どうして正力賞は「球界最高の賞」になれなかったのか?
正力松太郎賞は、かつては「球界最高の賞」を自称していたが今はそうではない。それはなぜか?
今年のプロ野球の発展に最も貢献した関係者に贈られる「正力松太郎賞」が発表された。やっぱり、と言うべきだろう。日本シリーズを制したソフトバンクの工藤公康監督が選ばれた。4度目の受賞は史上最多タイだ。
最近はネットニュースも読者の志向に合わせ上がってくるニュースが異なるため、一概には言えない。それを考慮しても「この話題を取り上げるメディアが少ないなあ」「取り上げ方が小さいなあ」という印象がある。
また、かつてはこの賞を制定した読売新聞グループでは、これを「球界最高の賞」と紹介していたが、最近はそういう表現が付随することもなくなったように思える。
その理由はまずはコンプライアンスだろう。果たして、この賞が「球界最高」の評価を得ているのか。客観的基準に基づかない表現は良くないとの判断だろう。
そして、もう一つはコンプラ云々を別にしても、なによりもこの賞がそれほどのステイタスを確立できていないのが実態だからだ。「自称です」ということで突っぱねられる域ですらない、と言っても過言ではないだろう。
この賞が、自ら望んだステイタスを得られなかった最大の理由は、そのような認知を得られる選出をやってこなかった、ということに尽きる。近年では2017年のサファテのような例外もあるが、基本的には事実上の日本シリーズ勝利監督賞と化しているのが実態だ。
この賞が制定されて以降、三冠王はのべ7人生まれているが、だれ1人として受賞していない。今年の工藤監督の選出を否定するものではないが、仮に日本シリーズを制したのがソフトバンク以外の球団だったら、かなりの確率でその監督が選ばれたことだろう。
この賞は、監督、選手、コーチ、審判を対象にしているらしいが、それぞれのカテゴリーで「球界に最も貢献した」と言える定義はなんなのか、選手と管理者(と審判)をどう比較するのか、おそらくこの賞が制定されてから一度も真剣に議論されたことはないのではないか。
もちろん、プロ野球の究極のゴールは日本シリーズを制することで、その最大の功労者は監督だという理論もなくはない、と思う。しかし、それ以外に基準を事実上持たないなら、いっそのこと名称を「川上哲治賞」か「三原修賞」にでも変更し、「日本一監督を讃える賞です」としたほうが潔いと思う。
この賞の発端は1977年に「756号本塁打を放った王貞治を表彰しよう」ということだったのだが、それを「その年の球界に最も貢献した人物」とし、これを受賞することが「球界最高の栄誉」と自称した。
ところがその後40年以上、「球界に対するその年の最大の貢献者とは」という議論を避け続けてしまった。そして、「とりあえず日本シリーズ勝利監督に」という安易な選択に逃げて来た。その結果、「球界最高の賞」は自称だけになってしまった、ということだろう。
そして、その失敗の最大の要因は、読売新聞がこの賞を世に送り出した段階で早々と「球界最高宣言」をしてしまったことではないか。
われわれの周囲には揺るぎないステイタスを確立した賞なりブランドがある。しかし、それらの権威性は、正力賞とは異なり、周囲の評判によるものだ。ノーベル賞もロールス・ロイスも、自らが一番ですとか権威がありますとは決して言わない。それは長きに亘りそのような評価を得るだけのアクティビティやハード&ソフトを送り出し続けた結果だ。
ところが正力賞は最初に自称してしまった。自らの中では、誕生と同時に「球界最高」になってしまったので、その後その選考に於いて世間を納得させる基準を確立する、という努力を怠ってしまった、ということではないか。