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陸上・日本選手権の注目ポイント【2】2010年世界ジュニア組の新たな一歩(1)ストライドを伸ばす飯塚

寺田辰朗陸上競技ライター
昨年のロンドン世界陸上200mでは準決勝まで進出した飯塚だが(写真:ロイター/アフロ)

 2010年にカナダ・モンクトンで開催された世界ジュニア選手権(現在の名称はU20世界選手権)は、日本勢が大活躍した大会だった。男子200mで飯塚翔太(ミズノ。当時中大1年)が、短距離種目ではシニアを含めても日本人初の金メダルを獲得。安部孝駿(デサントTC。当時中京大1年)は400m障害で銀メダル、戸邊直人(つくばツインピークス。当時筑波大1年)は走高跳で銅メダル、ディーン元気(ミズノ。当時早大1年)はやり投で銀メダル、岡田久美子(ビックカメラ。当時立大1年)は女子10000m競歩で銅メダルを獲得した。メダルには届かなかったが、大迫傑(Nike ORPJT。当時早大1年)は男子10000mで8位に入賞、鈴木亜由子(JP日本郵政グループ。当時名大1年)は女子5000mで5位に入賞した。

 2003世界陸上200mで銅メダルの末續慎吾、リオ五輪棒高跳で7位の澤野大地、2006年アジア大会女子走幅跳で金メダルの池田久美子ら、日本記録保持者が揃ったゴールデン世代と言われた学年があった。彼らを上回ると期待され、プラチナ世代と言われた飯塚たちの学年だが、25歳で迎えたリオ五輪や、その前後の世界陸上でも個人種目のメダルを取った選手はいない。

 そもそも、ジュニアでメダルを取ったからシニアでもメダルを取れる、と考える前提がおかしいのだが、プラチナ世代は世界ジュニアから10年後の東京五輪でメダルを狙う。2018年の日本選手権には、彼らのプロセスが1つの局面として見られる。

銀メダリスト飯塚への本当の期待

 ゴールデン世代の看板は世界陸上銅メダルの末續慎吾だった。プラチナ世代の看板は、世界ジュニアで金メダルの飯塚翔太と言って異論はないだろう。YouTubeで映像が見られるが、モンクトンの飯塚は本当に強かった。そしてリオ五輪では4×100mリレーの2走で銀メダルと、プラチナ世代で唯一、五輪&世界陸上のメダルを取っている。

 だが、飯塚への本当の期待は個人種目にある。短距離種目でファイナリストとなれば、日本人にとってメダルに匹敵する。飯塚の最高成績は2013年と17年の世界陸上での準決勝進出で、決勝まではもうワンランクアップしないと届かない。自己記録は2016年の日本選手権で出した20秒11。末續の日本記録(20秒03)に次ぐ日本歴代2位だが、目指すのは当然、100mの9秒台よりも希少価値がある19秒台である。

 リオ五輪銀メダルで注目されるのはありがたいことだが、ジュニアの個人種目金メダリストとすれば、リレーでしか活躍できないのは不本意以外の何ものでもない。

 飯塚は元々、2020年五輪まで10年をかけて自身のピークを作ることも考えていた。世界ジュニアでメダルを取った選手は、一部の別格的な選手を除き、成長の幅は小さい。右肩上がりに成長していくことはまず、あり得ない。もちろん早い段階で結果を出すに越したことはないが、山あり谷ありを繰り返しながら“数年前と比べたら少し成長している”という形で成長グラフの線は上がっていく。

今年3月末に米国合宿から帰国した飯塚。海外遠征や海外合宿にストレスは感じない選手<筆者撮影>
今年3月末に米国合宿から帰国した飯塚。海外遠征や海外合宿にストレスは感じない選手<筆者撮影>

 かつての為末大がそうだったように(100m・200mで中学日本一、400 mで世界ジュニア4位、400 m障害で世界陸上銅メダル2回)、ジュニアで世界トップレベルに達した選手は、“数年前と比べたら少し成長している”という事象が2~3回くらいあれば、シニアでも世界トップレベルに達することができる。世界ジュニアで20秒58を出した飯塚のステップアップは、20秒21を出した2013年がそういえるだろう。2016年の20秒11はステップアップとも言えるし、そこまで明確なステップアップではないかもしれない。

 大らかな性格で思い詰めたようなところはないが、飯塚はありとあらゆる取り組みをしている。高校時代から冬期は頻繁に、米国でトレーニングを行ってきた。他の競技のトップ選手と一緒にハワイで合宿することもあった。世界最高峰のダイヤモンドリーグから、ヨーロッパのローカル試合まで、出場できるなら飛んで行った。そしてこの冬はメキシコで、短距離では珍しい高地トレーニングも試みた。

「(空気抵抗が少ないので)スピードが出て身体に負荷をかけられます。平地と同じ本数はできませんが、短距離にも効果があるという(英文の)論文も読みました」

 高地合宿は無事に終えられたが、次の米国合宿中に右の腸腰筋に痛みが出た。良い方に解釈すれば、これまで使えなかった部位を走りに生かし始めたから出た痛みかもしれない。シーズンインが5月のゴールデングランプリまでずれ込み、20秒75の8位(日本人4位)と良い結果ではなかった。だがリオ五輪銀メダルメンバー3人の争いとなった6月3日の布勢スプリント100mでは、山縣亮太(セイコー)には敗れたがケンブリッジ飛鳥(Nike)には先着した(10秒21)。

ストライドを伸ばすことの意味

 そして6月9日に母校中大での200mレースに出場し、20秒54の今季日本最高をマークした。飯塚はミズノのホームページに「身体の大きさを生かした走りができてきてるので1つ上のレベルを目指せそうです」とコメントを残している。

6月3日の布勢スプリント100m決勝。山縣(中)には敗れたが、飯塚(右)はケンブリッジを抑えて2位。100mのスピードが上がっている<撮影筆者>
6月3日の布勢スプリント100m決勝。山縣(中)には敗れたが、飯塚(右)はケンブリッジを抑えて2位。100mのスピードが上がっている<撮影筆者>

 飯塚は186cmの長身を考えると、ストライドが小さい。ピッチの速さを生かした走りが特徴なのだ。だが、そのピッチを生かしたままストライドが伸びれば、記録を縮めることができる。これまでもその視点でトレーニングを行ってきたが、20秒21(学生新)を出した2013年以降、そこまで明確にストライドが広がったというデータは得られていない。

 当時から飯塚を見続けている中大の豊田裕浩コーチは、今の飯塚を次のように見ている。

「データで出ているのは布勢スプリントです。飯塚の100mは48歩が平均ですが、布勢の予選では47歩でした。30~50mの2次加速は、(脚の回転を上げていくところで)どうしてもストライドが出にくい局面です。そこで確実に歩数が減っています。中大の200mのデータはありませんが、本人には伸びている感覚がしっかりとあったようです」

 飯塚レベルに達していれば、そう簡単にストライドは変わらない。先ほど説明したジュニアトップ選手の成長プロセスとも重なる部分だ。それが1cmでも伸びれば、飯塚が次のステップに上がる裏付けにもなる。

 豊田コーチが指摘するもう1つの課題は、予選・準決勝と20秒1~2台の高いレベルの記録を続けて出すこと。「最低でも2本揃えないと、(五輪&世界陸上の)決勝には進めません」

 風向や風速にも左右されるが、日本選手権の予選でも20秒2~3を出し、決勝ではさらにタイムを上げる。それが飯塚陣営の考えているレースプランだ。

「そのためには前半の100mを楽に、大きく走る必要がありますが、そこの感覚をつかみつつあるのだと思います」

 飯塚は布勢のレース後には日本選手権に向けて、次のように意気込みを話していた。

「自己記録を切るつもりで行きますよ。今までにない手応えがあります」

 本番直前にテンションを上げるのは飯塚のいつものやり方だが、冬期の新たな取り組みから今季のここまでの流れで、それなりの感触を得られている。

 今年の日本選手権でその感触をさらに確かなものにできれば、飯塚の19秒台への見通しが一気に開く。ミズノの先輩だった末續を超えるための一歩となる。

陸上競技ライター

陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の“深い”情報を紹介することをライフワークとする。一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことが多い。地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。

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