プレイバック・テニス取材記(1):2007年7月 錦織圭@ロサンゼルス
2007年7月 ロサンゼルス・UCLA Countrywide Classic
にしこり・けい――その名前が、日本のテニス関係者の間で既に有名だということは、なんとなく知っていた。
2006年頃から、当時住んでいたロサンゼルス近郊を中心に、ポツポツとテニスを取材するようになっていたころ。噂の彼のプレーをようやく見る機会は、2007年に南カリフォルニアのカーソンで行われたチャレンジャー(ツアーの下部大会)で訪れる。予選から参戦していた17歳の少年は、本戦への切符を勝ち取ると、そのまま決勝まで駆けあがった。
その決勝戦での彼の戦いを見て、自分が抱いていた勝手な先入観が、ことごとく覆されたことを覚えている。
彼が180センチに満たない小柄な身体だということは、プロフィールを見て分かっていた。だから……だったのだろうか? 堅実な守備とカウンターを主体とした、言ってみれば男性版・伊達公子のようなプレーヤーを想像していた。
ところが実際に見る彼は、凄まじいスイングスピードでフォアハンドを振り抜き、鋭いスピンの掛かった美しい弾道の強打を次々と相手コートに叩き込んでいく。特に際立ったのが、フォアサイドに回り込んでの逆クロス。カリフォルニアの抜けるような青空の下、彼は飛び跳ねるようにコートを走りまわり、全力でボールを打ちぬいていた。
結果的には決勝で敗れ準優勝に終わったが、彼はこの時に獲得したポイントによりランキングを急上昇させ、翌月には、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)で開催される、ATPツアー大会・カントリーワイドクラシックの予選にも参戦する。
自分にとってはこの時が、錦織圭を“取材”する初めての機会だった。
UCLAのテニスコートは大学施設といえど、1984年ロサンゼルスオリンピックのテニス会場を務めたほどの規模と格式を誇る場所。メインコートは、6000人の観客を収容する巨大スタジアムである。
ただ大会の予選が行われるのは、スタジアムから離れたキャンパスの片隅であり、日頃学生たちがリクリエーションで使うコートだった。客席のスタンドなどは、もちろんない。まばらな観客たちは、フェンス越しに行われる試合をやや遠目に見るのみである。
それでも彼は、UCLAキャンパスの片隅で、既にちょっとした人気者だった。「圭くん、がんばって!」と声援を送る日本人女性たちが居れば、「カモン、ケイ!」と叫ぶアジア系の年配の男性たちもいる。その男性に、なぜ錦織を応援するのかたずねると「先月のカーソンの試合を見て、彼のプレーが好きになったんだよ」との返事。
「それに……うちの息子に、よく似てるんだ」
台湾系アメリカ人だという男性は、そう言ってはずかしそうに笑った。
試合は、錦織の圧勝だった。試合後、コートを引き上げる彼に「すみません、ちょっと取材で話を聞かせてもらいたいんですが」と声を掛けると、恐らく彼は、こんなところに日本人の取材者が居るとは思わなかったのだろう。一瞬驚いたような顔を見せたが、「そこに座ってでもいいですか?」とコート脇のベンチを指さした。汗をぬぐいながら、肩に担いだラケットバッグを下し、彼がベンチに腰をかける。こうして、自分にとっての錦織圭初取材が始まった。
この時のことで印象に残っているのは、こちらが「日本では今、一歳年長の杉田祐一選手が話題になっていたり、女子でも同期の森田あゆみ選手がウィンブルドン本選に出るなど活躍していますよね。彼らの存在は刺激になりますか?」と聞いた時の反応だった。
彼は一瞬、質問の意図を理解しかねるような表情を浮かべ、「いや…女子はちょっと違いますし、日本のことはあまり分からないので……」とやんわり否定すると、「でも、ヤングとかの活躍は気になります」と続けたのだった。
彼がここで言う「ヤング」とは、錦織と同期のアメリカ人プレーヤー、ドナルド・ヤングのこと。「神童」「天才」の呼び名を欲しいままにした彼は、15歳で鳴り物入りでプロに転向。2005年に史上最年少でジュニアランキング年間1位に座し、実力が名声に釣り合っていることをも証明したヤングは、その当時からワイルドカードを得てツアー大会本選に出まくるなど、アメリカ全土から過剰とも思える期待を寄せられていた選手だった。
そのヤングを、錦織は意識していると言う。それは彼自身も、近い将来、ツアーのトップで活躍することを視野に入れているということだった。
「えっ!? あのヤングをライバル視しているんだ。凄いな……」
そのような背景があったにしろ、今になって振り返れば、この時は大変失礼なことを思ったものである。
そんな話をしながら、少し離れたコートの試合につと目を向けていた錦織が、そのままの姿勢でたずねてきた。
「次、この試合の勝った方とやるんですけれど、あの選手、知ってますか?」
これまた申し訳ないことに、全く知らなかった。
「そうですか、僕も知らないんです。これくらいのランキングで同じくらいの年齢の選手だと、だいたい一度は試合したり、大会で会ったことあるんですけれどね。あの選手は、名前すら聞いたことなかったから」。
そうなのか……と、この言葉を聞いた時に、はたとした。
まだ17歳とはいえ、彼はもうこの戦場では、異邦人ではない。新参者でもない。この若者は既に、世界各地を転戦するテニス特有のシステムにドップリ身をつける、いっぱしのツアープレーヤーであったのだ。
予選を勝ち抜き、自分の手でつかみ取った初のATPツアー本選への切符
翌日の予選決勝も、彼は淡々と自分のプレーに徹し、当時から「一番自信があります」と断言するフォアで試合を支配していた。
この試合を見ている時、近くに座っていた地元紙の記者から「彼は今何歳なの?」と聞かれた。17歳だと答えると、「本当に!?」と驚きの声をあげて続ける。
「とても落ち着いているし上手だから、カレッジを出たばかりの選手かなと思った」。
結局この試合も錦織は、ネットに出てくる相手をストロークで圧倒し、簡単に見える勝利を手にする。
「congratulations!」との祝福の声を掛けられながらコートを引き上げる錦織に、観客の一人が「身長はいくつ?」とたずねた。
「5フィート10くらい……」
返答を聞いた男性は、少し意外そうな表情で言う。「本当に? 6フィート(約180センチ)はあるかと思ったんだけれど?」。
あみだ被りのキャップからのぞく顔は少年のようにあどけなく、6フィートに満たない体は、今より遥かに細身だったはず。それでもコート上の彼は実年齢より遥かに大人びて映り、その身体も、一回りは大きく見えるらしかった。
勝利後もさほど表情を変えなかった錦織だが、「これで初のATPツアー本選出場ですね」と声を掛けると「すっごい嬉しいです! この予選の間、ず~っとメチャメチャ緊張していたから…」と、紅潮した頬を興奮と安堵でさらに明るく輝かせた。
「本選は失うものは何もないので、思いっきりやれると思います」。
この瞬間まで抑えていた自分への期待感が、一気に溢れ出てきたようだった。
その初めて立ったATPツアーの本選でしかし、彼は初戦で3-6,2-6で敗れる。先にリードを奪うも、途中からはサーブ&ボレーを得意とする相手のネットプレーを封じきれず、ラケットを叩きつけそうになるほど悔しさを露わにもした。
「相手のプレースタイルは分かっていたのに、好きなように前に出させてしまう自分が許せなくて……」
例え相手が、経験やランキングで自分より遥かに上回っていようとも、彼は敗戦の痛みを何より真っ先に全身に感じていた。だが時間の経過とともに徐々に痛みが減退すると、最後に身体の芯に残ったのは、確かな自信と未来への確信。
「チャレンジャーとレベルは違うけれど、やっていける手応えはありました。凄い自信になりました。初めての経験なので、凄く楽しかったし」
自分と対話するように、言葉を一つひとつ紡ぎながら、彼は言う。
「会場で見る選手が有名な人ばっかりで……そのあたりで緊張しちゃいました」
飾らぬ自然な面差しから、時おりふっとこぼれる本音。
浮かべた苦笑いは、どこまでも初々しかった。
あの時のロサンゼルスから、9年の年月が経った。
初めてツアーの舞台に立ったあの日の少年は、その後も手応えを自信に、自信を勝利に、そして勝利を確信に変えながら、世界の頂点へと肉薄しつつある。
9年前に394位だったランキングは、今は世界の6番目に。
今週カナダで開催されるロジャーズカップは、彼にとって142大会目の、ATPツアートーナメントである。