故郷を離れない移民たち(3)
ラティーノ
1960年代くらいからだろうか。日系やドイツ系と異なり、アメリカに長く生活しながら、同化しない人々が増えてきた。その最大のグループはスペイン語を母語とするラテン・アメリカからの移民である。アメリカではラティーノとかヒスパニックとして知られる。ラティーノの場合、その数があまりに多く、また母国があまりに近い。メキシコのように隣国であり、距離があまりに近い。さらにプエルトリコのようにアメリカの一部としなっている地域もある。
既にラティーノの人口は5千万を超えている。アメリカの総人口が3億強であるので、2割に近い。筆者自身もニューヨークに留学中に英語の通じない人々の多さに驚いた経験がある。最初は言葉が通じないので自らの英語力を恥じていたが、やがて英語を解さない人々が多いのだと気がついた。1970年代に最初に現金自動引き出し機がニューヨークに登場した際に故障が多発した。当初は犯罪率が高いせいかと想像していた。だが、そればかりでなかったようだ。英語を解さないので人々が操作を誤る例が多かったようだ。それに銀行側も気がつき、やがて説明が英語とスペイン語の二言語で表示されるようにになった。もっとも、それでも故障は多かった。スペイン語をしゃべるといっても、スペイン語が読めるわけではないという簡単な理由からだった。字の読めない合法・非合法の移民労働者が多い。1960年代に公開された映画『ウエストサイド・ストーリー』では、そうしたプエルトリコからの移民の若者たちのグループとイタリア系の若者たちのグループの抗争を軸に物語が展開する。
2010年のアメリカの国勢調査によると、5000万人超のヒスパニックが在住している。ヒスパニックはアメリカの人口の16パーセント強を占め、黒人を抜いて、アメリカ最大のマイノリティーとなっている。
これだけスペイン語の話者が多く、母国に帰るのもメキシコからの移民の場合、国境の川を渡れば直ぐとなれば、なかなか同化が進まない。
たとえば日本からの移民の場合、故郷に戻るといっても太平洋を渡る必要があった。時間的にも資金的にも大変であった。やがて故郷との絆も薄く細くなった。しかしラティーノの置かれた状況は全く違う。同化が進まない背景である。
逆にラティーノの人口の拡大を受けてアメリカ自身が変化してきた。タコスなどのメキシコ料理は、もはやアメリカ的な食べ物となっている。英語ばかりでなくスペイン語でも教育をしよう。英語とスペイン語のバイリンガル教育の学校の例は少なくない。ある意味では、アメリカのラティーノ化が進んでいる。そしてラティーノの支持を得られなければ政治家には未来はない。
2012年の大統領選挙では民主党のオバマ大統領がラティーノ票の7割を獲得して共和党のロムニー候補を破った。白人だけの票でみれば、ロムニーは勝っていたのだが、ラティーノに代表されるマイノリティーの票を取れずに敗退した。ちなみにアメリカではラティーノは白人とは分類されていないようである。その多くは実際は白人なのだが。
>>つづく