小型核融合炉実用化に挑むスカンク・ワークスとは?
アメリカの航空防衛機器大手のロッキード・マーチン社が、小型核融合炉を今後10年で実用化すると発表して話題になっていますね。
ロッキード・マーティン公式PV
技術的ブレークスルーにより、10年以内の実用化に目処が立ったようです。この技術的ブレークスルーを成し遂げたのは、ロッキード・マーチン先進開発計画(ADP)、通称「スカンク・ワークス」と呼ばれるチームで、1943年の設立以来、軍用機を中心として様々な先進的、野心的な開発計画に挑んでいます。今回は「究極のエネルギー」とまで言われる核融合炉の開発に挑む、スカンク・ワークスについて紹介したいと思います。
ドイツのジェット戦闘機に対抗する為に設立
第二次世界大戦中、ドイツが先行して開発したジェット戦闘機に対抗するため、1943年にアメリカ陸軍航空隊(アメリカ空軍の前身)がロッキード社(現ロッキード・マーチン社)の設計主任だったクラレンス・”ケリー”・ジョンソンにジェット戦闘機の設計を依頼します。ロッキードはジョンソンに専用のチームを組織させ、ジェット戦闘機の開発に当たらせました。ドイツのジェット戦闘機実戦投入が迫っていた為、迅速な開発が求められていましたが、ジョンソンは開発が始まった1943年6月26日から、わずか143日後の1943年11月16日に原型機を完成させる驚異的な速さで仕事を成し遂げました。この時に開発されたロッキードP-80シューティングスターはジェット戦闘機としての活躍期間は短かったものの、練習機型のT-33は半世紀以上に渡り各国で使用され、航空自衛隊でも2000年まで現役でした。
スカンク・ワークスの由来
P-80の開発中、戦時下で工場がフル稼働していたため、ジョンソンのチームが設計を行うスペースに余裕がありませんでした。仕方なく、屋外にテントを張って設計を行う事になりますが、隣の工場から異臭が流れこんできて、テントには常に強い臭いが立ち籠めていました。ある時、テントで設計にあたっていたエンジニアが電話に出た際、「こちらスコンク(Skonk)・ワークス」と応じます。これは、当時の新聞に連載されていたマンガに、スカンクから酒を密造する工場が出てており、その工場の名前に自分たちのチームを引っ掛けたジョークでした。このジョークはたちまち同僚に広まりチームの愛称として定着しますが、著作権の関係から「スコンク」が「スカンク」に変更され、現在のスカンク・ワークスはロッキード・マーチン社の登録商標となっています。
数々の先進的プロジェクト
ジョンソン率いるスカンク・ワークスは、戦後も様々な先進的プロジェクトに関わります。高高度をマッハ3以上で飛行可能な超音速偵察機SR-71、冷戦期の偵察で活躍したU-2偵察機等の秘密が多い機体から、「最後の有人戦闘機」とまで呼ばれたF-104戦闘機等、数々の成功作を世に送り出しました。
ジョンソンが引退した後もスカンク・ワークスはステルス攻撃機F-117、ステルス戦闘機F-22、自衛隊も採用予定のステルス戦闘機F-35の開発で重要な役割を果たすなど、世界の航空界で存在感を示しています。また、ロッキード社の様々な開発計画に携わり、ステルス実験艦シー・シャドウの開発も行うなど、航空機に留まらない活躍を示しています。
このように半世紀以上に渡って航空機開発で世界を驚かしてきた開発者集団が、今度は核融合炉の実用化に挑みます。実用化に成功すれば、人類に計り知れない進歩をもたらす事になるかもしれません。ここは是非とも成功して欲しいですね。
【関連サイト】
http://www.lockheedmartin.com/us/aeronautics/skunkworks.html
スカンク・ワークスの公式サイトでは、スカンク・ワークス70年の歴史、関わったプロジェクトについて紹介されています。
※この記事は、dragoner.ねっと「小型核融合炉実用化に挑むスカンク・ワークスとは?」のYahoo!ニュース向け配信版です。