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パレスチナ:スイカは連帯と抵抗のシンボル

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:アフロ)

 2023年11月16日付『シャルク・アウサト』(サウジ資本の汎アラブ紙)によると、イスラエル軍によるガザ地区への攻撃が激化するのと時を同じくして、世界中のSNSや芸術活動や抗議行動の場でパレスチナ人への支持を表明するためのスイカの画像と動画が場を席巻しているそうだ。この報道によると、過去50年間にパレスチナ問題に連帯する象徴は多数用いられており、その例には主にアラブの男性が使用する被り物の布であるクーフィーヤ、オリーブの枝などがある。スイカもそのようなシンボルの一つなのだが、これが最近の情勢下で連帯や抵抗を示す場に復活しているのだそうだ。

 スイカがパレスチナのシンボルとして使用される歴史は、1967年にまでさかのぼるらしい。第三次中東戦争でイスラエルがヨルダン川西岸地域、ガザ地区、東エルサレムを占領すると、イスラエル当局はヨルダン川西岸地区とガザ地区でパレスチナの旗を使用することを非合法化した。そこで、パレスチナ人たちがイスラエルを欺くために闘争のシンボルとしてスイカを用い始めた。なぜなら、スイカは切断面の色がパレスチナの旗と同じく、赤、黒、白、緑の4色からなるからだ。上記の報道によると、イスラエル当局はパレスチナの旗の使用を禁じただけでなく、赤、黒、白、緑の4色を使用する芸術作品も禁圧し、花やスイカの絵も没収対象だったそうだ。1993年、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の相互承認を定めたオスロ合意の一環として、被占領地でのパレスチナの旗の使用禁止は解除された。そして、この旗はパレスチナ自治政府(PA)の旗としてヨルダン川西岸地区、ガザ地区に掲揚された。

 しかし、スイカはその後も抵抗運動の中で使用され続けた。2021年にイスラエルの裁判所が東エルサレムのある街区に居住するパレスチナ人複数の追放を認める判決を下した際にスイカが使用された。また、イスラエル側からパレスチナの旗の没収や、大学のようなイスラエルが予算を支出している機関でのパレスチナの旗の提示の禁止が持ち出された際は、イスラエル国籍を持つアラブ人の団体が抗議キャンペーンとしてテルアビブを走行するタクシー16台に「これはパレスチナの旗ではない」との但し書きとともにスイカの絵のペインティングを施した。また、現在の情勢下では、スイカの絵はSNSの投稿内容の識別・非表示機能を回避するための婉曲表現・暗号表現として用いられているとのことだ。

 反占領の抗議やパレスチナ人民への連帯の表明の象徴としてスイカが持ち出されることは、なんだか間抜けな話のようにもみえる。しかし、敵方の当局による禁圧、検閲、現在のSNSの世界での投稿内容の規制を避けたり欺いたりするという意味で、それを使う者たちにとっては大まじめな活動だ。しかも、スイカには長年にわたり抵抗の象徴として用いられてきた歴史と実績がある。これにより、各国の政府、報道機関、世論は、イスラエルによる占領とそれに対するパレスチナ人民の抵抗は長期間にわたる問題であり、両者の紛争が2023年10月7日(=ハマースの「アクサーの大洪水」攻勢開始)によって突然始まったものではないことを「思い出す」べきだともいえる。今般の戦闘については、欧米諸国でも当事者のいずれかを支持する示威行動・抗議行動が多数行われており、それを当局が規制すべきか否かが政治・社会問題に発展することもある。抗議の場にスイカが現れることは、紛争当事者の片方に偏向する政府や報道機関に対する意見表明でもあるのだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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