前科はリセットされる
■江戸時代の刑罰ー排外の思想ー
まずは、次の絵を見てください。
これは、江戸時代に実際に行われていた入れ墨刑です。まさに犯罪を犯した者に〈烙印〉を押して、生涯「前科者」として位置づけるという厳しい刑罰です。このような刑罰の底には、他人に苦痛を与えた者は自らも同じ苦痛を受けるべきだとする、因果応報の発想があると思われますが、それ以上に、犯罪者を一般の人びとから外形的に区別して、同じ仲間(同胞)として受け入れることを断固拒否し、徹底的に社会から排除するという発想がうかがえます。また、「犯罪を犯すとこのようになるぞ」という、社会一般に対する威嚇といった意味も否定できないでしょう。
■前科はリセットされる
現在の日本では、犯罪者にこのような〈烙印〉を押すことはもちろんありません。それどころか、〈前科〉はリセットされて、消えることになっているのです。
「前科」という言葉ですが、実はこれは法律用語ではなく、さまざまな意味で使われています。一般には、特に懲役刑を受けて刑務所に収容された者といった意味で使われることが多いようですが、法律的には有罪判決を受けたという事実が、選挙資格や医師・弁護士などの職業制限、あるいは叙勲の対象者から除外するという意味で重要になってきます。そのため、(交通違反を除く)罰金刑以上の刑罰確定者について、その戸籍を管理する市区町村に〈犯罪人名簿〉が置かれており、検察庁からの通知にもとづいて、有罪判決や科刑の記録が〈前科〉として登録されています(これが一般の人の目に触れることはありません)。
ただ、刑罰を受けたという事実は、公私さまざまな場面で不利益な事実として影響するために、不必要に社会復帰の妨げになることは避けるべきです。むかしは、一度刑務所に行くと、一生〈前科者〉として不利益な扱いを受けることが多かったのですが、このようなことは本人の更生のチャンスをつぶし、結果的に社会にとってマイナスの効果だけが残ります。
そこで、刑法には〈刑の消滅〉という規定があります(刑法34条の2)。具体的には、懲役や禁錮の刑で刑務所に行ったときはその後10年、罰金刑であれば5年の間に再び罰金刑や懲役刑を科されなければ、法律上、刑を受けたことがないものとして取り扱われることになっています。つまり、〈犯罪人名簿〉から削除されて、リセットされるわけです(処罰によって失った資格は元に戻りません)。
また、いわゆる実刑ではなく、執行猶予になった人は、執行猶予の期間が無事に過ぎれば、その時点で法律上は刑の言渡しを受けた者として取り扱われないことになっています(刑法27条)。これも、一度犯した過ちを許し、更生を促すための制度です。なお、この制度は明治時代に導入されたもので、当時では最先端の制度で、世界的に珍しいものでした。
■消えた前科は履歴書に書く必要はない
履歴書には「賞罰」について書く欄が設けられていることがあります。この「罰」は、「確定した有罪判決」という意味ですが、上に述べたように、懲役刑や禁錮刑はその執行を終えたときから10年(罰金刑の場合は5年)が経過すると刑が言い渡された事実が消えますので、その場合有罪判決を受けたという事実を自ら積極的に書く必要はありません。なお、かつて「懲戒解雇」を受けたならば、それは「確定した有罪判決」ではないので、これも書く必要はありません。
■ただし、前科は消えるが犯歴は残る
以上のように、〈犯罪人名簿〉に一度掲載されても、時間の経過とともに抹消されるわけですが、この制度とは別に〈犯歴票〉というものがあります。これは明治時代から作成されているもので、検察庁が管理しています。明治15年以来の前科者一人ひとりについての有罪および科刑の状況が逐一記録されています。これはもっぱら刑事裁判や検察事務の適正な運営のための資料として利用されるものであり、これが一般的な前科照会に使われることはありません。(了)