浦和はなぜ「サッカーのまち」なのか?【サッカーの街・浦和ヒストリー】
近年、都心アクセスの向上や駅周辺の開発などにより、住みたい街ランキングでも関東有数の人気を誇る浦和。『行政の中心地』、『文教都市』としても知られているが、忘れてはいけないのが『サッカーのまち』としての側面もあることだ。
浦和のサッカーと言えば、Jリーグでも屈指の熱狂的サポーターが応援するチームとして有名な浦和レッズがあるからでしょ?という答えが多く出てくるかと思うが、実は、それだけが答えではない。埼玉、浦和には110年以上のサッカーの歴史があるのだ。
埼玉、浦和のサッカーの始まりは1908年(明治41年)。埼玉師範学校(現在の埼玉大学教育学部)に着任した細木志朗先生が東京高等師範で学んだサッカー(当時は蹴球)を埼玉の地でも根付かせようと蹴球部を創設したことに始まる。
1937年(昭和12年)には、埼玉師範学校が第19回全国中等学校蹴球選手権大会において優勝を果たして、これが埼玉、浦和初の全国優勝となった。埼玉師範学校の跡地にある、さいたま市役所には「埼玉サッカー発祥の地」の像が建てられており、この像は全国制覇から60周年目を記念した平成9年に建てられたものとなっている。
全国制覇を果たしたイレブンが浦和駅前に凱旋した時には、多くの浦和市民が集まり、当時の様子を伝えた毎日新聞は「その凱旋に浦和市民はシーザーを迎えるローマ市民のごとく歓呼を送った」と記述しており、その記述からも当時からこの街がサッカーに熱狂していたことを感じることができる。
その後、埼玉師範学校でサッカーを教わった先生たちが埼玉各地でサッカーを広めて、「埼玉を制するものは全国を制す」という言葉が残る、サッカー王国と言われるサッカー文化が根付いていくことになる。今でも浦和では、老若男女がサッカーを共通言語にできるのは、この長い歴史から来ているものだろう。
なぜ、浦和がサッカーのまちなのかは、日本でも屈指のサッカー文化の歴史があるからだと理解することができただろうか。今回は、サッカーの街・浦和の原点について紐解いてみました。