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トラック運転手から復帰のBC信濃コーチ 日韓でプレー後に詐欺事件巻き添えの憂き目も、滲む優しさ 後編

室井昌也韓国プロ野球の伝え手/ストライク・ゾーン代表
信濃での田中実(写真:信濃グランセローズ/初報から差し替え)

ルートインBCリーグ・信濃グランセローズの田中実野手総合コーチ(56)は、現役時代、日本ハムと韓国KBOリーグで外野手として活躍。引退後は関西独立リーグ、韓国でも指導者を務めた。

現場復帰は9年ぶり、昨年までは関西と関東を往復する長距離トラックを運転していた。いつ会ってもにこやかな田中。その優しさ、朗らかさは稀有な経験、度重なる困難を経験したからこそ、滲み出るものだった。

前編から続く

◇ ◇ ◇ ◇

引退から9年、大阪に韓国チーム発足で現場復帰

日本ハムで8年、韓国で7年の現役生活を終えた田中は、2001年から大阪で会社員生活を始めた。野球とは無縁の不動産関連の仕事だ。野球から離れた日々にすっかり慣れた09年の年末、ある知らせに心が動いた。

「関西独立リーグに韓国のチームが出来て、監督をサンバンウルの時の先輩、パク・チョルウさんが務めると聞きました。それで監督に激励の電話をしたのが最初です」

「コリア・ヘチ」と名付けられたチームは韓国からやってくる若い選手たちが主体。かつて自分が二十代半ばで、不慣れな韓国球界に飛び込んだ頃の記憶がよみがえった。「少しでも彼らのためになれば」と仕事の傍ら、チームのサポート役を買って出た。

田中が海を渡った頃とは違い、野球界は五輪やWBCを通して国際交流が盛んになっていた。「みんなに韓国チームを応援して欲しい」と田中は地元・大阪を駆け回った。

球団事務所の設立、選手たちの住居手配などの手続きは、野球を辞めてからの社会経験が生きた。さらに選手移動用のバスを運転するために大型自動車の免許を取得。「そこまでやるか」と周囲が思うくらい、チームのために奔走した。

練習が始まると人手不足から自然とノックバットを握った。現役引退から9年経った10年、コリア・ヘチのコーチとして再びユニフォームに袖を通した。翌年には同リーグの大阪ホークスドリームの監督に就任する。ところがその矢先、予期せぬトラブルに巻き込まれた。

詐欺事件で逮捕のとんだ災難。手を差し伸べたかつての恩師

大阪ホークスドリームの監督として開幕から2か月が経過した11年6月、田中のところに警察がやってきた。「2年前の不動産詐欺のことで聞きたい」

2年前とは不動産業に従事していた田中が、コリア・ヘチ発足に携わりかけた頃だった。「知人から電話があって、『家を買いたい人がいるから紹介して欲しい』という話でした。ただ僕は不動産業を辞めようとしていたので、『知り合いの不動産屋の社長に聞いてほしい』と話を振ったら、家を買いたい人と言った人は元暴力団員でそこからトラブルになったそうなんです」

当時の新聞記事によると「田中は元暴力団組員らと共謀し、虚偽の申込書で長期固定金利住宅ローンを契約。融資金約3,800万円を詐取した詐欺の容疑で奈良県警が逮捕した」とある。田中は逮捕された。

だが田中はこう話す。「僕は家を買いたいと言った人に会ったこともなければ、名前も顔も知らないんですよ」。主犯の男が取り調べを受ける間、田中も20日間勾留された。だが向こうも田中を知らず、田中は嫌疑不十分で不起訴処分となった。「とんだ災難に遭ってしまいました」と田中は振り返る。

田中の逮捕を受けて大阪ホークスドリームは「逮捕容疑はリーグに所属する前のことではあるが」とするも監督解任を決定した。翌12年、田中は大和侍レッズの監督を務めたが、チームは同年限りで活動を終えた。

再び切れた球界との縁。そんな田中に一本の電話がかかってきた。サンバンウル当時の監督で在日コリアン2世のキム・ソングンだった。「なんやお前、詐欺で捕まったらしいなぁ。どうなんや不起訴なんか?でも仕事出来ひんやろ?韓国に来いや」

かつての恩師の誘いで13年に韓国の独立球団、コヤンワンダーズのコーチに就任。翌14年にはソン・ドンヨル監督の下、KIAタイガースで外野守備コーチを務めた。

不起訴も消えないデジタルタトゥー。支えた妻

KIAを退団し、大阪に戻った田中。再就職しようとするも見えない壁が立ちはだかった。「面接に行くと元プロ野球選手ということで興味を持ってくれて、僕のことをネットで検索するみたいです。すると『逮捕』と出てくるので、それを見た直後に『今回はなかったことで』と言われた会社が3、4社ありました」

逮捕は記事になっても、不起訴は記事にならない。逮捕当時のスポーツ紙の記事の中には「融資金約3,800万円を詐取する“言語道弾”をかっ飛ばしていた」と、元野球選手の田中を揶揄するものもあった。

そんな田中を支え続けたのが現役引退後に再婚した7つ年下の妻だった。「『私が仕事探してあげるから』と言って、ごみの収集の仕事を見つけてきてくれました。その仕事を1年半、その後に長距離トラックの運転手を5年やりました」

「土曜日に大阪で荷物を積んで、『月着(げっちゃく)下ろし』と言って月曜日の朝9時に東京に着くために、日曜日は休みを返上して走りしました。次に関東で関西に火曜日に下ろす荷物を積んで、たまに東北まで行くこともありました。キツかったですが、嫁と子供を食わさないといけないんで。ハハハ」

降りかかった災難やキツかった仕事の話を、田中は時折笑いを交えながら話す。そんな田中のことを気に掛ける人は少なくない。田中と関西独立リーグで指導者と選手の間柄で、チェコをはじめ各国での経験が豊富な元選手の田久保賢植もその一人だ。田中よりひと回り以上年下の田久保は「また野球やらないんですか?」と言って、田中に指導者復帰の話を提案してきたという。

野球の仕事が一番いい

今年2月、田中はBCリーグ・信濃グランセローズの野手総合コーチに就任した。9年ぶりの球界復帰だ。契約を前に田中は竹内羊一球団社長に「僕、むかし警察沙汰になったんですけど」と話すと、竹内社長は「知っていますよ」と答えたという。すべての背景を理解した上で、田中のことを受け入れた。

試合前の練習時、ダッグアウトを飛び出して外野でウォーミングアップをする選手のところに走る田中。その後ろ姿はとても軽快で美しい。かつてバットを短く持ち、野手の間を抜いて一塁、二塁と駆け回った姿がよみがえる。

信濃は就任5年目となる、地元出身の柳沢裕一監督の指揮で昨年リーグ制覇。今季もここまで27勝9敗で北地区1位だ(7月1日現在)。

「チームは勝っていますし、一緒にバッティングの工夫をしながら練習してきた選手が打ってくれると嬉しいですね。色んな仕事をやってきましたけど、野球の仕事が一番いいってことがホンマわかりましたわ。ハハハ」

田中は信濃から一人でも多く「野球の仕事をし続ける」選手を出そうとグラウンドに大きな声を響かせる。

信濃での田中実(写真:信濃グランセローズ)
信濃での田中実(写真:信濃グランセローズ)

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韓国プロ野球の伝え手/ストライク・ゾーン代表

2002年から韓国プロ野球の取材を行う「韓国プロ野球の伝え手」。編著書『韓国プロ野球観戦ガイド&選手名鑑』(韓国野球委員会、韓国プロ野球選手協会承認)を04年から毎年発行し、取材成果や韓国球界とのつながりは日本の各球団や放送局でも反映されている。その活動範囲は番組出演、コーディネートと多岐に渡る。スポニチアネックスで連載、韓国では06年からスポーツ朝鮮で韓国語コラムを連載。ラジオ「室井昌也 ボクとあなたの好奇心」(FMコザ)出演中。新刊「沖縄のスーパー お買い物ガイドブック」。72年東京生まれ、日本大学芸術学部演劇学科中退。ストライク・ゾーン代表。KBOリーグ取材記者(スポーツ朝鮮所属)。

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