Yahoo!ニュース

引退試合は試合前のセレモニーだけにすべき

豊浦彰太郎Baseball Writer
(写真:ロイター/アフロ)

今年も引退試合の季節がやってきた。

9月21日には、中日の小笠原がスタメン出場し3打数1安打。試合後には、対戦相手でかつて在籍した巨人の選手も含め胴上げで彼の労をねぎらい、その輝かしい経歴に敬意を表した。また、同じ中日ではその前日に朝倉も最後のマウンドに上がり、打者1人を打ち取った。涙の登板だった。彼ら以外にも、今季限りでの引退を表明しているベテラン選手は多い。これからの数少ない残り試合で、彼らを送る最後の登板や打席が見られることだろう。

率直に言って、ぼくはこのような引退試合が好きではない。

引退していく選手たちの功績には敬意を表したいし、長年声援を送ってきたファンとのお別れの場を設定してあげることも、とても良いことだと思う。しかし、それは試合前後のセレモニーでやるべきだ。どうして、彼らに特別の出場機会や登録枠を献上しなければならないのか。

公式戦はあくまで真剣勝負の場だ。引退試合に出場する選手の多くは、それがなければ出場できない立場であることが多いし、そもそも引退試合に合わせ、1軍登録されるケースも少なくない。公式戦である限り、球団はベストなメンバーを出場させるか、そうでない場合は将来を睨んで若手にチャンスを与えるべきだ。現在の引退試合は、ペナントレースの尊厳を傷付ける行為だと思う。

「たった1試合や、1打席、打者1人に対する登板くらいいいじゃないか」という声もあるだろう。しかし、これは定量的な影響度を云々することではなく、フィロソフィーや倫理感の問題だと思う。また、彼らに機会を与えるため出場機会を失っている選手や、登録を抹消される選手に対しフェアではない。

さらに言うと、そんな情本位の機会を与えられることは、引退していく選手たちに対しても敬意を欠く行為ではないか。球団は、かつてはその力量が必要であったからこそ多くの出場機会を与えた。そうでなくなったら情に流された起用はしない。そうあってこそ、それまでに彼らが掴み取った機会が輝くというものだろう。さすがに、数年前までは目に付いた、引退登板の投手に対し、相手打者がどうみても不自然な空振りを見せることがなくなったのは救いだが。

繰り返すが、引退していく選手たちを讃えることには何の異論もない。しかし、それらはあくまで試合外のセレモニーとしてやるべきことだ。衰えにより実力で出場機会を得ることができない選手に最後の機会を与えるのは、せいぜいオープン戦だろう。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

豊浦彰太郎の最近の記事