時間を制御する
技能五輪国際大会が、10月にUAEのアブダビで開催されます。日本を代表する若手技能者が、世界の若手技能者とその技能を競い合う、2年に一度の機会です。
その国際大会には、主に前年の国内大会(技能五輪全国大会)で優勝した選手が出場します。
技能五輪は、非日常的な空間の中で、限られた時間資源を使い、膨大な量の作業を高い水準で完成するよう求められます。
選手は、「速さ」と「正確さ」という、相反する要素を高度に融合させた作業手法を構築し、競技課題の完成度を競います。こうした条件では、普段自然に出来ていることが、自然に出来なくなるものです。国際大会に出場する選手たちは、訓練を通して、自然に出来ることと出来ないことを見極め、その解決策を見つけ出した選手なのです。
そうした選手がいる一方で、国内大会では、優勝候補と言われながら、力を発揮できない選手もいます。
例えば、ある選手は、競技課題の作業中、ちょっとしたミスで頭が真っ白になり、残りの作業にかかる時間を過剰に見積もってしまいました。
その結果、「時間が足りない」と焦り、作業ペースを必要以上に速くしため、ミスを多発し、本来の実力を発揮できませんでした。
この記事では、技能五輪選手の時間を制御する技能に注目して、時間資源、タイムテーブルの構造と使い方をキーワードに解説していきます。
技能五輪では、一般に技能検定一級以上の水準とされる競技課題を、制限時間内に完成させ、その品質を競います。制限時間は、「消費しなければ作業できない」という点で、資源という性質を持ちます。
選手は、時間資源を計画的に使う必要があり、その管理手段として、タイムテーブルが不可欠となります。
タイムテーブルとは、作業を所要時間や工程などを基準にいくつかのセクションに分け、 「この時間で終える」という標準時間が書いてあるものです。
選手は、タイムテーブルを確認しながら作業し、もし遅れていれば作業ペースを速くするなどして時間資源を管理します。
ところが、タイムテーブルがあっても、時間資源を管理できないケースが起こります。私はこれを、タイムテーブルの崩壊と呼んでいます。崩壊のきっかけは2つあり、崩壊のパターンは3つあると考えています。
きっかけの1つ目は、ミスなどで作業が中断する場合です。2つ目は、別の作業が割り込む場合です。
そして、これらが起こす崩壊のパターンの1つ目は時間を見失う、2つ目は過剰/過小に作業時間を見積もる、3つ目は作業ペースが必要以上に速くなる/遅くなる、です。例えば作業ペースには最適な速さがあり、必要以上の速さ/遅さだと、品質が低下します。
日常でたとえるなら、カップラーメンを作るとき、どれだけ急いでても、お湯を注いで15秒くらいでは固すぎて食べられません。
タイムテーブルは本来こうした崩壊のパターンを抑制する働きをするはずですが、崩壊した選手は、「今の時間」や「これからの持ち時間」がわからなくなってしまいます。
なぜタイムテーブル崩壊するのかについて分析をしていくと、2つの要因が考えられます。1つは、タイムテーブルの構造です。もう一つは、タイムテーブルの使い方です。
これら2つの要因を技能として身につけている選手、つまり時間技能の高い選手は、タイムテーブルの崩壊を予防し、崩壊しそうになっても迅速に修復することができるようです。
タイムテーブルの構造は、大きく「基準」と「レンジ」に分けられます。「基準」とは、作業が順調かを判断するための標準時間です。時間を確認したとき、「基準」内なら順調ということがわかります。
時間技能の高い選手は、1分単位で厳密に設定しますが、低い選手は、5分単位とか10分単位で設定し、比較的緩めに設定する傾向があります。
「レンジ」とは、順調さの許容範囲に関する基準です。作業ペースは常に一定ではなく、速くなったり遅くなったりするので、「今は順調か?」「早過ぎるのか?」などの判断が必要です。時間技能の高い選手は、標準、ベスト、ワーストなど「レンジ」を設定しています。
その結果、焦っていても、「レンジ」を根拠に「遅いかどうか」を判断できます。一方、低い選手は、「レンジ」を設定していないため、判断の根拠が曖昧で、実は遅れているのに「順調だ」と判断してしまいます。
次に使い方です。タイムテーブルは1つの道具なので、他の道具と同様に、使い方を訓練する必要があります。
選手は通常高い緊張状態で作業します。また、作業ミスがあると不安などのネガティブ感情も高まります。一般的に、こういった心理状態では冷静さを欠き、時間の計算精度が落ちます。
本番で力を発揮する選手は、こうした心理状態の変化を前提に、時間資源を制御する訓練をしています。
例えば、時間制御の技能が高い選手は、タイムテーブルを全て暗記していて、タイムを確認した際、計算しなくても「何分遅れ」とか「何分余裕がある」とわかるようにします。
また、どこで「中断」や「割り込み」が起こりやすいかを分析していて、そういう場面で時間資源の浪費を避ける訓練もします。
一方、その技能が低い選手は、「いつも通りの自分」を前提にしている傾向があります。
災害時のような非日常でも「自分は冷静だろう」と考える傾向は正常性バイアスと呼ばれますが、実際に非日常となるとそうはいきません。
時間技能の低い選手はまさに正常性バイアスの影響を受けているのに対して、高い選手は、正常性バイアスに気づき、非日常を想定して、正確に時間を把握する技能を訓練しているといえます。
タイムテーブルも、その厳密さと柔軟さ最適なバランスを見つける必要があります。
緻密すぎると、十分に習熟できず、逆に時間の制御が困難になることもあるからです。実際に国際大会で、ある国の選手と指導者が本番前に緻密なタイムテーブルを設計し、訓練していたのですが、緻密過ぎて短時間で習熟できず、本番でタイムテーブルが崩壊してしまったそうです。
技能五輪選手を終えた技能者は、それぞれの所属企業で、開発やイノベーションといった未知で高度な課題に取り組む役割を期待されています。
その意味で、技能五輪の訓練は、課題を発見し解決方法を創出する力を育てる側面もあるのではないか、と考えています。