債券先物は世界のデリバティブ発祥の地に引っ越し
2014年3月24日より、大阪証券取引所と東京証券取引所のデリバティブ市場が統合され、これまで両取引所で取引されていた商品は大阪取引所(デリバティブ市場統合日より、大阪証券取引所は「大阪取引所」へ社名を変更)で取引されることになる。つまり、東証と大証のデリバティブ売買システムが大阪取引所のシステムであるJ-GATEに一本化される。(以上、大阪取引所のサイトを参照)
債券先物取引と呼ばれる長期国債先物取引は、1985年に日本で最初に上昇された金融先物取引であるが、こちらもTOPIX先物などと一緒に24日から大阪取引所で取引される。ただし、債券先物取引はすでに電子取引となっており、東証の立会場から大証の立会場に取引する人が移るといったことではなく、処理するコンピュータが東証のものから大証に切り替わることになる。
デリバティブ市場の統合で何か社会に影響があるのかといえば、たぶんない。債券先物でいえば、先物の端末を操作している現場の担当者やシステムの関係者などは忙しかったと思うが、過去の債券先物のシステム変更に近いものであったのではないかと推測される。つまり、取引する人にとっても特に大きな変更ではない。
ちなみに変更点としては、夜間取引の取引終了時刻が翌3:00に統一されたり、板寄せの際のマッチング・ルールがあったり、即時約定可能値幅(DCB値幅)制度があったりするが、このあたりはかなり専門的となるので、ご興味のある方は大阪取引所のサイトの「デリバティブ市場統合、商号変更及び新商品関連情報」に説明があるので参照してほしい。
デリバティブ市場が大阪取引所に統合されることについては、債券先物にほぼ上場当初から関わってきた私にとっては個人的に寂しい気もするが、歴史的に見て実は大阪こそが世界のデリバティブ取引の発祥の地でもあり、ある意味ふさわしいものと言える。
現在のかたちでのデリバティブ、つまり金融派生商品が登場したのは、米国のシカゴにおいてである。米国では19世紀に中西部の開拓が進み、穀物の取引が盛んになる。ミシガン湖畔で海上交通上の主要地であったシカゴに穀物は集められ、この穀の季節的な価格変動リスクを避けるために、収穫前に値段を決め収穫時に現物を受け渡すといった取引が盛んになる。1848年に世界初の先物取引所といわれるシカゴ商品取引所(CBT)が設立され、ここではまず穀物に対する先物取引が行われ始められた。この先物取引のモデルとされたのが、大坂堂島の米の先物取引なのである。
江戸時代の大坂には諸藩が設けた蔵屋敷に年貢米が送られる。米の売却は蔵屋敷での競争入札で行う。落札した業者は代金の一分を支払い、蔵屋敷発行の米切手(米手形)を受け取り、一定期日以内に米切手と残銀を持参して蔵屋敷から米を受け取る仕組みとなっていた。この取引が時代とともに少しずつ変わり、米切手が転売されていくようになり、米切手そのものが米現物の需給に関係なく売買の対象となっていった。
江戸時代の堂島米市場では着地取引として米の廻着を待たずに米切手が先売りされるようになる。米切手の保有している商人は米の価格変動リスクにさらされることとなり、この米価の価格変動リスクのヘッジを目的として「売買つなぎ商い」という先物取引が考案された。この「つなぎ商い」が1730年に徳川幕府により公認され、堂島米会所が成立したのである。
すでに金融取引のデリバティブの隆盛時代は過ぎ去ってしまったかもしれないが、現在の金融取引にはなくてはならないものとなっている。そのデリバティブの聖地がシカゴであるとするならば、デリバティブの発祥の地は大阪であるともいえる。その大阪で24日から日本初の金融デリバティブ商品である債券先物も取引されることになるのは、ある意味感慨深いものがある。