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台湾旅行解禁の前に知っておいてほしい 現地交通事情の深刻さ

田中美帆台湾ルポライター、翻訳家
台北市内の交差点の様子。一見、秩序だって見える(撮影筆者)

台日の架け橋だった作家の事故死

 10月18日、台北近郊の淡水地区で交通事故があった。デリバリーのバイクが前を走っていた自転車に追突。自転車に乗っていた人は頭部を強打して台北市内の病院に緊急搬送され、3日後に死亡した。

 亡くなったのは、日本でも知られる歴史ノンフィクション作家の陳柔縉さんだ。事故後からSNS上では安否を気遣う声があがり、訃報に接して哀悼の意を表す人が続いた。

 陳柔縉さんの著作は、全部で14作。このうち4冊が日本でも刊行されている。

  • 2008年『国際広報官 張超英―台北・宮前町九十番地を出て』 原題:宮前町九十番地、坂井臣之助訳、まどか出版
  • 2014年『台湾と日本のはざまを生きて 〔世界人、羅福全の回想〕』 原題:榮町少年走天下:羅福全回憶錄、小金丸貴志訳、藤原書店
  • 2016年『日本統治時代の台湾 写真とエピソードで綴る1895~1945』 原題:人人身上都是一個時代、天野健太郎訳、PHP研究所
  • 2020年『台湾博覧会1935 スタンプコレクション』 原題:一個木匠和他的台灣博覽會、中村加代子訳、東京堂出版

 日本統治時代以降の台湾と日本に関係する人、出来事、モノを軸に、とりわけ当時の庶民の姿を丹念に描いた作品が多く、その筆致は台湾政府の出版賞を2度受賞と高い定評がある。昨年末には自身初の時代小説『大港的女兒』が台湾で刊行され、日本語版の刊行が待たれているところだった。

 本コラムでも「牛肉を食べない人のいる台湾で牛肉麺が定番メニューになるまで。」でお話を伺っている。取材では丁寧にお答えいただき、「どうぞ」といって、『日本統治時代の台湾 写真とエピソードで綴る1895~1945』の原著をお土産に頂戴した。

 筆者が取材したその日も、「これから息子と待ち合わせしているんです」と言って、事務所から自転車で待ち合わせ場所へ向かうのだと話していた。

 事故直後から関連報道を何本も見たが、なぜデリバリーのバイクが追突に至ったのかはいまもって不明だ。台湾が日本だった時代のことをすくい上げていた陳さんが、次に何を書こうとしていたのか……陳さんにも陳さんの新しい作品にも出会えないのだと思うと、悲しく残念だし、怒りさえ込み上げる。

 「怒り」とことさら強い表現になるのも、普段から台湾の交通事情のひどさを感じているからだ。

台湾の交通事故は日本より多い

 事故後、改めて台湾の国土交通省にあたる交通部発表のデータを確認した。2020年の交通事故数を日本と比較してみる。

日本 台湾

総数 309,000 362,393

死亡 2,839   2,972

 出典:台湾交通部「道安資訊查詢網」と警察庁統計による

 生活実感としても、台湾は交通事故がやたら多いなと思っていたが、想像以上だった。というのも、概数で台湾の総人口は2,300万人。日本の1億2,600万人と比べると、ざっくり計算で約6分の1。にもかかわらず、日本よりも年間発生事故件数も死亡者も多いのである。思わず日本の集計に問題があるのかと思うほどだ。この、台湾の交通事故の多さを明確に物語る数字に、慄然とした。

 同じく去年、追突によって事故死した人は236人、前年比10.3%増、今年8月までの統計でもすでに166人が死亡し、前年比11.4%増となっている。10月の統計はまだ公表されていないが、ここに陳さんのケースが加わることになる。

 事故で亡くなるのは、何も台湾人だけではない。去年1年間で、台湾で交通事故に遭って亡くなった外国人は38人。これも前年比123.5%と多い。

 当たり前ではあるが、台湾で起きる事故には日本人だって例外ではない。今年8月までも含めた直近3年の統計は次のようになっている。

件数 死亡

2021年 11 0

2020年 16 0

2019年 25 0

 だが、この統計に含まれていない事故がある。今年2月に交通事故に遭い、45日経って亡くなった日本人留学生の方がいるのだ。統計上、「死亡」となるのは、事故後30日以内だったためなのかもしれないが、明らかに交通事故が原因である。

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 個人的な体感としても、交通事故の現場に遭遇する機会は多いし、事故にはならなくてもヒヤリとする場面は格段に多い。筆者自身、乗っていたタクシーが接触事故を起こしたこともあるし、路肩に寄せて事故検証する場面は年に数回のペースで見てきた。

 とにかく、多すぎやしないか。

「車優先」「運転者優先」の台湾

 台湾の交通事情に関して、かつて司馬遼太郎は次のように書いている。

 1993年1月5日、夕食を終えて、夜の街に出た。車があふれ、どのタクシーも、他を蹴ちらすように走る。単車がそのあいだを縫って戦闘機乗りのように飛ばしている。地下鉄のないこの街にとって、単車は通勤用で、伊達や酔狂の道具ではない。

 「台湾は車優先です」

 と、老台北がいったとおり、赤信号でも、人が横断していないとみると、運転者は簡単に突破してしまう。運転者が自分の状況判断で進退していて、さほどの事故もおこさないのである。

 出典:『街道をゆく40 台湾紀行』p74-75

 司馬がこう書いてから30年近く経過し、立派な地下鉄もできた。だが、暮らしの中で人々の意識はいまもって「車優先」であり、運転者による状況判断は相変わらずだ。

 たとえば横断歩道。渡ろうとしている歩行者を先に通す気配さえ感じさせない運転者は多い。車やバイクは我先にと走っていくので、うかうかしているとぶつかりそうになる。スマホのながら歩きの人を見かけるが、交差点ではかなり危険な行為だ。

 交差点では、歩道と車道が明確に区分けされているのに、曲がろうとする車やバイクはその線を軽く越えてくる。だから、交差点で際に立つのも危ない。

 小さな路地でも、かなりの速度でかっ飛ばすバイクや車をよく見かける。

 速度オーバーに信号無視、黄信号での無理な突っ込み、バイクや車が歩道にも乗り入れ、ウインカーなしの急な右左折、急停車など、枚挙にいとまがない。交通法規の指導や一時停止や後方確認といった動作はないのかとうんざりする。

 逆に、帰国するたびに、運転している方たちが歩行者を優先するからこそ、日本の安全性は作られているのだと感動すら覚えたほどだ。文化の違いだといえばそうかもしれないが、暮らしの安全にかかわる話を、それで片づけていい問題だとはどうしても思えない。

 筆者自身は台湾での運転免許を取得していないが、たとえば自動車教習所での指導はどうなっているのだろうか。そう疑念を抱かざるを得ない。というのも、一時停止、一方通行など、道路標識にある基本的な交通原則が徹底されていないのは、一個人ではなく社会全体の問題であり、構造的に解決が必要な課題だと思うからだ。

観光解禁を前に

 上のほかにも、「これでいいのか?」と大いに気にしていることが2つある。

 ひとつは救急車などの緊急車両が近づいても、道を譲らない車の多さだ。台湾暮らしで幾度となく見かけて、救急車で運ばれている人やその家族の気持ちを思うと胸が締めつけられた。日本なら、どの車も片側に寄せて緊急車両を通そうとするが、台湾では動き出す車が少ない。これも運転者都合なのかと思うと、げんなりするのだ。

 もうひとつは、バスやタクシーの公共交通の運転手の姿勢だ。杖つきながら、あるいは車椅子に乗ってなど、お年寄りも頻繁に利用する。席につく前に動き出し、よろけて転んでしまう、といった例も見かける。運転の荒っぽさに腹を立てた乗客が「なんてひどい運転だ!」と運転手を叱りつける様を見たのも、一度や二度ではない。人の命や健康を預かる仕事だという認識が見えないのだ。

 そうした姿を見るたびに、交通マナーが大きなストレスになるのは、何も日本人だからではないと感じる。

 日本政府と台湾政府は、現在、トラベルバブル方式での観光再開を協議している最中だという。だが、安全な観光には、コロナ対策だけに注意するのでは不十分ではないだろうか。観光客側の注意喚起はもちろんだが、台湾側での交通規則の遵守、あるいは運転マナーの指導や強化なども含めて俎上に載せて協議してほしい。台日の間で、無念にも散らされた命があることを、きちんと見つめてほしいし、無駄にしてほしくない。

 事は上記でご紹介した方々にとどまらない。毎日、台湾のどこかで交通事故に遭い、1日約8人の命が失われているという。日本の方々には、台湾で事故に遭わぬよう、くれぐれもご注意いただきたい。

台湾ルポライター、翻訳家

1973年愛媛県生まれ。大学卒業後、出版社で編集者として勤務。2013年に退職して台湾に語学留学へ。1年で帰国する予定が、翌年うっかり台湾人と国際結婚。上阪徹のブックライター塾3期修了。2017年からYahoo!ニュースエキスパートオーサー。2021年台湾師範大学台湾史研究所(修士課程)修了。訳書『高雄港の娘』(陳柔縉著、春秋社アジア文芸ライブラリー)。

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