1万円札廃止論に異議あり
8月1日に日本経済新聞に掲載された「日本は1万円札を廃止せよ」という記事が注目された。これはハーバード大教授のケネス・ロゴフ氏の提言を記事にしたものである。
この記事によると「現金決済が主流の日本では荒唐無稽と思われがちだが、ユーロ圏だけでなく、カナダやスウェーデン、シンガポールも高額紙幣の廃止を決めた。日本にはまず1万円札と5千円札を廃止することを提案したい」とロゴフ氏は語った。
何故、高額紙幣を廃止すべきなのか。その理由についてロゴフ氏は以下のように語っている。
「高額紙幣を廃止して現金取引を電子決済などに置き換えれば、銀行口座などからマネーのやりとりを捕捉できるようになり、脱税の機会は大きく減る」
2016年8月にインドのモディ首相がテレビ演説で、高額紙幣の1000ルピー(約1600円)札と500ルピー(約800円)札を演説の約4時間後から無効にすると突然発表した。これはインド国内でテロ行為を行っている過激派グループが、紙幣を大量に偽造し活動資金に充てているためとした。また市民の間でも、脱税目的の現金決済が行われていると説明していた。
日本では高額紙幣の流通量が多いことは確かである。しかし、その理由として偽造紙幣が大量に出回っているわけではなく(むしろ逆)、脱税目的でアタッシュケースに詰めて現金をどこかに大量に隠している人が多いとも思えない。
ただし、昔、政治家が大量の割引金融債(無記名)の券面を大量に隠していたことが発覚したように、脱税目的での現金保有の可能性はありうる。しかし、脱税目的の保有が普通にあるというのであれば、日本の国税庁は全く仕事をしていないのか、ということにもなりかねない。
このあたりについて野村総合研究所の研究員のひとりが「日本での高額紙幣廃止論」というタイトルのレポートを出していた。これによると日本の1万円札を中心とした現金保有の理由を下記としていた。
・現金決済を好む国民性があること
・1990年代末には銀行不安を背景に銀行預金から現金へと資金をシフトさせ、その後もその現金が手元で保有される傾向が続いてきた
・長期化する低金利のもとで銀行預金を保有するインセンティブが低下したこと
・他国と比べて治安が良いため、現金を持ち運ぶことの不安が比較的小さいこと
・どのような地域でも現金が不足する事態が生じにくいこと
・紙幣のクリーン度が高いことなど
現金決済を好む国民性についてはクレジットカード利用率が米国などに比べて低いことなどからも確かであるが、それ以上に日本では現金が持ちやすく、使いやすいということが大きな理由になっているのではなかろうか。この研究員が指摘するように治安の良さも影響していよう。さらに偽札の流通が他国紙幣に比べて少ないことも挙げられよう。
この研究員による理由のなかで、あれっと思ったのが、「どのような地域でも現金が不足する事態が生じにくいこと」、「紙幣のクリーン度が高いこと」というものであった。これは当然そうではあるが、理由としては気がつきにくい。これは我々にとっては当たり前に思っているためである。これが当たり前になっているのは、この1万円札を発行している日銀の努力があってのものである。日銀のよる現金取引のインフラが整備されているからこそ、日本では現金が使いやすくなっている側面がある。
ちなみにこのレポートを書いた野村総合研究所の研究員は木内登英氏であった。先日、日本銀行審議委員を退任したばかりの木内氏である。名前をみて、このレポートの内容もなるほどと思った次第である。