近いものが具現化してほしい。
芸能記者という肩書を自ら選び、自著「なぜ、この芸人はなぜ売れ続けるのか?」や文章投稿アプリ・noteでも「芸能記者と芸能リポーター」の項で書いてもいますが、誇りを持って、芸能記者という肩書を名乗ってきました。
断じて過去を軽視するのではないが、事実として人間は現在と未来にしか生きられない。その真理がある以上、僕は僕のやり方で、僕がプロとして鍛え上げてきた力で、取材、執筆、メディア出演をしていくしかありません。
自分が歩むべきと考える道を歩み、そこに芸能記者としての需要がなくなったら、自分と家族が路頭に迷うだけです。
こんなこと、番組の放送時間をもらって言うものでもないですし、自由に自分の責任で綴れるYahoo!の拙連載で一度は綴っておこうと思い、綴りました。
何を綴ったところで、このニュアンスをご理解いただけるかどうかもわからないですし、理解してもらうべきものなのかも分かりません。
ただ、ジャニーズ問題を超えた、この世の中のもっと先の怖さも含まれる話だと感じる。そして、その温度感はこの立場にいる者しか感じられない。そこに伝える意義があるかと思い、あえて文章に残しました。
綴る48歳。