続発する「ピンポイント強盗」は、なぜ起きるのか 指示役の「計算」と実行役の「誤算」
相次ぐ強盗傷害事件
東京都狛江市の住宅で90歳の住人が殺害された。亡くなられた女性は、左腕を折られ、顔を含む全身を殴打されていたという。
「お年寄りを敬う気持ち」が微塵もない、まさに凶悪犯罪だ。
報道によると、白昼堂々と民家に押し入る強盗団が全国で横行しているらしい。もっとも、そのほとんどが、行き当たりばったりではなく、組織的・計画的な犯行のようだ。
狛江の事件でも、息子夫婦と孫の全員が外出し、被害女性が買い物から一人で帰宅したタイミングで犯行に及んでいる。このことから、強盗団は、住人の出入りが確認できる場所に車を止め、機会をうかがっていたと思われる。
組織的・計画的な犯行である点を踏まえると、出没する強盗団は、振り込め詐欺のグループからスピンオフした集団かもしれない。
振り込め詐欺事件では、指示役が高齢者の情報を入手した後、若者が慣れ親しんでいるSNSを通じ、高収入をうたう闇バイトで実行役を募集することが多い。相次ぐ強盗傷害事件でも、実行役をリクルートする手法は共通している。
大きな違いは、指示役があらかじめ「多額の金品がある家」を知っていることだ。
それが、通常の強盗との違いでもある。通常の強盗では、家に入ってみなければ、どのくらいの金額が手に入るか分からない。しかし一連の強盗事件では、それが分かっていたらしい。その意味で、一連の強盗事件は、ターゲットを絞った「ピンポイント強盗」と呼べるかもしれない。
犯罪機会論から考える
しかし、ここで疑問が生じる。
詐欺と強盗では凶悪性に大きな差があるから、詐欺グループから強盗グループへと、そう簡単には変われないのではないか――。
「犯罪機会論」では、犯罪に手を染めるかどうかは、犯行のコストとリスク、および犯行によるリターンで決まると考える。
詐欺は、犯行のコストが高く、リスクは低い。
というのは、膨大な数の人に電話をかけなければならず、だまされた人が出ても、金の受け取りに苦労しなければならず、コストは高くつく。
しかし、金の受け取りに出向くまで、捕まることはほぼないので、リスクは低い。
一方、強盗は、犯行のコストが低く、リスクは高い。
なぜなら、空き巣なら、侵入技術が必要なので、コストは高いが、宅配業者を装って玄関を開けてもらえれば、コストは低くなる。
しかし、逮捕される確率は高く、刑罰も重いので、リスクは高い。
ところが、実際には、すんなりと家に入れても、住人が金品のありかを、どうしても話そうとしない場合、コストは急上昇する。同時にリスクも比例して高まる。
もっとも、それを想定しているのは指示役だけで、実行役にとっては想定外の展開だろう。
リターンについてはケースバイケースなので、詐欺と強盗のどちらが大きいと一概には言えないが、少なくとも空き巣よりは大きい。
要するに、「ピンポイント強盗」は、犯罪集団の上層部にとっては、犯行のコストとリスクが低く、犯行によるリターンが大きいのである。
犯罪は、合理的な計算の結果
「犯罪機会論」の基礎は、アメリカのノーベル賞受賞者、ゲーリー・ベッカーらの「合理的選択理論」である。
そこでは、「いかなる意思決定においても、人は自らの満足度が最大になるように行動を決定する」と考える。
したがって、犯罪についても、犯行による利益と損失を計算し、その結果に基づいて合理的に選んだ選択肢が犯罪、ということになる。
とすれば、リクルート対象になっている若者に、「犯罪は割に合わない」と思わせることができれば、若者は強盗グループに入ったりしないはずだ。
経済合理性の計算に基づき、今はまだ強盗を選択している実行役も、「犯行のコストとリスクが高い」「いずれ使い捨てにされる」と気づけば、手を引くかもしれない。
こうした思考回路を育てるのが、海外で行われている「シティズンシップ(市民性)教育」だ。例えば、イギリスでは、この科目が2001年に、中学校の必修教科として導入された。
シティズンシップ教育では、日本の道徳教育と異なり、市民としての責任を果たさせることが目指されている。
つまり、「人間としての在り方や正しい生き方に反するから、犯罪はやめよう」という精神論ではなく、「こういう刑罰や社会的排除を受けることになるから、犯罪はやめよう」という実践論だ。
好むと好まざるとにかかわらず、そういうメッセージしか心に響かない時代なのかもしれない。「そんなことはない」と反論してくれる若者が多いことを、ひたすら願うばかりである。