昭和天皇も思わず「あれ、まだある?」…土用の丑の日が数倍楽しくなる“日本人の鰻好き”エピソード決定版
今日は土用の丑の日です。鰻好きと聞いて、みなさんは誰を思い浮かべますか。わたしは、斎藤茂吉のことをまっさきに考えます。
戦時下に鰻を食べまくる斎藤茂吉
医師で歌人の茂吉(1882-1953年)は、日本史上でも稀にみる鰻好きでした。『茂吉と鰻』(林谷廣著)という本さえ出ているほどです。同書によると、茂吉は日記で902回も鰻に言及しているのだとか。
たしかに日記を開くと、1日で2回鰻を食べるのは当たり前。4日連続で鰻の出前を取っている記述まであります。
とくにすごいのは、日本が太平洋戦争に突入した1941年12月。まるで戦勝を祈るように、ひたすら鰻を食べているのです。
たとえば、開戦の日はつぎのとおり。
それ以降も、「捷報しきりに至る、道玄坂にて鰻くひ居るときキング[原文ママ]オブウエルス撃沈の捷報をきく」(10日)、「鰻、銭湯、風気味はやく寝」(17日)、「道玄坂にて鰻」(26日)という調子。そして年末には、年越しそばならぬ年越し鰻まで食べています。
さらに食糧不足になると、鰻の缶詰を銀座で買い込んで、夜食に食べるという始末なのです。その飽くなき鰻愛には驚かされます。
■「夏痩せには鰻を食べよ」と万葉歌人
そんな茂吉贔屓の鰻屋が、ここでも言及されている渋谷道玄坂の花菱です。あまりによく通うので、こんな歌まで作られています。
老舗の同店は現在も営業中です。
ところで、日本最古の歌集『万葉集』にも、鰻にかんする歌が収録されています。巻16の「痩せたる人を嗤笑ふ歌二首」がそれです。
作者は奈良時代の政治家、大伴家持(718頃〜785年)。
歌人としても有名で、戦時中に広く歌われた軍歌「海ゆかば」の原作者といえば、ピンとくるひともいるかもしれません。天皇のおそばで死ぬ覚悟だ、たとえ海山で打ち捨てられた屍となっても構わないと訴える、悲壮な内容の歌です。
前述の2首はそれと打って変わって、吉田連老(むらじおゆ)の夏痩せを笑い、「鰻をとって食べよ」と薦める明るいもの。万葉の昔から、鰻が栄養満点で、夏痩せにいいと言われていたことがわかりますね。
ちなみに家持の父・大伴旅人も有名な歌人であり、こちらは「酒を讃むる歌13首」が『万葉集』巻3に収められています。老舗の鰻屋では、鰻が焼き上がるまで酒でも飲んでゆっくり待つものですから、こちらも2首だけ紹介しておきます。
■昭和天皇も鰻好きで「あれ、まだある?」
もうひとり、鰻好きの人物を紹介しておきましょう。それはほかならぬ昭和天皇(1901-1989年)です。こちらはこちらで、『昭和天皇と鰻茶漬』(谷部金次郎著)という本が出ています。
著者の谷部は、昭和天皇の料理番として長年仕えた人物です。ですから、その証言は信頼がおけます。
天皇がとくに好んだのが、鰻茶漬でした。
天皇は自分から、「何が食べたい、あれがほしい」などと望むことは滅多になかったといいます。そういうことをいうと、周りが準備に走ってたいへんだという思いやりがあったようです。
ところが、鰻茶漬だけは例外でした。
そんな天皇も晩年、体調を崩すと好物の鰻さえ残すようになりました。谷部は料理人として、そのたびに気がかりな思いをしたと記しています。
■せっかく食べるなら専門店で
みなさんは、どれくらいこうした鰻好きのエピソードをご存知でしたか。
最後に、蛇足ながら一言。
やはり鰻は専門店で食べたほうがよいです。資源保護云々はともかく、なにより味がぜんぜん違います。悪いものだと、やたら脂っこいですし、タレもドロドロで甘すぎます。しかもそういうものに限って、いやな臭みが残っていたりするのです。これではせっかく食べる意味がありません。
また、鰻の調理法は蒲焼きだけではありません。鰻の鍋「うなべ」や、鰻のしゃぶしゃぶ「うなしゃぶ」などもあります。今日に限らず、ぜひ探してみてください。