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「野球発祥の地」は捏造でも愛されるクーパーズタウン 聖地となった3要素とは?

豊浦彰太郎Baseball Writer
野球殿堂博物館内のベーブ・ルースとテッド・ウィリアムズの像。

20世紀初頭に野球発祥の地として起源調査委員会が正式にお墨付きを与えたクーパーズタウンだが、前回記したように、その後それは事実とは異なることが明らかになった。そして、時間を掛けてファンの間にも浸透して来た。しかし、クーパーズタウンは今でも紛れもない野球のふるさとだ。その最大の理由は、クーパーズタウンに野球殿堂博物館が存在しているからなのだが、それ以外にも見落とせない要素がある。

殿堂博物館の存在とその権威

殿堂博物館内のルースに関する展示コーナー。
殿堂博物館内のルースに関する展示コーナー。

殿堂博物館は、クーパーズタウンの富豪スティーブン・クラークが起こした財団が、地元への還元事業の一環として「この街に野球博物館を作ろう」と考えた事に端を発している。いわば村おこしの一環だったのだ。もちろんその背景には「1839年、クーパーズタウン、ダブルデイ」という現在は完全に否定されているストーリーがあった。したがって、オープンもちょうど「野球100周年」にあたる1939年だった。

殿堂博物館には、19世紀から現在に至る野球の歴史を物語る無数のアイテムや300万冊を超える文献が保存・公開されている。今年も開幕直後にエンジェルスの大谷翔平の初登板時のキャップが寄贈されたとして日本でも話題になったが、ここの展示物は原則として寄贈されたものだ(例外もある。前回の記事で紹介した「ダブルデイ神話」の象徴とされた納屋から発見された「最古のボール」は発見者から5ドルで買い取られている)。

大谷翔平初登板時のキャップも寄贈されたものだ。
大谷翔平初登板時のキャップも寄贈されたものだ。

また、野球の発展に功績があったとして全米野球記者協会などが選出した元名選手や経営者などのプラークが祀られている。いわゆる「殿堂入り」だ。現在その数は323人だ。

殿堂入りは野球人にとって究極のゴールである。殿堂入りすることは日本でも名誉なことだが、アメリカではその比ではない。それは、1936年の初回選出から基本的には公平で権威を保てる選出を行って来たことの賜物だろう(問題や課題がない訳ではないが)。

日本では偉大な選手の終着点としての位置付けは、多くのファンにとって殿堂入りよりも名球会入りだろう。それは、名球会入りの基準が良し悪しは別にして、「2000本安打」「200勝」と極めて分かりやすくある意味公平であるのに対し、殿堂入り選出に関しては、詳述は避けるが、基準の不明確さ、選出結果の不公平感が否定できないからだ。また、特に発足当初は選手よりも運営側の「非現場組」偏重の選出であったことも、ファンの支持や関心を集め難い要因であったと推測される。

やはり、殿堂博物館があるだけでは「ふるさと」にはなれない。その権威性をファンが認知するものでなければならない。

アメリカでは候補者の発表段階からメディアやファンの間で予想や主張が持ちきりになり、結果発表後はその評価の記事が多数発表される。人々の関心が常に寄せられていること、これは投票権者に勉強、研究を促し、正当、公平な選出が行われるためにはとても重要だ。

今年殿堂入りの6人。投票結果発表前後はメディアには予想や論評記事が数多く掲載された。
今年殿堂入りの6人。投票結果発表前後はメディアには予想や論評記事が数多く掲載された。

殿堂入りに関する関心度合いが相対的に低い日本では、毎年1月に殿堂入り投票結果だけが淡々と報じられる印象で、その前後の盛り上がりや反響はそれほどでもない。それこそ、「去年の殿堂入りはだれだ」と聞かれ即座に答えられるファンは、残念ながら多くないのではないか。

殿堂入り式典も日本では専用の場ではなく、球宴の試合開始前のセレモニーの一部として行われる。多くのファンが見つめていることは事実だが、そのファンの真のお目当てではない。いわばおまけとして行われている限りは、殿堂入り式典は本当にファンの耳目を集めるには至らない。

それに対し、アメリカでは毎年7月下旬にそれ専用の記念式典がクーパーズタウンで開催される。その際にはこの小さな街にファンが大挙して訪れる。その辺りを前回の記事でも登場いただいた殿堂博物館の学術研究員のジムさんはこう語ってくれた。

インタビューさせていただいた殿堂博物館の学術研究員ジムさん(向かって右)と副館長のエリックさん。
インタビューさせていただいた殿堂博物館の学術研究員ジムさん(向かって右)と副館長のエリックさん。

「今年の記念式典には過去2番目に多い5万3000人が詰め掛けました。合計で6人もの元スター選手が選出されましたからね。最も多かったのは2007年で7万人です。カル・リプケン・ジュニア(歴代1位の2632試合連続出場)とトニー・グウィン(首位打者8回)が殿堂入りした時です。来年も多いと思います。おそらくマリアーノ・リベラ(歴代1位の652セーブ)のセレモニーになるでしょうから。2020年も同様です。その年はデレク・ジーター(ご存知スーパースター)ですからね。地理的にもクーパーズタウンはニューヨークに比較的近いので、ヤンキースの選手が選出されるとその式典には多くのファンが詰めかけます」

「式典はここから約1キロ離れたクラーク・スポーツ・センターの広い、広い芝生広場で開催されます。かつては殿堂博物館前広場だったのですが、詰めかけるファンが多くなり、収容しきれなくなりました」

「今回くらいの来場者数だとこの小さな街の宿泊施設では到底カバーしきれず、その多くはオルバニーやシラキュース(ともに150キロくらい離れている)に宿を求めたようです。当然道路も大渋滞で、バスの数も800台だか900台に登ったようです」

「逆にあなたに聞いてみたいのですが、イチローが殿堂入りする時は一体どれだけのファンが日本から来るでしょう?」

う〜ん、と考えこう返答した。「そうですね、ファンも少なからずやって来るでしょうが、それ以上にメディアでしょうね。おそらく殺到すると思いますよ」

やはり、あちらの殿堂はその権威性と信頼性が違うのだ。クーパーズタウンに殿堂がある限り、そこが発祥の地であるかどうかなどもはや問題ではないのだ。

殿堂博物館内にはイチロー関連の展示が多い。今回は4つもあった。
殿堂博物館内にはイチロー関連の展示が多い。今回は4つもあった。

ベースボールビレッジ

メインストリートには野球関係のショップが並ぶ。
メインストリートには野球関係のショップが並ぶ。

個人的には、クーパーズタウンを野球の故郷、聖地にならしめた補足的要因があると思っている。まずは、殿堂博物館のあるメインストリートのべースボールビレッジとしての雰囲気だ。

野球殿堂博物館があるわずか数100メートルのメインストリートには、多くの野球関連のショップが並んでいる。そこで扱われるのは古い野球カード(それこそ、100年以上前のものも)やサインボールが中心で、第二次大戦前のものと思われる、明らかに現在のものとは形状が異なるグラブやミットなどもある。ある店の店頭には「あなたの母君が放り捨てた大切な野球カードがここにはある」との告知が。面白いのは、「ご婦人方、あなたの父君が処分してしまったエルビスのカードもありますよ」とのメッセージも付記してある。アメリカンジョークだ。それらのプライスは決して「観光地価格」ではない。狭い地域に多くのショップがひしめいているので、競争原理が働いているのだと思う。

「あなたの母君が放り捨てた大切な野球カードがここにはある」。
「あなたの母君が放り捨てた大切な野球カードがここにはある」。

このメインストリートであれこれ物色していると、あっと言う間に1日経過してしまう。野球ファンにとっては、殿堂博物館と同じように、いやそれ以上にしっかり時間を確保しておくべき場所だ。

日本の殿堂博物館も周辺には違う意味でのエンターテイメントが溢れているが、どちらがより野球ファンの琴線に触れるかは言うまでもない。

殿堂博物館から2ブロックの場所にはダブルデイ・フィールドもある。例の「神話」で初めて野球が行われたとされる場所に1920年に完成した。草野球からセミプロ級までシーズン中は毎日球音が響いているようだ。殿堂博物館の副館長エリックさんは、「あそこは1日500ドルなにがしで借りることができるのです。ですから、野球シーズン中はいつもなにがしかの試合が行われています」と語っていた。

「野球が生まれた」とされた神話の場所に建つダブルデイ・フィールド。
「野球が生まれた」とされた神話の場所に建つダブルデイ・フィールド。

「かつては記念式典に合わせ、メジャーリーグ球団による献納試合が行われていました。もっとも、6ケ月間で162試合を戦うレギュラーシーズンの合間を縫ってここまでエキシビションのためにやって来るというのは選手の負担が大きい。それで、MLB球団による献納試合は2008年を最後に残念ながら終わってしまったのですが」

おそらく世界で最も由緒正しき草野球場と呼べるかもしれない。

別世界感溢れる避暑地

クーパーズタウンは避暑地としても魅力的だ。
クーパーズタウンは避暑地としても魅力的だ。

クーパーズタウンの野球の聖地感を演出する要素として、その美しい自然環境を忘れるべきではない。もともと、クーパーズタウンは森と湖に囲まれた避暑地だ。ぼくは、2度の来訪時はともに殿堂博物館からクルマで20分くらいの場所に位置するモーテルに泊まった(同じ宿ではない)。この辺りは、ホリデイインやスーパー8だとかのチェーン系は比較的少なく、それこそ古いアメリカ映画に出てくるような、家族経営の独立系と思しきものが多いのも気に入っている。6年前は湖畔で今回は森の中だった。宿の周辺には野生のリスを見かけた。鳥のさえずりも聞こえる。周囲には相当間隔を空けてポツンと別荘が建っているのみ。交通量も少なく、ジョギングすると別世界感を満喫できる。

こんなモーテルに泊まった。
こんなモーテルに泊まった。

殿堂博物館から徒歩数分の場所には、オッセゴホテルがある。中世の領主の館のような存在感を示す高級ホテルだ。そこのロビー外のオープンデッキには何するわけでもなく、老人たちがデッキチェアに座り、目の前に広がる湖を日がな眺めている。湖畔にはゴルフ場もあり、のんびりとカートを引きながらゴルファー達が語らっている。そんな様子を目の当たりにすると、東京での忙しない日々は何なのだと、自戒の念に駆られてしまう。

荘厳なオッセゴホテルも殿堂博物館から徒歩圏にある。
荘厳なオッセゴホテルも殿堂博物館から徒歩圏にある。

われわれ日本の野球ファンは、あまりにも長く人工芝とドーム球場に馴れきってしまった。野球とは本来、陽光を浴びながら、芝生の上で行われるべきものだ。また、サッカーなどの他の球技と比べても、牧歌的な要素がその魅力の1つである。夏のクーパーズタウンは正にその野球の魅力を象徴する環境にある(もっとも、この辺りは真冬は豪雪地帯であることは付け加えておく必要があるだろう)。

クーパーズタウンは、前述の通りそこに至るアクセスの悪さが旅行者には大きなハードルになるのだが、それが到達時の達成感に繋がり聖地感を醸し出している面も否定できない。

クーパーズタウン周辺のロードサイド風景。
クーパーズタウン周辺のロードサイド風景。

マンハッタンのポートオーソリティ・バスターミナルからバスが出ているが、1日2便しかなく片道5時間半も掛かる。したがって、現地での機動性も考慮すると、レンタカー以外の手段はあまり現実的ではない。そのレンタカーでも、途中休憩を含めると4時間以上は必要なのだ。

ただし、それは物理的には障害なのだけれど、行程の大部分を占めるスコットランドの丘陵地帯を思わせる美しい草原や農地を抜ける一般道の走行は、逆説的ながらひとつのエンターテイメントでもある。ぼくの場合とは異なり、運転を交代できる同乗者がいればなおさらだろう。

クーパーズタウンに至る途中で見つけた渓流。
クーパーズタウンに至る途中で見つけた渓流。

クーパーズタウンに行くには、忙しい日々の暮らしの中でスケジュールを工面しなければならないし、体力的にもチトしんどい。これは米国のファンも同じだ。しかし、それだけの価値はある。「発祥の地」ではないのだが、ベースボールを愛する人々にとって、一生に一度は訪れるべきふるさとなのだ。

野球のふるさとクーパーズタウン。ファンなら一度は訪れてみたい。
野球のふるさとクーパーズタウン。ファンなら一度は訪れてみたい。

(文中敬称略) 撮影は全て筆者

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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