【競泳】28歳、古賀淳也。リオでの五輪デビューを夢見て米国で奮戦中
09年ローマ世界選手権金メダルから6年
28歳、ベテランスイマーの古賀淳也(第一三共)が初めてアジア大会(カタール・ドーハ)に出たのは今から9年前の2006年12月。早大1年の冬だった。古賀は男子50メートル背泳ぎで見事金メダルを獲得。最高の“フル代表デビュー”を飾った。
埼玉県熊谷市生まれ。埼玉イトマンスイミングスクール熊谷(現:埼玉スウィンスイミングスクール熊谷)で鍛え、春日部共栄高校時代にインターハイの100メートル背泳ぎで優勝。2歳下でいち早く頭角を現した入江陵介とは10代から良きライバル関係にある。
ドーハアジア大会で金メダルを獲得し、翌07年のメルボルン世界選手権に初出場(50メートル背泳ぎ7位)した古賀にとって、五輪出場の最初のチャンスは08年北京五輪だった。だが、代表選考を兼ねた日本選手権では100メートル背泳ぎ4位。五輪出場を逃した。
もちろん悔しかった。ただし、冷静に考えれば、選考会に向けての準備や心構えは十分と言えるものではなかった。
「それまでの僕はコーチの指導に引っ張られながら何となくやっているような感じでした」
内から沸き上がる思いのなかった古賀の心に変化が生じたのは、北京五輪男子平泳ぎで100メートルと200メートルの2冠を達成し、雄叫びを上げる北島康介の姿を見てからだった。日本中を熱狂の渦に巻き込む姿を目の当たりにし、強く思った。
「うらやましい。僕も金メダルが欲しい」
自分の夢をやっと見つけたと思えてからは練習へ取り組む心構えから変わった。すると、翌09年に急激に力をつけ、自身にとって2度目となるローマ世界選手権の舞台では、初めて出た100メートル背泳ぎで金メダルを獲得した。日本の男子選手が世界選手権で金メダルに輝いたのは北島以来の快挙。古賀は50メートル背泳ぎでも銀メダルを獲得した。
米ミシガン大のクラブチームで練習…4年計画でリオを目指す
目指すは12年ロンドン五輪。だが、その後に待っていたのは浮き沈みの激しい水泳人生だった。古賀は、ロンドン五輪代表選考レースの100メートル背泳ぎで入江に続く2位になったものの、日本水連が設定した派遣標準記録にわずか100分の5秒及ばず、代表ロンドン五輪切符を逃したのだ。
爪一枚分の差、文字どおりタッチの差だった。古賀は選考レースで負けたその日の夜、米国留学を決意した。
「すべてを一から見つめ直し、変えないといけない」
12年末、一念発起して米国ミシガン州に飛んだ。ミシガン州アナーバーにあるミシガン大学の「クラブ ウルバリン」というチームに加入。13年以降は4年計画で強化プランを練り、現在に至っている。
「4年計画の1年目は肉体改造。2年目はテクニック。3年目は試合に向けて、あるいは試合の中でのメンタルの改善。そして、リオ五輪がある4年目が勝負の年。このようなプランを立てました」
今年は日本選手権でまたしてもタッチの差で派遣標準記録を破れず、カザンでの世界選手権代表入りを逃したが、世界選手権と同時期に米国で行われた全米選手権では100メートル背泳ぎで53秒20の好タイムを出して優勝を飾り、地力がついていることを確認することができた。
ターン後のバサロでタイム短縮に成功
泳ぎの中でどのような部分が改善したのか。もともと古賀は、ターンの後のドルフィンキックが不得手で、今年の日本選手権でもそれが失速の原因となった。
そこで古賀は、スタートとターン後のバサロが最も速い金子雅紀選手(ユラス)に頭を下げ、教えを請うた。
「どういう意識で蹴っているのかを聞いたり、映像を見せてもらったりして改善を試みると、それだけで0・5秒くらい違うようになったのです」
金子選手も五輪を目指すライバル。バサロの奥義は企業秘密であり、教えられませんと断られるのが普通だろう。しかし、ここは互いに目指すものが高いトップアスリート同士。すがすがしい友情があった。
「金子くんは以前、僕のバサロキックを見てターンの後のバサロキックを身につけたと話していました。だから、今回はある意味恩返しですと言ってくれたのです。快く教えてくれた金子くんにはすごく感謝しています」
古賀によれば、金子選手に指摘されて自分なりに変えたポイントは、以下のようなことだった。
「僕のバサロキックは足を気にするがあまり、ストリームラインを組んだときに頭が上がり、首の後ろに水が当たっていた。それと、僕の場合はとにかく大きく力強く速く蹴るという意識でやっていたのですが、金子くんは違っていた。よりストリームラインを気をつけ、細かく、タイミングを一定にして、水の抵抗に邪魔されないようなドルフィンキックを心掛けているということでした」
貴重なアドバイスにより、ストリームラインに意識を注ぎ、以前より細かいドルフィンキックに変えたところ、抵抗が減った分、楽に同じ速さで泳ぐことができるようになり、そのことで後半に力を残しておくことができるようになった。それもタイム短縮につながった。
たぐいまれなるポテンシャルを持ちながら、これまで大事な試合で力を出し切れなかった古賀だが、今は、「必要なことや自分がイメージしていることはクリアしつつある。これからは、それを試合で良い気持ちのまま出していけるかが重要になると思います」と、最大とも言えるメンタルの課題と向き合っている。
10年近くライバル関係にある入江とも連絡を取り合い、互いに切磋琢磨している。
「ストロークの話をしたり、キャッチのテクニックについて語り合ったり…。お互いに純粋に上を目指しているから話せるのだと思います」
ロンドン五輪後の12年12月に米国に渡ってから、約3年が過ぎた。言葉の壁も乗り越えながら地道に力をつけてきた。目指すのは29歳で出ることになるリオ五輪。冬場の合宿とレースで課題克服の最後の詰めをし、来年4月の日本選手権(五輪選考会)に向かう。