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報道ステーションは世耕議員の指摘するような印象操作を行ったのか?

鎮目博道テレビプロデューサー・演出・ライター。
世耕弘成議員(写真:ロイター/アフロ)

 自民党の世耕弘成議員がTwitterで、テレビ朝日の「報道ステーション」に対して、「今夜の報道ステーションの切り取りは酷い」「印象操作だ」などと批判している。果たして世耕議員の言うような印象操作はあったのだろうか。

まず、世耕議員の指摘はこうだ。

 世耕議員は「正確な理解を国民から頂くという公益性があるので」という理由で、報道ステーションの画面を再撮したと思われる映像もアップし、「これが印象操作の手口です。よく見て下さい。」とかなり強めの口調で、報道ステーションを非難している。

 僕は「報道ステーションのOB」だ。しかも当該の放送を見ていない。なので、この世耕氏の指摘が妥当かどうかについての個人的な意見はあえてここには書かない。賛成・反対どちらの意見を言ったところで、バイアスがかかっていると思われると思うからだ。

 ここでは、長年テレビ局員としてニュース番組の制作を担当してきたものとして、世耕議員がアップした映像から読み解けることを、客観的に分析し、指摘したい。

映像的に2つのシーンは繋がって見えるのか?

 まずは、「映像編集手法」として、世耕議員が指摘する

『「総理は十分説明した」というコメントと、会見終了後に今年最後の会見の可能性があるので「良いお年を」と言ったことは時間的にも、文脈的にも繋がっていない。なのに #報道ステーション は「総理が説明したから、良いお年を」という風に繋げて編集している。』

という点についてはどうだろうか。

 VTRでは、ワンショットで世耕議員が「説明できる範囲は、しっかり説明したと。」という部分を発言している映像に繋げて、スリーショットの映像が繋がり、そこに記者らしき人物が「いつまでやるんですか?」と質問し、それに世耕議員が「え?もう良いお年をというか」と発言し笑いながら、缶のお茶(?)を開けて飲むシーンになっている。

注目すべきは「映像のサイズ」

 ここで注目すべきは、ワンショット→スリーショットという映像のサイズだ。映像文法的には、サイズがかなり違う映像二つを繋げて編集すると、そこは「時間的に連続している」という印象になる。意図的に違うサイズを繋げたかどうかは分からないが、ここでは、確かに世耕議員の言う通り、ふたつの発言が一連だったという印象を、通常の視聴者は持つだろうと思う。

 実際には、時間的に大きく隔たりがあり、文脈として繋がってはいないが、時間の都合上で2つのシーンを並べて入れる必要があるのだとすれば、「間に白を挟む」などの編集技法を使って「シーンが時間的に繋がっていない」ことを示した方が良かったのではないかと思える。

ナレーションとテロップは「煽っている」か?

 では、そのシーンの前にある「ただ、政権幹部とは対照的に、与党内は早くも年越しムードが」というナレーションと、「”年越し”」というテロップはどうだろうか。

 この映像だけでは、このシーンの前がどうなっていたのか分からないので、何がどう「政権幹部とは対照的」なのかは分からないからその部分は判断できない。後半の「与党内は早くも年越しムードが」という部分については、定例記者会見がどの程度の頻度で開かれるものなのか私は知らないので、そういう意味ではよく分からないが、12月10日の放送であることを考えると、まあ年越しとしては「早くも」という感じはするので、さほど意図的なナレーションであるとは言えないだろう。テロップもことさら「煽る」とか「大げさ」な感じはしないと思う。

「会見終了後の本来収録すべきではない部分」という点は?

 次に、世耕議員の『「良いお年を」の部分は会見終了後。本来収録すべきではない部分。』という指摘について。この部分を「報道ステーション」が放送したことについてはどうだろうか?これは私は、特に問題はないと考える。なぜなら、公人が公の会見の席で話すことであるから、たとえそれが会見終了後であったとしても、それを撮影することも放送することも、全く問題はないと思われるからだ。その発言に意味があると考えれば、むしろ放送すべきであるということができると思う。

 ただ、「この発言が会見後のやりとりである」ということは分かるようにしておかないと、その後笑って缶のお茶を飲むシーンが若干「感じが悪く」見えてしまうというのはあると思う。「説明できる範囲は、しっかり説明したと。」という発言から一連で見えてしまうと、一層そうした印象を持たれる可能性は高くなりそうだ。

 以上、あくまで「客観的」な立場から、テレビニュースに長年関わったものとして、世耕議員がアップした映像だけを見て感じたことを書いた。番組には文脈があるし、ニュースも一連の文脈で判断すべきものだ。放送を見ていない私にはそれが「印象操作」であったかどうかを判断する資格はない。「報道ステーション」という番組のOBである点でも、私がこのことについて何らかの意見を言う立場にはないと思っている。

 果たして世耕議員の指摘が正しいのかどうかは、放送を見た視聴者の方々が判断すべきことだと思う。そして、世耕議員の指摘に対する反論は、堂々とテレビ朝日によってなされるべきだと思う。

 

テレビプロデューサー・演出・ライター。

92年テレビ朝日入社。社会部記者として阪神大震災やオウム真理教を取材した後、スーパーJチャンネル、スーパーモーニング、報道ステーションなどのディレクターを経てプロデューサーに。中国・朝鮮半島やアメリカ同時多発テロなどを取材。またABEMAのサービス立ち上げに参画。「AbemaPrime」「Wの悲喜劇」などの番組を企画・プロデュース。2019年8月に独立し、テレビ・動画制作のみならず、多メディアで活動。公共コミュニケーション学会会員として地域メディアについて学び、顔ハメパネルをライフワークとして研究。近著に『腐ったテレビに誰がした? 「中の人」による検証と考察』(光文社)

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