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「心肺蘇生は下手でもいい」 1000回以上の講習で医師がたどり着いた境地

南文枝ぐるぐるフリーライター/防災士/元毎日新聞記者
市民らを対象にした心肺蘇生講習で、阪神・淡路大震災の経験を話す医師の冨原均さん

 阪神・淡路大震災から、1月17日で25年。6434人が亡くなり、4万人以上の負傷者が出た震災は、多くの人たちの生き方に影響を与えました。当時、医療ボランティアとして神戸市内で活動した兵庫県西脇市の医師、冨原均さん(69)もその1人。震災の翌年、1996年から市民らを対象に始めた心肺蘇生法の講習は、2019年12月で1061回を数えました。

心肺蘇生法の実技講習に臨む参加者を見守る冨原さん(右から2人目)
心肺蘇生法の実技講習に臨む参加者を見守る冨原さん(右から2人目)

「阪神・淡路大震災の現場で『人の命は人が救う』ということを学んだ。(心肺蘇生法の)技術が上手いとか下手とかそんなことはたいしたことじゃない。(目の前で人が倒れた時に)やるかやらないかが問われている」

 2019年12月に西脇市内で開かれた1061回目の心肺蘇生講習「第20回救急ナイトスクール2019」で、実行委員長を務めた冨原さんは参加者約150人に語りかけました。「目の前で人が倒れた場合、勝負の時間は5分から10分だと言われています。救急車が来るまでの時間は全国平均で8.3分。救急車を有効に使うためには、救急車が到着するまでにその場にいる人たちの処置が大事です」

 冨原さんは、さらに続けます。「『私は心肺蘇生法があまり上手くないから』とちゅうちょする人が多いですが、よく考えてみてください。下手くそで適当で不十分な心肺蘇生法であっても、やらないよりはやった方がはるかにましに決まっています」

 子どもからお年寄りまで、幅広い年代の参加者らは、真剣な表情で耳を傾けました。講習では、心肺蘇生法の要である胸骨圧迫や人工呼吸、AED(自動体外式除細動器)の使い方などを学びます。参加者らは数人ずつ、15グループに分かれ、医師やボランティアらの指導で実技講習に臨みました。胸骨圧迫では、「深さ5センチ程度、1分間に100~120回程度の速さ」で、横たえられた人形の胸の中心を押していきます。冨原さんは各グループを回り、アドバイスをしていきます。

「第20回救急ナイトスクール2019」で実技講習に臨む参加者ら
「第20回救急ナイトスクール2019」で実技講習に臨む参加者ら

「今日は改めて命を助けるのは人である、ということを考える機会となりました。教えていただいた心肺蘇生法とAEDの方法を実践できるよう、これからも意識を高めて安全・安心なまちづくりを進めていきます」。講習の修了証を受け取った女性は、こう決意表明をしました。

子どもから大人まで約10万人に心肺蘇生法を指導

 冨原さんは、西脇市を含む兵庫・北播磨地域を中心に、小中学校、高校などの教育機関や自主防災組織などで心肺蘇生法の講習を続けてきました。これまでの受講者は、子どもから大人まで約10万人に上ります。

 冨原さんが、講習を始めるきっかけになったのが、阪神・淡路大震災です。当時、順天堂大学医学部付属伊豆長岡病院(現同大医学部付属静岡病院)で救急医療に携わっていた冨原さんは、静岡県の医療チームとして、神戸市灘区の王子スポーツセンターを拠点に診察にあたりました。

 西宮市の私立中学、高校に通っていた冨原さんにとって、神戸は思い出が詰まった街です。変わり果てた街の姿や、多くの遺体を見るのはつらい経験でした。「あの時見た惨状や、感じたつらい気持ちは、今でもフラッシュバックします」。避難場所となった体育館や公園に張ったテントなどで生活し、いらだつ被災者から「何しに来た」と怒鳴られることもありました。

 そんなある日、公園のテントで生活していたおばあさんから、温かい雑煮を勧められました。温かい物を食べられない被災者もいたため辞退しましたが、翌日も、翌々日も「これは私の気持ちだから」と雑煮を勧められました。断りきれずに受け取り、泣きそうになりながら雑煮を口にしました。

 被災者の温かい心遣いに触れ、「大学病院で救急医療に携わっていた医師が、地域のためにできることは何か」と考えて出した結論が、故郷で救急医療を向上させることでした。1996年、西脇市で冨原循環器科・内科を開業し、心肺蘇生法の講習を始めたのです。「将来を担う若い人たちに伝えたい」と、2002年からは、中学生向けの講習にも力を入れています。

 当時の西脇市の救急救命率は5%程度。冨原さんは「あまりにも人が助かっていない」ことにがく然としました。心臓病で倒れた人の多くが、病院に搬送される前に亡くなっていました。「倒れて心肺停止した時に、何もしなければ助かることはあり得ない。病院前救急をなんとかするためには、市民が頑張らなければいけない」。そう考え、心肺蘇生法やAEDの普及に努めてきました。

 市民や行政、地元企業とも連携して講習を続けた結果、北播磨地域の救急救命率は上昇し、2018年度は11%と初めて10%を超えました。冨原さんは「講習の効果が目に見えてきた。(多くの市民が救命講習を受けている)アメリカ・シアトルでは30%を超える。西脇をシアトルにしたい」と話します。

 冨原さんは、講習では必ず阪神・淡路大震災の話をします。「中学生などに話をする時は、(医療ボランティアとして活動した)東日本大震災の話もするけれど、(阪神・淡路大震災は)自分の原点だから」。当時の経験を話し、命の大切さ、心肺蘇生法やAEDの重要性につなげていきます。

「阪神・淡路大震災での経験があったから、西脇市で開業し、心肺蘇生講習を続けてこられた。やれるところまでやりたいが、私が亡くなった後でも、同じようにではなくてもいいから続けていってもらいたい」。冨原さんの活動が、これからも多くの人に広がっていってほしいです。

「心肺蘇生講習をやれるところまでやりたい」と話す冨原さん
「心肺蘇生講習をやれるところまでやりたい」と話す冨原さん

写真=筆者撮影

ぐるぐるフリーライター/防災士/元毎日新聞記者

1979年、石川県生まれ。同志社大学経済学部卒業後、北國新聞記者や毎日新聞記者、IT企業広報を経て、2013年からフリーライターとして書籍や雑誌、インターネットメディアなどで執筆。現在は兵庫県小野市在住。これまで当ページやニュースサイト「AERAdot.(アエラドット)」などで大阪、神戸、四国の行政や企業、地元の話題など「地方発」の記事を執筆。最近は医療関係者向けウェブメディア「m3.com(エムスリーコム)」で地域医療の話題にも取り組む。地方で面白いことをしている人に興味があります。

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