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没10年。ポール・ウォーカーをこの世から奪ったあの日を振り返る

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
「ワイスピ」シリーズで知られるポール・ウォーカーが亡くなって10年(写真:ロイター/アフロ)

 11月の第4木曜日は感謝祭。毎年、この時期になると、ポール・ウォーカーを思い出さずにはいられない。「ワイルド・スピード」シリーズで人気を得たウォーカーが40歳の若さで悲劇の死を遂げたのは、ちょうど10年前の感謝祭の連休中だった。生きていれば、今年彼は50歳の節目を迎えていたことになる。

 筆者がそのニュースを知ったのは、iPhoneの画面に出てきた業界サイトからの通知だった。「ポール・ウォーカーが死んだ」という短い文を見た時、そんなことがありえるのかと、信じられなかった。なにしろ筆者は、その数週間前、アトランタ州ジョージアで、シリーズ7作目「ワイルド・スピード SKY MISSION」の撮影現場を取材したばかりだったのだ。

 いつものことだが、この時もウォーカーは気取りがまるでなく、記者たちの質問にも明るく、率直に答えてくれていた。3作目から6作目を手がけたジャスティン・リンに変わってジェームズ・ワンが監督を務めることに最初は不安があったと正直に述べた上で、ウォーカーは、数週間ワンの仕事ぶりを見た結果、人として優れているだけでなく、監督としても超一流だと思うようになったと絶賛している。今作でシリーズに初登場するカート・ラッセルについても、「ゴースト・ハンターズ」を数えきれないほど見て、以前から大ファンだったと明かした。実際に仕事をしてみたラッセルは、「自分のことだけでなく全体像を見て、いつも細かいところを良くしていこうとしている大ベテラン。とてもクールな人」だと褒めていた。

 この映画の最も有名なシーンと言える車が飛行機から降りてくるシーンは、この取材時の前に撮り終えていて、その体験についても教えてくれている。そのシーンは40回か50回もテイクをやったそうだが、こういったテクニカルなことが要求されるシーンは、彼にとってとても楽しいのだと語っていた。

チャリティイベントの途中で起きた悲劇

 ウォーカーは、私生活でも車が大好きだった。寛大な彼はまた、慈善活動にも情熱を持っていた。それで、感謝祭の連休で撮影がお休みになるこの週の土曜日、友人でビジネスパートナーのロジャー・ロダスと、その月のはじめにフィリピンを襲った台風の被害者のためのチャリティイベントを、ロサンゼルスの北にあるサンタ・クラリタで主催したのだ。

 そのイベントの途中、ウォーカーとロダスは、2005年のポルシェ・カレラGTに乗り込み、走り出した。運転するのはロダスで、ウォーカーは助手席だ。だが、時速160キロのスピードで飛ばしたその車は、突然、木と電柱に衝突。その後180度スピンすると、車はまた木にぶつかり、炎に包まれた。ふたりの体内から、ドラッグやアルコールは検出されていない。ロダスは運転のプロでもあった。

 この事故が世の中に与えた衝撃は大きかった。さっきまで元気にしていた愛される映画俳優が、一瞬にしていなくなってしまったのだ。事故現場では、花を持って訪れるファンに混じって、「ワイルド・スピード」の共演者タイリース・ギブソンが号泣する姿も見られた。シリーズ4作目「ワイルド・スピードMAX」でオリジナルキャスト4人が集められることになると、ウォーカーは、2作目に出たギブソンも呼び戻そうと積極的に提案したのである。その時は叶わなかったが、5作目では実現し、以来、ギブソン演じるローマンは、映画にユーモアを持ち込むキャラクターとしてファンに愛されていくようになった。

ポール・ウォーカーとタイリース・ギブソンはシリーズ2作目で初共演した
ポール・ウォーカーとタイリース・ギブソンはシリーズ2作目で初共演した写真:ロイター/アフロ

 主演俳優のひとりを失って、映画の撮影開始は無期延期に。ようやく撮影が再開されたのは翌年3月だ。初めてまた現場に戻った時、悲しみを抑えきれなかったというヴィン・ディーゼルは、「砂に頭をぶち込むか、この国を出て消え去ってしまいたいと思った」と、後に筆者とのインタビューでこう振り返っている。

「だけど、ポールが『君にならできる。僕らが誇りに思えるように、やってくれよ』と言っているのも聞こえたんだ。あれは本当に苦しい状況だった。(撮影再開後)初めて撮影したのは、僕が車に乗っていて、ジェイソン・ステイサムが運転する車と衝突するシーンで、僕のキャラクターは怒りに燃えていなければいけなかった。だけど、僕には頭を切り替えて悲しみを忘れるということができなかったんだよ。それどころかティッシュの箱を3つも空にしてしまったのさ。そこにある何もかもがポールを思い出させた。クラシック・チャージャーですらね。僕らはたくさんのシーンであの車について話してきたんだから」(ディーゼル)。

 7作目を完成させるにあたり、ウォーカーが演じたブライアンのキャラクターは、ウォーカーと見た目も立ち居振る舞いも似ているふたりの弟、コディとケイレブに現場に来てもらい、CGを施して再現されることになった。どのシーンが本人でどのシーンはそうでないのかまるでわからないほど、完成作でのブライアンは自然だ。だが、映画を見ながら筆者が恐れていたのは、ブライアンがどんな形でシリーズから消されるのかだった。スクリーンの中でウォーカーが死ぬのを見ることになるのはあまりに辛い。当然、それはフィルムメーカーたちも感じていたことで、映画は最も感動的な形でウォーカーにたっぷりと敬意を捧げてくれた。ブライアンは、シリーズの中で、まだ幸せに生きているのだ。8、9、10作目でも、ブライアンの存在はたしかにある。

ウォーカーの意図と友情はこれからも生き続ける

 ウォーカーに結婚歴はないが、元恋人との間に生まれたひとり娘メドゥのことをとてもかわいがっていて、腕には娘の名前のタトゥーを入れていた(7作目の撮影のために、弟たちも同じタトゥーを入れている)。幼い頃はハワイに住む母のもとで暮らした彼女は、13歳で父親の住むカリフォルニアに移住。しかし、その2年後に悲劇が起き、父との楽しい生活は突然にして断たれてしまった。

 事故の後、メドゥはロダスとポルシェを別々に訴訟。結果的に、ロダスの遺族から720万ドルをもらう条件で和解、ポルシェとは、メドゥの弁護士いわく「全員が満足のいく形で」示談が成立した。一方、ロダスの妻もポルシェを訴訟したが、こちらはポルシェに有利な形で和解成立となっている。

10作目のプレミアに出席したメドゥ・ウォーカーとヴィン・ディーゼル
10作目のプレミアに出席したメドゥ・ウォーカーとヴィン・ディーゼル写真:REX/アフロ

 そんな中でもメドゥはモデルとして道を歩き始め、ジバンシイのショーにも出演するなど活躍するようになった。2021年の結婚式でも、ジバンシイのウエディングドレスを身にまとっている。父の代わりにヴァージンロードを一緒に歩いてくれたのは、ディーゼル。1作目でブレイクし、一緒に多くのことを経験してきたウォーカーとディーゼルの友情は、今も失われていないのだ。

 今年公開された10作目「ワイルド・スピード/ファイアーブースト」にカメオ出演もした彼女はまた、海洋生物学を学ぶ学生をサポートするポール・ウォーカー財団を設立し、運営している。ウォーカーは海をこよなく愛し、南カリフォルニアのコミュニティカレッジで海洋生物学を専攻した。ここでもまた、彼の思いは生き続けている。天国にいるウォーカーは、そんな娘や友人たちを、きっと誇らしく感じているのではないか。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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