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パンデミックの出口を考えよう

加藤秀樹構想日本 代表

新型コロナウイルス感染対策の「出口戦略」について考えてみたい。出口戦略を考えないといけないと思う理由は次の三つだ。 

(1)日本政府は昔から出口戦略が不得意である。

(2)感染拡大防止のため国民の行動が極度に抑えられ、経済的に余裕のない個人、企業、団体ほど早々に「食べていけなく」なる。

(3)パンデミックはいずれ終息するとして、その時「元に戻ってよかった」で終わらせてはいけないと思う。

もとより私は感染病に関して素人だが、この歴史的な大事件を将来に生かせるよう、できるだけ多くの人にこの問題について考えてほしいと思う。

1.なぜ

(1)について少しおさらいしてみよう。

第二次大戦は名著「失敗の本質」(1991年中央公論新社)でも詳しく分析されている通り典型的な例だが、福島原発事故の時の対応も政府、東電ともに日本軍と同様の失敗を繰り返している。

アベノミクスも同じで、インフレ率2%など当初掲げた目標を達成できないままズルズルと期限を延ばし、今に至っている。

共通するのは最終目標ではなく目の前のことを目標にして、後追い的にそのための策や資源を小出しにする(逐次投入)ことを繰り返すこと。

今回のことに関して、中国が本当に成功したのか、ヨーロッパ各国の対応が成功するかどうか分からないが、彼らと比べて日本政府や東京都の今回の対応はやはり後追いの逐次投入的に見えてしまう。

(2)の観点からは、この逐次投入的対応は最悪だ。日々あるいは月ごとの収入で暮らす人や事業主は数としては相当多く、すでに切羽詰まった状況にある。この人たちにとってはできるだけ早く人や取引が動き始めることが死活問題だ。しかし感染対策上は動けない。

通常のマクロ的な財政支出や金融緩和よりも、ズバリ現金給付が必要だと思うが、お金も無限にはない。ならば、何を出口とし、何でそれを見極め、いつ頃になるか。そして出口に向かってどんな優先順位で誰に何をしていくか。科学的知見に基づいて決めなければいけない。

現金の貯えがない人にとっては、何らかの形で日常を取り戻すことが不可欠だ。相手はウイルスだから見極めるのは難しいし、そう簡単には収束しないだろうが、だからこそ今から考えておかないといけないと思う。

2.どんな

新型コロナウイルスは、感染力は強いが罹患による死亡率はそれほど高くないという。だとすれば、少し乱暴な言い方になるが、風邪やインフルエンザのような形での人間との共生状態に持ち込むのが出口ということになるのだろうか。その意味では、批判を浴びてすぐ撤回されたが、ジョンソン首相が発表したイギリスの最初の方針は参考になると思う。

ジョンソン首相は見かけを含めてトランプ大統領の弟分みたいな印象があり、あの時の会見も日本ではトンデモ的に報道されたが、方針自体はかなり綿密な分析に基づいていたように感じる。

ポイントは以下のようなところだ。

 ・感染を封じ込めることはできない。

 ・感染者の実数は既に特定された人数よりはるかに多いだろう。しかし最も危険なのは今ではなく数週間先。

 ・最も重要なことは高齢者や脆弱な人を守ること。

 ・そのためには感染のスピードを抑え、その人々に医療機関が対応できるようにすることが重要。

 ・だからこそ、症状が出た人は少なくとも1週間家にいて、他の人にうつさないようにすること。

最後に「みんな手を洗おう!」と言ったのはイギリス的ご愛嬌か。

出口を考えるうえでこれが参考になるのではと思うのは、死亡など重篤な病状に対応することを中心に据え、そこから逆算して感染拡大を抑えようと言っているところだ。これは違う視点でみると、国民の日常の活動をなるべく維持しようという方針だと言える。現にこの時の会見ではイベント中止や学校の閉鎖は効果がないのでしないと言っている。

これに対して日本は、感染を拡げないことを目的にして、そのための自粛要請を次々と出している。これでは終わりが見えなくて不安になる。

安倍首相は「この戦いで勝利」と言っているが、ジョンソン首相が言うように、ウイルスを封じ込めることはできない。勝利宣言はいらないので、どうなったら「非日常終結宣言」を出すのかを決めるべきではないだろうか。そしてそれは、「感染拡大防止のための感染者隔離」から重篤な患者を出さないための「高齢者など体力的に弱い人の隔離」への転換ではないのだろうか。

私の憶測に過ぎないが、イギリスはその後感染拡大防止等に転じたが、基本認識は変えておらず、どこかの時点で出口戦略として当初の方針に戻るような気がする。他のヨーロッパ各国も同じような方向転換をするのではないか。

日本政府はこれまで、感染者が欧米ほど増えないことを「成果」としている節があるし、東京都のように感染者が増えると自粛要請を追加するという「悪い癖」が出ている。マスメディアも、感染者が出た場所や組織に対して犯人捜しをするかのような報道を続けている。

このような状況を続けていては、そうでなくても見えないものを相手にした難しい判断をしないといけない時に、日本が出口にたどり着くのが最も遅くなり、多くの国民に取り返しのつかないダメージを与えてしまうことになりかねない。それを避けるのが政治の責務だろう。

3.その際

冒頭の(3)は、上述の非日常を日常に戻すということと矛盾するように見えるかもしれない。私がこうあってほしいと思うのは、まずはかつての日常に近いところに早く戻したうえで、今回の非日常で私たちが感じたり経験したことをこれからの日常の中に織り込んでいきたい。そうやって私たちの個々の生活と社会を次のステップに上げていきたいということだ。

一言で言うと私たちの生活や社会の「断捨離」であり、SDGsに近づくことだ(私の勝手な好みとしては、どちらの言葉も好きではないのですが)。

多くの企業がいま、時短やテレワークを行っている。操業を止めている工場も多い。それに応じて多くの人が家で過ごす時間が長くなり、仕事に費やす時間は短くなったりしている。それで収入が落ち込む人も多いから、できるだけ早く日常に戻らないといけないのだが、結果として高齢の親の面倒を見たり、子どもと過ごす時間が増えたりしているという話もよく聞く。

また、マスクや消毒液などは品不足だが、物がなくて生活が困っている訳ではない。買い物や外食が減ってお店の方は大変だが、生活として全く味気なくなったり、楽しみがなくなったりしているわけでもないだろう。

企業の経営者に聞くと、あんなにたくさんあった会議や会食がなくなったり、短くなったり、電話やテレビで済んでいる。実は結構スリム化できることがわかった、という人も少なくない。

株価は世界的に相当下がったが、これにしても世界的な金余りが続き、アメリカや日本は、金融で人為的に上げ底になっていたから、その分下落幅が大きい面もある。

東日本大震災の時もこれを機にいろいろ見直すべきといった声は随分聞いたし、一部の人は東京から田舎へ移住したり仕事を変えた。しかし社会全体としてはほとんど変わらなかったのは、政治、経済の中心である東京が変わらなかったからだろう。

しかし今回は、東京など大都会が最も大きい影響を受けている。しかも地球環境、シェアエコノミー、地方志向、これまであまり省みられなかった障害者やマイノリティに目が向き始めたことなどの流れがある。これらは先進国に共通している。

私は今回のことを経済成長頼みの幻想を捨て、豊かな成熟社会への転換の大きなきっかけにすべきだし、きっとなると思う。

4.さらに

私たちが試されているということではもう一つ大事なことがある。私たちの行動の自由やプライバシーと国の規制や監視との関係、私権と公共の利益(公益)との関係だ。

私たちは普段、人と会ったり、食事をしたり、仕事をしたりなど自由にしている。しかし今回のような状況では、政府や自治体が自粛要請をして、多くの人や企業がそれに従っている。感染がさらに急増するようなら、緊急事態宣言が行われ、より強い規制がかかる。欧米では既にこういった強い規制が行われている。中国ではたぶん規制と同時に個人の行動に対しても強烈な監視体制が敷かれていると思う。感染防止という「公益」のためにどこまで「私権」を制限することが許されるのだろうか。

今のところ日本政府の対応が緩やかなのは、日本が特に民主的な国家ということではない。感染が比較的緩やかなのに加えて、政府や自治体が補償などの責任を取りたくないという面が強いことも大きい理由だろう。

欧米が強い措置を採っているのは感染が急拡大しているためではあるが、国民と国家との間に、私権と公益の間の長年にわたるせめぎ合いの蓄積からくる、一定の信頼関係があるからではないだろうか。少々買い被り過ぎかもしれないが。

日本の政治の世界では、このせめぎ合いの蓄積ができない。一部の野党議員がアレルギー的に反対し、与党はそれに対して数で押し切る。特に若い議員には公益とは何かの理解がないままに、政権が考える公益は絶対だといった風潮が強いのは危険だと思う。

本来公益というのは、国民が考え、担うものだ。政治家の間で私権と公益についての議論が深まらないのも、元はと言えば国民自らがそんなことを考えもしなかったことの結果でもある。

その意味では、私たち一人一人が、自分が感染したくないという私益を越えて感染を拡大させないという公益をどこまで真剣に考え行動するかということが試されている。構想日本が掲げている「自分ごと化」がここでも大きい課題なのだ。

多くの人が感染防止という公益を「自分ごと」として行動すれば、国家権力の介入は小さくて済む。私権と公益は本来、二者択一ではなく、誰もがワンセットで考え行うものだからだ。

同時に、私権と公益の間のせめぎ合いを自分の中に積み上げていき、社会にも蓄積していけば、国家権力が出動する時にも恐れなくて済むようになる。「緊急事態宣言」についても本当に国民の利益になるものか、危険なものかの判断が私たち自身につくようになるからだ。

パンデミックという大ピンチだからこそ、身につく知恵もある。

政治家にすべてを委ねるのではなく、みんなのことを「自分ごと化」して私たち自身の「政治能力」をアップしたい。

構想日本 代表

大蔵省で、証券局、主税局、国際金融局、財政金融研究所などに勤務した後、1997年4月、日本に真に必要な政策を「民」の立場から立案・提言、そして実現するため、非営利独立のシンクタンク構想日本を設立。事業仕分けによる行革、政党ガバナンスの確立、教育行政や、医療制度改革などを提言。その実現に向けて各分野の変革者やNPOと連携し、縦横無尽の射程から日本の変革をめざす。

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